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日本歴史地名大系

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野首教会
のくびきようかい

[現]小値賀町野崎郷

カトリック教会で、野首天主堂ともいう。江戸時代よりキリシタンが潜伏していた地で、野首に寛政九年(一七九七)大村領の外海そとめから移住した信徒や、瀬戸脇せとわき三井楽みいらく(現三井楽町)久賀ひさか(現福江市)から移ったキリシタンが居住していたという。舟森ふなもりには処刑されるところを笛吹ふえふきの船問屋の田口徳平治により救われた三人のキリシタンが居住していたという。明治元年(一八六八)からの五島崩れとよばれるキリシタン迫害では、同二年に野首の八戸、瀬戸脇七戸のキリシタン全員が小値賀の牢に入れられ、算木責の拷問を受けた。同六年キリシタン禁制の高札撤廃に伴って帰村、同一五年頃瀬戸脇に仮聖堂を建てた。同四一年中田藤吉神父のもとに一八戸の信徒により赤煉瓦造の現教会堂が建立された。屋根は単層・正面切妻造・瓦葺で、堂内はバシリカ型・三廊式・板敷床平面となっている。現新魚目しんうおのめ仲知ちゆうちの巡回教会であったが、昭和二二年(一九四七)小教区として独立、主任司祭が定住した。同四六年野首地区が島外に集団移住、島は無人となる。鉄川与助の最初の煉瓦造教会堂であり、木造から煉瓦造への発展過程をうかがわせる。旧野首教会として県指定文化財。

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