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  11. 後堀河天皇
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
後堀河天皇
ごほりかわてんのう
一二一二 - 三四
一二二一―三二在位。名は茂仁(ゆたひと)。建暦二年(一二一二)二月(一説に三月)十八日生まれる。父は高倉天皇の皇子守貞親王(持明院宮行助入道親王、後高倉院)で安徳天皇と以仁王の弟、後鳥羽天皇の兄。母は前権中納言持明院(藤原)基家の娘陳子。はじめ十楽院仁慶僧正の弟子となる。親王宣下なし。承久の乱の直後、鎌倉幕府は後鳥羽上皇の院政を停止し、新しい院政の下で戦後処理を行おうとしたが、この時点での上皇は、後鳥羽上皇の皇子土御門・順徳両上皇だけであったため、後鳥羽上皇の兄行助入道親王を院とし、仲恭天皇の位を廃したあとには、親王の王子茂仁を天皇として迎えた。承久三年(一二二一)七月九日受禅、同年十二月一日即位。時に十歳。翌貞応元年(一二二二)正月三日元服。同二年、父後高倉院の死後、親政となった。天皇の後宮には、前太政大臣三条公房の娘有子(安喜門院)・関白近衛家実の娘長子(鷹司院)がいるが、皇子が生まれなかったため、前摂政九条道家の娘で、朝廷の実力者前太政大臣西園寺公経の外孫にあたる〓子(藻璧門院)が後宮に入って皇子(四条天皇)を生んだ。蒲柳の質であった天皇の退位の願いと、次の天皇の外祖父の立場に立とうとする九条道家の望みとが一致し、貞永元年(一二三二)十月四日、皇子に譲位したが、その後も院政をとり、二年後の文暦元年(一二三四)八月六日、持明院殿に崩じた。二十三歳。泉涌寺内の観音寺陵に葬る。追号、後堀河院。〓子の不幸と天皇の不幸とが続いたため、世人は、天台座主の勅約を反故にされて憤死した十楽院僧正仁慶の祟りがあるといい、また隠岐に配された後鳥羽法皇の怨念があるとも噂した。天皇の詩歌は『和漢兼作集』『新勅撰和歌集』に選ばれているほか、『夫木和歌抄』によれば『御集兼作』の私家集もあったという。
[参考文献]
『大日本史料』五ノ九 文暦元年八月六日条
(益田 宗)

観音寺陵(かんのんじのみささぎ)

 京都市東山区今熊野泉山町、泉涌寺内にある。陵は円丘で南西に面する。文暦元年(一二三四)八月十一日東山観音寺の傍らの法華堂に埋葬。仁治三年(一二四二)堂の前庭を拡張しているが、その後荒廃して所伝を失った。元禄の幕府探陵の際は『嵯峨二尊院旧記』によって、同院内の石塔に御骨を蔵するとしたが、『山陵志』が「泉涌寺来迎院北観音寺東丘、是陵所」と現陵の所を示し、幕末修陵の際もこれによって修補を加えた。
[参考文献]
『大日本史料』五ノ九 文暦元年八月十一日条、谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)

所領

 承久の乱後、鎌倉幕府は後鳥羽上皇方の所領をすべて没収した。そして承久三年(一二二一)七月後堀河天皇の践祚とともに幕府は、天皇に後院領・六勝寺領・新熊野(いまくまの)社領・新日吉(いまひえ)社領を、天皇の父後高倉院守貞親王に八条院領・殷富門院領・最勝光院領・蓮華王院領を、長講堂領などは宣陽門院に、七条院には七条院領を返上した。ただし、いずれも幕府が入用の時には収公するとの留保条件がついている。貞永元年(一二三二)五月民部卿勘解由小路(広橋)経光は、後堀河天皇から播磨国吉田荘の訴訟に対しての下問をうけている(『民経記』同年五月二十八日条)。その伝来は未詳だが、のち後嵯峨天皇に伝えられる。同年十月後堀河天皇が譲位すると、播磨国衙領は院分となった(同、十月八日条)。後堀河天皇領は、四条天皇を経て後嵯峨天皇に伝領している。
[参考文献]
帝室林野局編『御料地史稿』、八代国治『国史叢説』、中村直勝『吉野朝史』(『中村直勝著作集』三)
(奥野 高広)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後堀河天皇
ごほりかわてんのう
[1212―1234]

