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日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
穴切大神社
あなぎりだいじんじや

[現]甲府市宝二丁目

あい川東岸、穴切小学校脇にある。祭神は大己貴命・少彦名命・素盞嗚命。旧郷社。「延喜式」神名帳記載の山梨郡「黒戸奈クロトナノ神社」を当社に比定する説がある(甲斐国志)。創建は元明天皇の代ともいう。創建と社名の由緒については、かつてこの地一帯のほとんどが湖水で田地が少なく、民衆は飢えに苦しんでいた。この様子に心を痛めた当時の甲斐国司は、国の南を開削することで良田が得られることを巡見によって確信し、朝廷にこれを上奏。国造神である大己貴命に祈願・勧請して多くの人夫を動員し、鰍沢かじかざわ口を掘削して水を落したところ湖水は引き、その流れが今の富士川となった。また湖水跡は水田となって貢物も三倍増となったと伝える。その功績と感謝を込めて大己貴命が祭神として祀られたのが当社で、鰍沢口を切抜いたことから穴切大神とよばれ、また開削を主導した国司も河内かわうち蹴裂けさき明神として祀られるようになったという。また穴切の地名も当社から起こったといわれる(社記・甲斐国志)。この由緒は甲斐国内に幾つも存在する湖水伝説に関連するものである。確実な史料に当社がみられるのは、慶長八年(一六〇三)の徳川家四奉行連署証文写(社記)で、西青沼にしあおぬま村で五石余が神領として安堵されている。以後この神領は黒印地として幕末に至る。また当社は甲府勤番支配からの尊崇を集めていたという。当社の方角にある城の門は所在地の百石ひやつこく町の名を冠せず穴切御門とよばれた(同書)。一間社流造・檜皮葺の本殿(附棟札三枚)は桃山時代の再興とされ、貞享四年(一六八七)などに修理が加えられている。国指定重要文化財。

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