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  11. 懿徳天皇
国史大辞典・日本大百科全書

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国史大辞典
懿徳天皇
いとくてんのう
『日本書紀』『古事記』に第四代と伝える天皇。和風諡号は大日本彦耜友尊。『日本書紀』によれば、安寧天皇の第二子で母は事代主神の孫鴨玉の女の渟名底仲媛命(記では師木県主波延の女の阿久斗比売)、安寧天皇十一年に立太子、同三十八年父天皇の死をうけて翌年即位、軽曲峡宮に都し、息石耳命の女の天豊津媛命(記では師木県主の祖の賦登麻和訶比売命)を后とし、在位三十四年、七十七歳(記では四十五歳)で没したという。→軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)
(川副 武胤)

畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごのたにのえのみささぎ)

 奈良県橿原市西池尻町にあり、畝傍山南麓の谷間にある小円丘で、字を丸山という。『古事記』によれば、畝傍山の真名子谷の上にあるとみえるが、現在付近をマナゴ谷と呼んでいる。『延喜式』諸陵寮の制では遠陵で「兆域東西一町、南北一町、守戸五烟」である。中世所伝を失ったが『大和志』は当所をあげており、元治元年(一八六四)御陵として修補された。
[参考文献]
谷森善臣『山陵考』(『新註皇学叢書』五)
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
懿徳天皇
いとくてんのう

皇室系譜に第4代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)、安寧(あんねい)天皇の第2子で母は渟名底仲媛命(ぬなそこのなかつひめのみこと)、安寧天皇11年に立太子、懿徳元年即位、同2年に軽(かる)(橿原(かしはら)市大軽町付近)の曲峡宮(まがりおのみや)に遷都して天豊津媛(あまとよつひめ)命を皇后とし、同34年に没して畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのかみのみささぎ)に葬られたという。『古事記』は母を阿久斗比売(あくとひめ)命、皇后を賦登麻和訶比売(ふとまわかひめ)命とし、45歳で没したと伝える。
[星野良作]

