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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
円融天皇
えんゆうてんのう
九五九 - 九一
九六九―八四在位。諱は守平。天徳三年(九五九)三月二日村上天皇の第五皇子として生まる。母は藤原師輔の女安子。康保四年(九六七)九月一日、同母兄冷泉天皇の皇太弟となり、安和二年(九六九)八月十三日受禅、同九月二十三日即位。永観二年(九八四)八月二十七日、皇太子師貞親王に譲位。寛和元年(九八五)病気により出家、法名を金剛法と称し、正暦二年(九九一)二月十二日円融寺に崩じた。その在位は安和の変を機として藤原氏の権力が確立した直後にあたる。天皇は譲位後、御願寺円融寺の経営や多彩な御幸・御遊を行い、また院司を駆使して花山・一条朝の政治に口入するなど、その権威は藤原兼家をも憚らしめたが、三十三歳の壮年をもって崩じたため、藤原道隆・道長による摂関全盛の出現をみた。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ一 正暦二年二月十二日条、目崎徳衛「円融上皇と宇多源氏」(坂本太郎博士古稀記念会編『続日本古代史論集』下所収)、菊池京子「円融寺の成立過程」(『史窓』二五)
(目崎 徳衛)

後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)

 京都市右京区宇多野福王子町にある。仁和寺西方約六〇〇メートルにあたる。正暦二年(九九一)二月十九日円融寺の北原にて火葬、御骨を父村上天皇陵の傍に納める。後世所在を失い、明治二十二年(一八八九)六月現陵に定めた。火葬塚は右京区竜安寺朱山にある。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ一 正暦二年二月十九日条、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
円融天皇
えんゆうてんのう
[959―991]

第64代天皇(在位969~984)。村上(むらかみ)天皇第5皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の女(むすめ)、中宮安子(あんし)。諱(いみな)は守平。冷泉(れいぜい)天皇皇太弟となり、969年(安和2)11歳で即位。984年(永観2)位を花山(かざん)天皇に譲るまで在位15年。藤原実頼(さねより)、伊尹(これただ)、兼通(かねみち)、頼忠(よりただ)らが摂関として執政。譲位後は出家し円融院に住し、金剛法と号した。上皇として院庁(いんのちょう)に多数の別当を補任(ぶにん)し、大規模な組織をつくり、しばしば大堰川(おおいがわ)に行幸するなどの御遊や仏事を行ったが、それのみに終わらず、宇多(うだ)源氏に親近・密着する一方で、兼家系の藤原氏と疎隔・対立し、皇室の家長として政治に関与するところがあった。死後、円融寺の北原に火葬し、その骨を後村上(ごむらかみ)陵に納めた。
[森田 悌]



世界大百科事典
円融天皇
えんゆうてんのう
959-991(天徳3-正暦2)

第64代に数えられる天皇。在位969-984年。村上天皇の第5皇子。母は皇后安子(藤原師輔女)。諱(いみな)は守平(もりひら)。967年(康保4)兄為平親王を超えて冷泉天皇(ともに安子所生)の皇太弟となる。969年(安和2)即位,摂政は藤原実頼であったが翌年に死し,師輔の子伊尹(これただ)が摂政となる。972年(天禄3)元服,その年伊尹が死ぬと,弟の権中納言兼通を内大臣に抜擢,内覧の宣旨を下し,ついで関白とした。兼通は官位を同母弟の大納言兼家に超えられていたが,天皇は母安子の遺言を尊重したのである。兼通の死後は実頼の子頼忠が関白となる。花山天皇(冷泉皇子)に譲位後はしばしば遊楽を行い,政治にも発言し,また御願寺の円融寺(四円寺)を建てた。皇后〓子(兼通女)の死後,遵子(頼忠女)を立后させたが,ともに子はなく,兼家女の女御藤原詮子所生の懐仁親王が後の一条天皇となった。985年(寛和1)病により出家した。991年に没す。陵は後村上陵(京都市右京区)。
[黒板 伸夫]

