後立山連峰のほぼ中央部、宇奈月(うなづき)町と長野県大町市との境界にそびえ立つ雄峻な岩山。標高二八一四・一メートル。五竜とも記される。割菱状の岩壁が山体の東面を構成しているので割菱(わりびし)ノ頭(あたま)とよばれたが、武田信玄の家紋四つ割菱に似ていることから御菱(ごりよう)とも称したという。また鹿島槍(かしまやり)ヶ岳の越中側の呼称である後立山を音読してゴリュウともよんだが、誤まって当山をさしたのも影響して五龍岳の山名になったともいわれる。越中側の古称は本来餓鬼(がき)岳であった。浮田家の元禄一〇年(一六九七)の奥山廻記録(富山市郷土博物館蔵)に「がきが嶽」と記載。同一三年の奥山御境目見通絵図(県立図書館蔵)にも「がきの嶽」と記載。以下、たいていの新川郡絵図の類に餓鬼岳の名で記載された。この山名は立山連峰の背後にも立山地獄の飛地的な存在を想定したところに由来するのであろう。立山連峰の背後にありながら、富山平野の所々から見える。JR北陸本線の黒部川の鉄橋から入善(にゆうぜん)町にかけての観望が最も壮観であるが、礪波(となみ)地方からも見える地点があり、また氷見(ひみ)市灘浦(なだうら)海岸から海上に望む五龍岳もすばらしい。五龍岳の北にある白(しら)岳(二五三一メートル)は名のとおり着雪多く、岩壁隆々たる五龍岳と対照的である。五龍岳から東側に下った地点に五竜山荘が建つ。
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