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検索コンテンツ
1. 懿徳天皇
日本大百科全書
皇室系譜に第4代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)、安寧(あんねい)天皇の第2子で母は渟名 ...
2. いとく‐てんのう【懿徳天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第4代の天皇。安寧天皇の第2皇子。名は、大日本彦耜友(おおやまとひこすきとも)。皇居は軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)。  ...
3. いとく‐てんのう[‥テンワウ]【懿徳天皇】
日本国語大辞典
第四代天皇。安寧天皇の第二皇子。名は大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)。「日本書紀」によれば、大和軽(かる)の地に都を遷(うつ)して、曲狭宮(まが ...
4. いとくてんのう【懿徳天皇】
国史大辞典
『日本書紀』『古事記』に第四代と伝える天皇。和風諡号は大日本彦耜友尊。『日本書紀』によれば、安寧天皇の第二子で母は事代主神の孫鴨玉の女の渟名底仲媛命(記では師 ...
5. 懿德天皇(いとくてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 2ページ ...
6. いとくてんのう【懿徳天皇】
日本人名大辞典
と)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,都は軽(かる)の曲峡(まがりおの)宮。懿徳天皇34年9月8日死去。45歳(「古事記」)。墓所は畝傍山南繊沙 ...
7. 懿徳天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『綏靖天皇以下八代の系譜を繞って』神田秀夫 ...
8. あわしまじんじゃ【淡嶋神社】和歌山県:和歌山市/河北地区/加太村
日本歴史地名大系
同時に神功皇后を祀るようになったという。遷座時期について紀伊古跡誌(和歌山県立図書館蔵)は「懿徳天皇の御宇に此所へ移し奉るよし社人いへり」と異説を述べる。「扶桑 ...
9. あんねいてんのう【安寧天皇】
国史大辞典
る。東西に長い楕円形の丘状をなしている。陵下に御陰井と称する井戸があり、『日本書紀』によれば懿徳天皇元年八月朔に当陵に葬っている。『延喜式』諸陵寮の制は、遠陵と ...
10. いとくのもりこふん【イトクノ森古墳】奈良県:橿原市/畝傍地区/畝傍村
日本歴史地名大系
[現]橿原市畝傍町 前田 「諸陵図考」の畝傍村に懿徳天皇陵があるとの説に基づいて古墳名が付けられている。畝傍山から東に延びた低丘陵の先端に営まれた全長約三〇メー ...
11. うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ【畝傍山西南御陰井上陵】 : 安寧天皇
国史大辞典
る。東西に長い楕円形の丘状をなしている。陵下に御陰井と称する井戸があり、『日本書紀』によれば懿徳天皇元年八月朔に当陵に葬っている。『延喜式』諸陵寮の制は、遠陵と ...
12. うねびやまのみなみのまさごのたにのえのみささぎ【畝傍山南繊沙渓上陵】
国史大辞典
懿徳天皇(いとくてんのう)  ...
13. うねびやまのみなみのまなごだにのへりょう【畝傍山南繊沙谿上陵】奈良県:橿原市/畝傍地区/池尻村
日本歴史地名大系
畝傍山の南麓、西池尻町の北はずれにあり、懿徳天皇の陵に擬せられている。「日本書紀」孝昭天皇即位前紀に「畝傍山南繊沙谿上陵に葬る」とあり「古事記」懿徳天皇段では「 ...
14. おおやまとひこすきとものみこと【大日本彦耜友尊】
国史大辞典
懿徳天皇(いとくてんのう)  ...
15. おおやまとひこすきとものみこと【大日本彦耜友尊】
日本人名大辞典
懿徳天皇(いとくてんのう) ...
16. 甲子夜話続篇 1 95ページ
東洋文庫
庚楼不レ尽登臨興  風露凄涼可レ勝レ前    O神武天皇以来八月閏 神武天皇二十七年丁亥  繧靖天皇五年甲申懿徳天皇十年庚子    孝昭天皇五年庚午孝昭天皇三十 ...
17. かるのまがりおのみや【軽曲峡宮】
国史大辞典
『日本書紀』にみえる懿徳天皇の皇居。懿徳天皇二年正月戊寅条に「遷〓都於軽地 ...
18. かるのまがりおのみや【軽曲峡宮】奈良県:橿原市/畝傍地区/見瀬村
日本歴史地名大系
懿徳天皇の皇居。「日本書紀」懿徳天皇二年正月条に「都を軽の地に遷す。是を曲峡宮と謂ふ」、「古事記」に「大倭日子〓友命、軽の境岡宮に坐しまして ...
19. こうしょう‐てんのう【孝昭天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第5代の天皇。懿徳(いとく)天皇の皇子。名は観松彦香殖稲(みまつひこかえしね)。都を大和の葛城郡掖上(わきのかみ)に移し、池心宮(いけこころのみや)と称 ...
20. こうしょうてんのう【孝昭天皇】
国史大辞典
と伝える天皇。和風諡号は観松彦香殖稲尊。『日本書紀』によれば懿徳天皇の子で、母は安寧天皇皇子息石耳命の女の皇后天豊津媛命。懿徳天皇二十二年立太子、同三十四年父天 ...
21. 古事記 165ページ
日本古典文学全集
年齢の上下は問わない。この「県主」は、「河俣毘売の兄」とあるところからみて、「師木県主」の意。後の懿徳天皇。中・下巻の「王」は、「日子坐王」のような称号の場合も ...
22. 古事記 167ページ
日本古典文学全集
麻登久邇阿礼比売命。弟の名は、蠅伊呂杼ぞ。天皇の御年は、肆拾玖歳ぞ。御陵は、畝火山のみほとに在り。懿徳天皇 大倭日子鉏友命、軽の境岡宮に坐して、天の下を治めき。 ...
23. 古事記 168ページ
日本古典文学全集