[索引語]
守平
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1. 円融天皇
日本大百科全書
第64代天皇(在位969~984)。村上(むらかみ)天皇第5皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の女(むすめ)、中宮安子(あんし)。諱(いみな)は守平。冷泉(れいぜい ...
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959-991(天徳3-正暦2) 第64代に数えられる天皇。在位969-984年。村上天皇の第5皇子。母は皇后安子(藤原師輔女)。諱(いみな)は守平(もりひら) ...
3. えんゆう‐てんのう[ヱンユウテンワウ]【円融天皇】
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第六四代天皇。村上天皇の第五皇子。名は守平。冷泉(れいぜい)天皇の同母弟。在位安和二年から永観二年(九六九~九八四)。のち髪をおろして円融院に入る。天徳三~正暦 ...
4. えんゆうてんのう【円融天皇】
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九五九―九一 九六九―八四在位。諱は守平。天徳三年(九五九)三月二日村上天皇の第五皇子として生まる。母は藤原師輔の女安子。康保四年(九六七)九月一日、同母兄冷 ...
5. 圓融天皇(えんゆうてんのう)
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6. えんゆうてんのう【円融天皇】
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959−991 平安時代中期,第64代天皇。在位969-984。天徳3年3月2日生まれ。村上天皇の第5皇子。母は藤原安子(あんし)。同母兄冷泉(れいぜい)天皇の ...
7. 守平親王・円融天皇・円融上皇・円融法皇
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8. 圓融天皇受戒 (見出し語:圓融天皇)
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9. 圓融天皇國忌 (見出し語:圓融天皇)
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10. 圓融天皇大井河御幸 (見出し語:圓融天皇)
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11. 圓融天皇山陵 (見出し語:圓融天皇)
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12. 圓融天皇建圓融寺 (見出し語:圓融天皇)
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13. えんゆうてんのうりょう【円融天皇陵】京都市:右京区/宇多野地図
日本歴史地名大系
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14. 後円融天皇
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北朝第5代天皇(在位1371~82)。名は緒仁(おひと)、法名光浄。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は崇賢門院藤原仲子(父広橋兼綱)。1371年(応安4) ...
15. 後円融天皇
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1358-93(正平13・延文3-明徳4) 北朝第5代の天皇。在位1371-82年。名は緒仁。在位期間は足利義満の将軍在職の前半で,幕府隆盛期と重なる。皇室およ ...
16. ごえんゆう‐てんのう[ゴヱンユウテンワウ]【後円融天皇】
日本国語大辞典
南北朝時代、北朝の第五代天皇。後光厳天皇の皇子。母は崇賢門院仲子。名は緒仁(おひと)。応安四年(一三七一)践祚(せんそ)し、同七年即位。在位一二年。没後剃髪、法 ...
17. ごえんゆうてんのう【後円融天皇】画像
国史大辞典
[参考文献]『大日本史料』七ノ一 明徳四年四月二十六日条、岩橋小弥太「土佐光信の一遺作―後円融天皇宸影―」(『仏教美術』一六) (橋本 義彦)  ...
18. 後圓融天皇(ごえんゆうてんのう)
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帝王部 洋巻 第1巻 35ページ ...
19. ごえんゆうてんのう【後円融天皇】
日本人名大辞典
1359*−1393 南北朝時代,北朝第5代天皇。在位1371-82。延文3=正平(しょうへい)13年12月12日生まれ。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母 ...
20. 後円融天皇[文献目録]
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21. 後円融天皇花押[図版]画像
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22. 後円融天皇御即位記(著作ID:4399715)
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ごえんゆうてんのうごそくいき 九条忠基(くじょうただもと) 記録  ...
23. 後円融天皇宸翰(著作ID:4372183)
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24. 擇後圓融天皇諱 (見出し語:後圓融天皇)
古事類苑
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25. さかゆく花(著作ID:29425)
新日本古典籍データベース
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26. 足利義満
