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日本歴史地名大系

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出津教会
しつきようかい

[現]外海町黒崎西出津郷

カトリック教会堂。県指定文化財。江戸時代よりキリシタンが潜伏していた地域で、寛政年間(一七八九―一八〇一)当地など大村藩領の外海から五島などへ移住する信徒が多かったことから、キリシタンの母郷ともよばれる。明治一二年(一八七九)主任司祭として着任したフランス人宣教師ド・ロ神父は当地を含む外海地区の産業開発と社会福祉向上に努めた。同一五年煉瓦造でロマネスク様式の教会堂が建立され、単層・寄棟造の低い屋根(強風に備えたもの)に、堂内はバシリカ型・三廊式、弓状天井が特徴で、板敷床平面となっている。同二四年祭壇部に塔を建て十字架を置き、同四二年に玄関部を拡張して鐘塔の建立、またフランスからの聖母像の安置などを行っている。

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3. そとめちょう【外海町】長崎県:西彼杵郡
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4. 長崎(市)
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ド=ロ(日本人名大辞典)
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