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  11. 足助八幡宮
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
足助八幡宮
あすけはちまんぐう

[現]足助町足助 宮ノ後

国道一五三号の道沿いにある。ともえ川が支流足助川を合わせて大きく湾曲するところの左岸に位置し、右岸の飯盛いいもり山が笠形の山容で眺められる地点である。祭神は品陀和気命・帯中日子命・息長帯比売命・瀬織津比売命・菊理媛命・日本武尊。

南北朝時代成立と推定される足助八幡宮縁起によると、天智天皇の時、宝飯ほい郡大深山(現本宮山)に猿の形・鹿姿・鬼体をなす怪異者三体があった。猿形は石舟に乗って飛行し高橋たかはし庄猿投大明神となり猿投さなげ神社に座す、鹿姿はとどまって砥鹿大菩薩となり一之宮いちのみや(現宝飯郡一宮町)砥鹿とが神社に座す、鬼神は紀州牟呂むろ熊野くまの本宮より国回りする者といい、足助郷飯盛山に住して善証鬼と称し、土地の神の女自足城姫と夫婦となると記している。飯盛山頂には、上社とか奥院と伝えるたけの宮が明治初年まで祀られており、磐座に比定しうる岩石もある。

足助近在四十数ヵ村の郷社として多くの信仰を集め、明治の神仏習合禁止令までは社域も現在の町役場敷地まで延びており神宮寺もあった。神宮寺本尊は八幡宮前の十王じゆうおう寺に保存されている。現長野県下伊那しもいな松川まつかわ町の瑞応ずいおう寺に「応永三十年癸卯霜月吉日、三州足助宮平光勝庵公用」銘の雲版があるが、光勝庵(現廃寺)が神宮寺であったかどうかは不明。

本殿は文正元年(一四六六)一一月に再建された檜皮葺の三間社流造で、棟札七枚とともに国指定重要文化財。江戸時代初頭から中期にかけて絵馬が多く奉納されており、慶長一七年(一六一二)岩神やがみ村沢田四郎右衛門尉奉納の鉄砲的打図板額は県指定文化財。そのほか神馬・鷹・武者・遊女・七福神などを描いた絵馬がある。境内に矢場があり、元禄五年(一六九二)の矢場定の板額も残されており、金的中の奉納額も多い。

かつては八月一五日に放生会・流鏑馬などが行われ、足助村の四ヵ町からは各町ごとに山車、在方の村々からは鉄砲隊・棒の手組に警固された飾馬の献馬があった。一般に足助祭といい、明治期(一八六八―一九一二)養蚕の隆盛によって一〇月一五日に変更され、現在は同月一五日前後の日曜日に実施。馬の飼育が行われなくなって献馬は少なくなったが、鉄砲隊の空砲撃ちや棒の手は現在も隔年行われている。近岡ちかおかの見当流、五反田ごたんだの鎌田流は、足助の棒の手として県指定無形民俗文化財。

なお隣接して足助神社があり、元弘の変に後醍醐天皇に味方して斬首された足助次郎重範を祀る。境内に雁塚があり、自然石の碑が立つ。宮平みやだいらに住む久右衛門の召使い半吉が誤って雁を射殺し、のち出家して的心と名乗り雁の菩提を弔ったと伝える。

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日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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国史大辞典
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日本歴史地名大系
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日本大百科全書
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日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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日本歴史地名大系
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「足助八幡宮」の情報だけではなく、「足助八幡宮」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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