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。 義満はまた永和のころ京都の北小路室町の地に壮麗な新邸を造営して,ここに移り,1381年後円融天皇の行幸を仰いで新邸の善美を内外に誇示した。新邸は四季の花木や ...
27. あしかがよしみつ【足利義満】画像
国史大辞典
統制した。かくしてようやく世は平穏に復し義満は同二年正月従一位に昇り、翌永徳元年(一三八一)三月後円融天皇を室町第に迎え、六月二十六日内大臣に任ぜられた。このこ ...
28. 排蘆小船(近世随想集) 380ページ
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とくに五年ごとに行われる頭殿行列は一般に「奴振」(県選択無形民俗文化財)とよばれる。社伝によれば平安末期に円融天皇の勅命によって始められ、甲賀の豪族五家が毎年交 ...
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国史大辞典
康暦の政変で頼之が野に降った翌二年六月ごろ、義満は北小路室町の室町第をほぼ完成、永徳元年三月には後円融天皇をここに迎え、翌月落慶供養の式を行なった。これは焼失し ...
32. あんな の 変(へん)
日本国語大辞典
安和二年(九六九)、皇太子守平親王(のちの円融天皇)を廃位させ、為平親王を擁立する陰謀があるという源満仲らの密告により、橘繁延(しげのぶ)、藤原千晴(ちはる)が ...
33. 安和の変
世界大百科事典
967年村上天皇が没すると皇后藤原安子(師輔女)の生んだ憲平親王(冷泉天皇)が即位,弟守平親王(円融天皇)が同母兄為平親王を越えて皇太弟となる。これは源高明の女 ...
34. 医心方
世界大百科事典
かけて撰述した全30巻の医学全書(内科,小児科,産婦人科,養生,房内等を含む)で,984年(永観2)に円融天皇に奏進された。以来,戦国時代に正親町天皇から典薬頭 ...
35. いしんぽう【医心方】
国史大辞典
現存するわが国最古の医書。撰者は丹波康頼。全三十巻。円融天皇の天元五年(九八二)に撰述を終え、浄書のうえ、永観二年(九八四)奏進された。本書は巣元方の『病源候 ...
36. いずみざきむら【泉崎村】福島県:西白河郡/泉崎村
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太屋敷跡と伝える一町四方余の小高い場所があり、農夫がここに住むと必ず不祥のことがあるという。円融天皇の頃(一〇世紀末)、喜藤太は女衒を業とし梅若という少年を勾引 ...
37. 一条天皇
世界大百科事典
980-1011(天元3-寛弘8) 第66代に数えられる天皇。在位986-1011年。父円融天皇,母藤原詮子(東三条院)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。984 ...
38. いちじょう‐てんのう[イチデウテンワウ]【一条天皇】
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第六六代の天皇。円融天皇の第一皇子。名は懐仁(やすひと)。寛和二年(九八六)即位。在位した二五年間は、道長を中心とする藤原文化の最盛期。天元三~寛弘八年(九八〇 ...
39. いちじょうてんのう【一条天皇】
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した。しかし、かつて父円融天皇陵の傍に土葬するよう遺命のあったことがわかったが、その方角が塞がっていたので、九年後の寛仁四年(一〇二〇)六月十六日夜円融寺の北、 ...
40. いちじょうてんのう【一条天皇】
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980−1011 平安時代中期,第66代天皇。在位986-1011。天元3年6月1日生まれ。円融天皇の第1皇子。母は藤原詮子(せんし)(東三条院)。花山天皇の突 ...
41. いちじょうてんのう・さんじょうてんのうかそうづか【一条天皇・三条天皇火葬塚】京都市:北区/大北山村地図
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平安時代における仮皇居の通称。用例は少なく普通「里内裏」とほとんど同義に解されるが、円融天皇の貞元元年(九七六)内裏焼失の際に新造内裏完成まで皇居となった藤原 ...
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45. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】画像
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46. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】京都府:八幡市
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せられたとある)、乱平定後の同五年には臨時祭が始められた。天元二年(九七九)三月二七日には、円融天皇が初めて行幸し、寛仁元年(一〇一七)には後一条天皇が行幸し封 ...
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49. 宇治拾遺物語 367ページ
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西ニ神明ト云フ山寺有リ」とする。愛宕山で修行、晩年は九州に住む。天禄年間(九七〇~九七三)、円融天皇のための祈祷に参加。紙屋川をいう。鷹峰の山中から発して南流し ...
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「円融天皇」の情報だけではなく、「円融天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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