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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
後朱雀天皇
ごすざくてんのう
一〇〇九 - 四五
一〇三六―四五在位。寛弘六年(一〇〇九)十一月二十五日、一条天皇の第三皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦良。同七年正月十六日、親王宣下。寛仁元年(一〇一七)八月九日、敦明親王の皇太子辞意により、後一条天皇の皇太子となる。同三年八月二十八日、十一歳で元服。長元九年(一〇三六)四月十七日、二十八歳で受禅し、同年七月十日に即位。寛徳二年(一〇四五)正月十六日、位を後冷泉天皇に譲り、同月十八日落飾、法名を精進行と称した。同日、東三条第で崩御。三十七歳。同年二月二十一日、香隆寺で火葬。陵は円乗寺陵。道長の女嬉子所生の子に後冷泉天皇、三条天皇皇女禎子内親王所生の子に後三条天皇・良子内親王・娟子内親王、敦康親王の女〓子女王(藤原頼通養女)所生の子に祐子内親王・〓子内親王、藤原頼宗の女延子所生の子に正子内親王がある。また、『後朱雀天皇宸記』を著わし、『後拾遺和歌集』『新古今和歌集』『続古今和歌集』『新千載和歌集』に歌什が残されている。
(加藤 友康)

円乗寺陵(えんじょうじのみささぎ)

 京都市右京区竜安寺朱山(しゅうやま)、竜安寺内にある。南面する円丘で、後冷泉・後三条天皇陵と東西に並び、三陵同域である。寛徳二年(一〇四五)二月二十一日に香隆寺の乾原にて火葬、遺骨を仁和寺内の円教寺に安置した。崩後十年天喜三年(一〇五五)に後冷泉天皇が天皇の素志をついで、円教寺内に新堂を建立して円乗寺と称した。陵名はこれによっている。しかし、陵の所在を明記したものはなく、『中右記』嘉承二年(一一〇七)七月十二日条に後三条天皇陵の近くにある旨が記されているが、その後は伝えるところがない。幕末修陵の際、現陵所に考定して修補を施した。火葬塚は京都市北区平野宮敷町にある。
[参考文献]
谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後朱雀天皇
ごすざくてんのう
[1009―1045]

平安後期の天皇(在位1036~45)。名は敦良(あつなが)。一条(いちじょう)天皇の第3皇子。母は藤原道長(みちなが)の娘上東門院彰子(じょうとうもんいんしょうし)。当時、政治の主導権は道長から子頼通(よりみち)に引き継がれていたが、摂関家(せっかんけ)の全盛期は過ぎていた。1040年(長久1)に、実施はされなかったらしいが、荘園(しょうえん)整理令を発議、この内容は後の寛徳(かんとく)・延久(えんきゅう)の整理令に継承されるもととなっている。病気により位を子に譲ると(後冷泉(ごれいぜい)天皇)、頼通の反対を押し切って尊仁(たかひと)親王を新帝の皇太弟(こうたいてい)に定め(後の後三条(ごさんじょう)天皇)、院政への道を開いた。寛徳2年1月18日死去。陵墓は京都円乗寺陵。
[川島茂裕]



世界大百科事典
後朱雀天皇
ごすざくてんのう
1009-45(寛弘6-寛徳2)

第69代に数えられる天皇。在位1036-45年。一条天皇の第3皇子,母は太皇太后彰子(上東門院,藤原道長の女)。諱(いみな)は敦良。1017年(寛仁1)に三条院の皇子敦明親王の東宮辞退後,同母兄後一条天皇の皇太弟となる。36年(長元9)後一条天皇が没し,即位。翌年(長暦1)2月,三条皇女禎子内親王(母は道長の女姸子)を皇后とし,ついで翌3月関白頼通の養女嫄子(一条皇子敦康親王の女)を皇后とした。45年正月,病により皇子親仁親王(後冷泉天皇)に譲位,2日後に没す。天皇の治世は疫病流行など災厄も多く,延暦寺僧徒の大規模な嗷訴(ごうそ),伊勢神宮禰宜(ねぎ)らの入京上訴など寺社横暴の増大を感じさせる事件が起こっているが,1040年(長久1)の荘園停止令をはじめ,天皇の政治への意欲もうかがうことができる。天皇の日記《後朱雀天皇御記》(《長暦御記》)があるが逸文が伝わるのみ。陵は円乗寺陵(京都市右京区)。
[黒板 伸夫]