鎌倉初期の天皇(在位1221~32)。名は茂仁(ゆたひと)。後鳥羽(ごとば)天皇の兄守貞(もりさだ)親王の第3子。母は藤原基家(もといえ)の娘北白河院(きたしらかわいん)陳子。1221年の承久(じょうきゅう)の乱後、仲恭(ちゅうきょう)天皇が廃されたあと、親幕派の西園寺公経(さいおんじきんつね)の推挙と幕府の支持により還俗(げんぞく)させられて即位。このとき、父守貞はすでに出家しており(行助法親皇(ぎょうじょほうしんのう))、かつて皇位についたこともなかったが、後高倉院(ごたかくらいん)として異例の院政を開始した。後堀河は32年、2歳の子に譲位し(四条(しじょう)天皇)、自らも院政を行った。天福(てんぷく)2年8月6日死去。墓は京都市東山区今熊野泉山(いまくまのいずみやま)町の観音寺陵。
[川島茂裕]



世界大百科事典
後堀河天皇
ごほりかわてんのう
1212-34(建暦2-文暦1)

第86代に数えられる天皇。在位1221-32年。名は茂仁。後高倉院の第3王子。承久の乱に勝利した鎌倉幕府は,後鳥羽上皇の皇統を嫌って仲恭天皇を廃し,すでに僧正仁慶の弟子として十楽院に入室していた茂仁を立てて天皇とした。また,その父後高倉院は,皇位を踏まぬまま異例の院政をしいた。天皇も子の四条天皇に譲位すると,ただちに院政を始めたが23歳で没。京都市東山区今熊野泉山町の観音寺陵に葬る。
[杉橋 隆夫]

