[現]岡山市下足守
寛永二一年(一六四四)には藩主から社領一石の寄進があった。勝岡山八幡宮と山号を付した史料が散見されるが、寛文一三年(一六七三)随身門を造営した際に、藩主利貞から額「勝岡山」の寄付があった。代々足守藩主の崇敬があつく、藩主参拝の記録は枚挙にいとまがない。文久三年(一八六三)不慮の火災により焼失。慶応二年(一八六六)から明治三年(一八七〇)にかけて復興したが、寄付者のなかには大阪の住友吉左衛門の名もみえる。明治初年八幡神社と号し、同四三年上足守の
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