[索引語]
長暦御記
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検索コンテンツ
1. 敦良親王・後朱雀天皇・後朱雀上皇
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秘して譲位の儀を行う. 敦良親王(後朱雀天皇) 受禅(左経記)。 1036年〈長元9 丙子〉 7・10 後朱雀天皇 即位(範国記)。 1045年〈寛徳2 乙酉⑤ ...
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平安後期の天皇(在位1036~45)。名は敦良(あつなが)。一条(いちじょう)天皇の第3皇子。母は藤原道長(みちなが)の娘上東門院彰子(じょうとうもんいんしょう ...
3. 後朱雀天皇
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0年(長久1)の荘園停止令をはじめ,天皇の政治への意欲もうかがうことができる。天皇の日記《後朱雀天皇御記》(《長暦御記》)があるが逸文が伝わるのみ。陵は円乗寺陵 ...
4. ごすざく‐てんのう[‥テンワウ]【後朱雀天皇】
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第六九代天皇。一条天皇の第三皇子。母は上東門院藤原彰子。名は敦良(あつなが)。長元九年(一〇三六)即位。在位九年の間は藤原頼通が権勢をふるった。譲位して出家。法 ...
5. ごすざくてんのう【後朱雀天皇】
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6. 後朱雀天皇(ごすざくてんのう)
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7. ごすざくてんのう【後朱雀天皇】
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ょうじのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は敦良(あつなが)。法名は精進行。日記に「後朱雀天皇御記」。【格言など】春雨のふりしくころは青柳のいとみだれつつ ...
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古事類苑
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10. ごすざくてんのうしんき【後朱雀天皇宸記】
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後朱雀天皇の日記。『後朱雀院御記』『長暦御記』ともいう。『伏見天皇宸記』正応二年(一二八九)正月十九日条には、「後朱雀院御記一櫃」とみえ、『仙洞御文書目録』に ...
11. ごすざくてんのうりょう【後朱雀天皇陵】京都市:右京区/龍安寺門前村/龍安寺朱山七陵地図
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正式には後朱雀天皇円乗寺陵という。天皇は一条天皇第三皇子、母は上東門院彰子(藤原道長女)。寛徳二年(一〇四五)正月一八日洛東三条第で死去。「帝王編年記」によれば ...
12. 於〓後朱雀天皇國忌 (見出し語:圓〓寺【篇】)
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13. あいらじ【相良寺】熊本県:鹿本郡/菊鹿町/相良村
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14. 敦明親王
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15. 敦成親王・後一条天皇
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16. いちじょういん【一条院】
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17. いちじょういんあと【一条院跡】京都市:上京区/聚楽学区/飛騨殿町地図
日本歴史地名大系
もと藤原伊尹(謙徳公)の邸宅で、その異母弟為光から藤原詮子に伝えられ、のち一条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の里内裏となった。「拾芥抄」に「一条南大宮 ...
18. いちじょうてんのう【一条天皇】
国史大辞典
道長の女彰子が中宮に立ち、寛弘五年に敦成(あつひら)親王(後一条天皇)、同六年に敦良親王(後朱雀天皇)が生まれて道長一家の権勢は確立した。他の藤原義子ら三人の女 ...
19. いわかげ【石陰】京都市:北区/大北山村地図
日本歴史地名大系
遂称其左右曰石影、亦曰長坂野」としている。万寿二年(一〇二五)八月、親仁親王(後冷泉天皇)を出産後没した後朱雀天皇の東宮時代の女御嬉子(道長娘)も法興院(跡地現 ...
20. 宇治拾遺物語 43ページ
日本古典文学全集
』に入るかもしれない、との期待。書陵部本「いであひて」。第七十一代天皇(一〇三四~七三)。後朱雀天皇の第二皇子。治暦四年(一〇六八)即位。在位四年。著書に『秘記 ...
21. うじりょう【宇治陵】京都府:宇治市/木幡村
日本歴史地名大系
子・後朱雀天皇妃嬉子・三条天皇中宮研子・後一条天皇皇后威子・後朱雀天皇女御生子・後三条天皇姫茂子・一条天皇皇后彰子・後冷泉天皇皇后歓子 ...
22. うつぼかんもん【空勘文】
国史大辞典
女叙位に際して外記の提出する勘文。『江次第鈔』三の女叙位条に、後朱雀天皇の時から、外記が叙位にあずかるべき女官を知らないので、ただ年限により叙位にあずかった先 ...
23. 栄花物語 440ページ
日本古典文学全集
男皇子隆誕シ給フ。暫シノ間、重キ悩ミ有リト雖モ、殊事無シ」(御堂)。後産。一条天皇第三皇子敦良親王。後の後朱雀天皇。意外な出来事に対する驚き、詠嘆を表す。皇子誕 ...
24. 栄花物語 24ページ
日本古典文学全集
本書の書名、巻八と本巻の巻名にかかわる重要な一文。「つぼみ花」と呼ぶ理由。禎子内親王は後に東宮時代の後朱雀天皇と結婚、後三条天皇(在位一〇六八~七二)の生母とな ...
25. 栄花物語 40ページ
日本古典文学全集
御匣殿別当任官→[2]一五六ページ注八。巻二十六〔二二〕に生子東宮参入の噂がみえた。ただし、実際に後朱雀天皇に入内するのは長暦三年(一〇三九)になってから。→巻 ...
26. 栄花物語 194ページ
日本古典文学全集
〔四〕〔五〕〔六〕に登場する生子、延子、嫄子の後一条天皇の後宮への入内は実現せず、三人は後年、後朱雀天皇の後宮に入り、帝寵を競い合うのであり(→巻三十四)、この ...
27. 栄花物語 257ページ
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長元八年十月十七日に蔵人頭となった(補任)。これも一年前のこと。許される最高の地位。帝位のこと。章子内親王を後朱雀天皇に入内させようと。東宮敦良親王の皇子、親仁 ...
28. 栄花物語 262ページ
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べければ、おりゐの帝になしたてまつらせたまひてけり」とある。関白職を頼通が引き続き務めた。後朱雀天皇。頼通にとっては甥にあたる。悲しみのあまり茫然自失の状態にあ ...
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いとあさましくあはれなり」とあった。一条院、嬉子、妍子、道長、後一条院、威子などに先立たれたことをいう。後朱雀天皇の第一皇子、親仁親王。嬉子所生。→巻二十六〔一 ...
32. 栄花物語 276ページ
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いとど思しめし、「わが命長きこそ恥づかしけれ。宮は心にまかせたるやうにこそものしたまひけれ。かくたちおくれたてまつりて、一日にてもあらんと思ひけんや」と思しのた ...
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右少将、長元九年正月六日に正四位下となる。『範国記』長元九年十二月十日条によれば、その日、後朱雀天皇より嫄子女王へ最初の使が遣わされ、勅使は「四位源少将(源資綱 ...
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