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日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
葦守八幡宮
あしもりはちまんぐう

[現]岡山市下足守

下足守しもあしもりのほぼ中央の小丘上に鎮座。主祭神は応神天皇。旧足守藩領の総鎮守。旧郷社。「日本書紀」応神天皇二二年条にみえる行宮「葉田葦守宮」の旧跡に吉備中彦命が社殿を建立したのが起源と伝える。嘉応元年(一一六九)の足守庄図(神護寺蔵)にも当社と思える「八幡宮」の記載がある。表参道入口にある石鳥居は国指定重要文化財。明神鳥居の柱の下部に垣を取付けた両部鳥居形式で、その最古の現存例として足守式両部鳥居の称をもつ。向かって右の柱の内側に「康安元年 十月二日願主神主賀陽重人 大工沙弥妙阿 祝師僧頼澄」の銘がある。つづみ神社宝塔の作者でもある大工妙阿の作と知れる。神体とされる木瀬浄阿弥円鏡は県指定重要文化財。青銅製で、裏銘に「御奉行小出大和守 八幡宮 豊臣朝臣秀頼卿御再興 天下一 木瀬浄阿弥 慶長十二丁未年八月吉日」とあり、豊臣家と姻戚関係にあった足守藩主木下家が寄進したもの。

寛永二一年(一六四四)には藩主から社領一石の寄進があった。勝岡山八幡宮と山号を付した史料が散見されるが、寛文一三年(一六七三)随身門を造営した際に、藩主利貞から額「勝岡山」の寄付があった。代々足守藩主の崇敬があつく、藩主参拝の記録は枚挙にいとまがない。文久三年(一八六三)不慮の火災により焼失。慶応二年(一八六六)から明治三年(一八七〇)にかけて復興したが、寄付者のなかには大阪の住友吉左衛門の名もみえる。明治初年八幡神社と号し、同四三年上足守の葵丘あおいがおか神社(旧惣堂宮)など一八社を合祀。昭和五三年(一九七八)社名を古名に復した。境内社の五社ごしや神社は宝永二年(一七〇五)王子権現など五社を祀ったものという(備中誌)

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「葦守八幡宮」の情報だけではなく、「葦守八幡宮」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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