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3. ごほりかわ‐てんのう[ゴほりかはテンワウ]【後堀河天皇】
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第八六代天皇。高倉天皇の孫。守貞親王(後高倉院)の子。母は北白河院陳子。名は茂仁(ゆきひと)。早く十楽院に入って僧籍にあったが、承久三年(一二二一)幕府に迎えら ...
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(広橋)経光は、後堀河天皇から播磨国吉田荘の訴訟に対しての下問をうけている(『民経記』同年五月二十八日条)。その伝来は未詳だが、のち後嵯峨天皇に伝えられる。同年 ...
5. 後堀河天皇(ごほりかわてんのう)
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6. ごほりかわてんのう【後堀河天皇】
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1212−1234 鎌倉時代,第86代天皇。在位1221-32。建暦(けんりゃく)2年2月18日生まれ。高倉天皇の孫。後高倉院(守貞親王)の皇子。母は藤原陳子( ...
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8. 後堀河天皇山陵 (見出し語:後堀河天皇)
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 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
11. 岡屋関白記(著作ID:118898)
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14. あかまのしよう【赤馬庄】福岡県:宗像市/旧宗像市地区
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(鷹司家文書/鎌倉遺文二三)には「赤馬庄鷹司院御仏事料所」とあり、宣陽門院から鷹司院長子(後堀河天皇皇后)に伝領していた。康元元年(一二五六)一一月二二日には姉 ...
15. あがたぬしほ【県主保】岡山県:井原市
日本歴史地名大系
備中西部の小田川の支流稲木川に沿った現井原市木之子町付近一帯に推定される。寛喜三年(一二三一)四月二五日の後堀河天皇宣旨(門葉記)に保名がみえ、比丘尼観如より綾 ...
16. あきこないしんのう【〓子内親王】
日本人名大辞典
1231−1246 鎌倉時代,後堀河天皇の第3皇女。寛喜(かんぎ)3年9月29日生まれ。母は権(ごんの)大納言藤原兼良の娘。嘉禎(かてい)3年伊勢斎宮となるが, ...
17. あきのよのながものがたり【秋夜長物語】
国史大辞典
中世小説のうち、稚児(ちご)物語といわれる範疇に属する御伽草子。作者不詳。一巻。筋は後堀河天皇の代、西山の瞻西上人は比叡山東塔の勧学院の宰相の律師桂海といい、 ...
18. 排蘆小船(近世随想集) 373ページ
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19. あんか‐もんいん[‥モンヰン]【安嘉門院】
日本国語大辞典
後堀河天皇の准母(じゅんぼ)。高倉天皇の第二皇子守貞親王の娘。名は邦子。貞応三年(一二二四)院号を定められる。のち出家し、法号正如覚。承元三~弘安六年(一二〇九 ...
20. あんかもんいん【安嘉門院】
日本人名大辞典
承元(じょうげん)3年生まれ。母は北白河院。承久(じょうきゅう)3年内親王となり,同母弟の後堀河天皇の准母として皇后位につく。貞応(じょうおう)3年院号をうけ, ...
21. あんかもんいんりょう【安嘉門院領】画像
国史大辞典
後堀河天皇は承久三年(一二二一)十一月、同母姉邦子(一二〇九―八三、父後高倉院、母は北白河院藤原陳子)に内親王を宣下。同十二月後堀河天皇の准母として立后宣下、 ...
22. あんき‐もんいん[‥モンヰン]【安喜門院】
日本国語大辞典
後堀河天皇の皇后。藤原公房の娘。名は有子。貞応二年(一二二三)皇后に立ち、三年後院号を定められる。承元元~弘安九年(一二〇七~八六) ...
23. あんきもんいん【安喜門院】
日本人名大辞典
1207−1286 鎌倉時代,後堀河天皇の皇后。承元(じょうげん)元年生まれ。三条公房(きんふさ)の娘。母は藤原修子。貞応(じょうおう)元年入内(じゅだい)し, ...
24. あんてい【安貞】
日本国語大辞典
鎌倉時代、後堀河天皇の代の年号。嘉祿三年(一二二七)一二月一〇日、赤斑瘡(あかもがさ)の流行により改元。安貞三年(一二二九)三月五日に至り寛喜元年となる。執権北 ...
25. あんてい【安貞】
国史大辞典
後堀河天皇の時の年号(一二二七―二九)。嘉禄三年十二月十日改元。疱瘡の流行による。文章博士菅原資高の勘申。出典は『周易』坤「安貞之吉、応 ...
26. あんらくぎょういん【安楽行院】
国史大辞典
これを持明院と称したが、その子孫がここに住んで家をも持明院家と称した。承久の乱(一二二一)後、後堀河天皇が即位したが、その父後高倉院の妃陳子が通基の子である持明 ...
27. あんらくぎよういんあと【安楽行院跡】京都市:伏見区/深草村地図
日本歴史地名大系
子(北白河院)を妃とした守貞親王(後高倉院)は、持明院邸に住することが多く、また陳子所生の後堀河天皇もこの邸を仙洞とした。その後も後嵯峨・後深草・伏見天皇などが ...