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24. 神道集 278ページ
東洋文庫
追捕使として三代の帝に仕え、世間では賢明無双の定評があった。第四代懿徳天皇の時、臨終近くなった諏胤は、三人の息子たちを呼び寄せて、「お前たちは兄弟仲よくして、こ ...
25. 神道集 285ページ
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懿徳天皇の御代から宣化天皇まで年数九百八十年である。利生ひとえに早く、賞罰のきびしさも国内無双である。下の宮の御誓いに、「わが身は女性であるゆえに、心憂き恥を ...
26. たかのごう【竹野郷】兵庫県:但馬国/美含郡
日本歴史地名大系
比定される。河口の竹野に式内社鷹野神社があり、「校補但馬考」は鷹野は竹野であり、「古事記」に懿徳天皇の皇子当芸志比古命は多遅麻之竹別の祖とあり、これと所縁の神社 ...
27. たけのぐん【竹野郡】京都府
日本歴史地名大系
戸竹野郡網野郷」とあって、この時網野郷五〇戸が東大寺家雑用料として封ぜられている。「古事記」懿徳天皇の段に「次に当芸志比古命は、血沼の別、多遅麻の竹別、葦井の稲 ...
28. たけのむら【竹野村】兵庫県:城崎郡/竹野町
日本歴史地名大系
鷹野神社は「延喜式」神名帳の美含郡の同名社に比定される。「考補但馬考」は鷹野は竹野であり、「古事記」に懿徳天皇の皇子当芸志比古命は多遅麻之竹別の祖とあり、これと ...
29. 天皇 系譜1[図版]画像
国史大辞典
神武天皇 綏靖天皇 安寧天皇 懿徳天皇 孝昭天皇 孝安天皇 孝霊天皇 孝元天皇 開化天皇 崇神天皇 垂仁天皇 景行天皇 日本武尊 仲哀天皇 倭迹迹日百襲姫 豊鍬 ...
30. 東京年中行事 1 158ページ
東洋文庫
かくて世に婆が花売る涅槃哉     古 門 瞑目の猶ありくと涅槃像      路 台 因に釈迦の入寂は我が懿徳天皇二十五年にて、明治四十四年を去ること実に二千三 ...
31. 日本書紀 240ページ
日本古典文学全集
日本書紀 巻第四 神渟名川耳天皇  綏靖天皇磯城津彦玉手看天皇  安寧天皇大日本彦耜友天皇  懿徳天皇観松彦香殖稲天皇  孝昭天皇日本足彦国押人天皇  孝安天皇 ...
32. 日本書紀 241ページ
日本古典文学全集
神渟名川耳天皇 綏靖天皇磯城津彦玉手看天皇 安寧天皇大日本彦耜友天皇 懿徳天皇観松彦香殖稲天皇 孝昭天皇日本足彦国押人天皇 孝安天皇大日本根子彦太瓊天皇 孝霊天 ...
33. 日本書紀 247ページ
日本古典文学全集
名ともなる。十市県主系図に大日諸命の子で糸織媛(二四五ページ)の兄弟とある。孝昭即位前紀に、懿徳天皇の皇后天豊津媛命は息石耳命の娘とある(二五一ページ)。「一云 ...
34. 日本書紀 248ページ
日本古典文学全集
弟磯城津彦命是猪使連之始祖也。三十八年冬十二月庚戌朔乙卯、天皇崩。時年五十七。大日本彦耜友天皇  懿徳天皇 大日本彦耜友天皇、磯城津彦玉手看天皇第二子也。母曰 ...
35. 日本書紀 249ページ
日本古典文学全集
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36. 日本書紀 250ページ
日本古典文学全集
も同地か。「天・豊」は美称。「津」媛の意か。孝昭即位前紀に「息石耳命の女」とあり、息石耳命は懿徳天皇の兄であるから(二四七ページ)、天皇の姪に当る。安寧紀三年正 ...
37. 日本書紀 251ページ
日本古典文学全集
また昭帝紀「孝昭皇帝」の顔師古注に「礼ノ諡法、聖聞周達ヲ昭トイフ」とある。 懿徳天皇。→二四六ページ注四。懿徳天皇の皇后。安寧天皇の第一子で懿徳天皇の兄。→二四 ...
38. 日本書紀 252ページ
日本古典文学全集
、立=位す。夏四月の乙卯の朔にして己未に、皇后を尊びて皇太后と曰す。  懿徳天皇の皇后、天豊津媛命。安寧天皇の孫で、皇族出自の皇后の初出。神武・綏靖・安寧まで三 ...
39. 日本書紀 259ページ
日本古典文学全集
目が女」。十市県主→二五五ページ注七。孝霊天皇の皇后、細媛命。→二四九ページ注一四。この地は懿徳天皇の曲峡宮があった。記に「軽之堺原宮」とみえ、『帝王編年記』に ...
40. 邪馬臺国論考 2 215ページ
東洋文庫
関連を思わしむる事実と、それから、大和国高市郡畝傍山東麓のイトクノモリ古墳(懿徳の森にはもと懿徳天皇を祭りし社ありしと)が、森本氏の報告によれば、形は異るも、と ...
41. 邪馬臺国論考 3 94ページ
東洋文庫
過ぎないので、之れを一括して見るべぎであろうと思われる。然るに、こ&に注意すべきは、懿徳天皇と孝昭天皇との間に一年の空位が置かれていることであり、実にこの空位に ...
42. 邪馬臺国論考 3 95ページ
東洋文庫
保っているばかりでなく、襲の空位三年が神武天皇の方に附加せらるべきであると同様に、三五の間なる空位一年を懿徳天皇の方に附加すると、緩靖・懿徳両天皇の御在位年数を ...
43. 和漢三才図会 5 171ページ
東洋文庫
△思うに、伝えによれば、わが国の冠は懿徳天皇が始めて天・地・人の三冠をつくられたと いう。開化天皇八年には上・中・下の三等の冠をつくられた。後にまた三冠を加えら ...
44. 和漢三才図会 8 403ページ
東洋文庫
哀公十六年(前四七九)壬戌四月八日卒。寿七十三〔あるいは七+四ともいう〕。魯城北の酒上に葬った。日本の懿徳天皇三十二壬戌の年にあたる。孔子の生年月、没年月につい ...
45. 和漢三才図会 12 305ページ
東洋文庫
。(『国花記』による) 鐵砂 難上陵 久米寺の巽(南東)(橿原市西池尻町)にある。(第四代)懿徳天皇の陵。 軽曲峡宮軽町の坤(南西)五町ばかり(橿原市大軽町)に ...
「懿徳天皇」の情報だけではなく、「懿徳天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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