28. いいだのしょう【飯田庄】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
田庄」とあり、京都蓮華王院領。「勘仲記」弘安六年(一二八三)一〇月九日条によれば、室町院(後堀河天皇皇女暉子内親王)が安嘉門院(邦子内親王)三十五日忌曼陀羅供の ...
29. 十六夜日記(中世日記紀行集) 288ページ
日本古典文学全集
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30. いしかわのしょう【石川庄】奈良県:大和郡山市/石川村
日本歴史地名大系
この石川庄の領主などは不明であるが、金剛勝院領であろうか。金剛勝院領の本家職は美福門院以後数代を経て、後堀河天皇皇女室町院に伝領されたものと考えられるが、当庄の ...
31. いとおかのしょう【糸岡庄】富山県:西礪波郡
日本歴史地名大系
行った奈良東大寺僧覚範の身柄を搦取り差出すよう同寺に命じられている。正安二年(一三〇〇)に没した室町院(後堀河天皇皇女暉子内親王)の遺領を記した年未詳の室町院領 ...
32. いなかむら【井中村】兵庫県:氷上郡/氷上町
日本歴史地名大系
丹波国伊中庄」とみえる。成立の事情は不明であるが、十地院は同庄の領家であろう。なお室町院は後堀河天皇の皇女で、その所領は後高倉上皇とその妃北白河院を経て伯母の式 ...
33. いはらのしょう【井原庄】兵庫県:氷上郡/山南町/井原村
日本歴史地名大系
および同四年六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)に「井原上庄」「同下庄」などとみえ、当時は後堀河天皇の皇女室町院の庄園であった。皇室領として伝領さ ...
34. いぶかのしょう【揖深庄】岐阜県:美濃加茂市/伊深村
日本歴史地名大系
京極殿すなわち藤原師実に由来する庄園であった上有知庄・摂津国細河庄とともに近衛家実の女鷹司院(長子・後堀河天皇中宮)に、寛元二年(一二四四)に伝領されている。近 ...
35. いまぐまのむら【新熊野村】京都市:東山区地図
日本歴史地名大系
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36. 岩国[市]
世界大百科事典
石国庄は1237年(嘉禎3)の〈周防国石国御庄沙汰人等重申状〉(野坂家文書)に見え,1302年(乾元1)には後堀河天皇の皇女室町院暉子の御料地であった。持明院統 ...
37. いわくにのしょう【石国庄】山口県:岩国市/岩国村
日本歴史地名大系
〇二)の室町院御領目録(八代恒治氏所蔵文書)に、院の散在御領の一つとして石国庄の名がみえ、後堀河天皇の皇女室町院暉子の御料地であったことに関係するらしい。この御 ...
38. いんりょう【院領】
国史大辞典
青蓮院慈円・平親範の寄進を受けた。承久の乱後、幕府は後高倉院に没収した皇室領の大部分を返上。のち後堀河天皇・四条天皇を経て、後嵯峨天皇は文永九年(一二七二)崩御 ...
39. うきたのしょう【浮田庄】宮崎県:宮崎市
日本歴史地名大系
と、宇佐太子は当庄についても、寛喜三年夫である少将持明院(藤原)家任の祖父持明院基家の娘で後堀河天皇の母にあたる北白河院藤原陳子を通じて、朝廷に宣旨を申請すると ...
40. おおとりごう・おおとりのしょう【大鳥郷・大鳥庄】大阪府:堺市/大鳥村
日本歴史地名大系
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41. 大鳥荘
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42. おおとりのしょう【大鳥荘】
国史大辞典
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45. おおみやいんりょう【大宮院領】 : 大宮院
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大宮院領  後堀河天皇准母邦子内親王(安嘉門院)は、父後高倉院から譲られた八条院領のうちの宗像社などを、後鳥羽上皇の後宮修明門院に譲与。宝治元年(一二四七)八 ...
46. 岡屋関白記
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内容は公家の行事等を記したもので,記述は簡略だが,公家史料の乏しいこの時期には貴重である。貞永元年記は後堀河天皇御譲位記である。清田 善樹 藤原兼経 岡屋殿御記 ...
47. おかのやかんぱくき【岡屋関白記】
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48. おぜのしょう【小瀬庄】岐阜県:関市/小瀬村
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代恒治氏旧蔵文書)に小瀬庄が記される。一期ののちに中書王(宗尊親王)領とするという条件付で後堀河天皇第一皇女の室町院に譲られたもので、文永一一年(一二七四)の中 ...
49. かさいのみくりや【葛西御厨】東京都:葛飾区
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に没し、娘である式乾門院利子内親王に伝えられた。式乾門院は伊勢神宮の斎宮であったため、弟の後堀河天皇の娘である暉子内親王へと伝えられた。同内親王は寛元元年(一二 ...
50. かねざき・かねざき【金埼・鐘崎】福岡県:宗像市/旧玄海町地区/鐘崎村
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