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日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
荒井家住宅
あらいけじゆうたく

[現]矢板市立足

立足たつあし集落の西端、東下りの山際にある。荒井家は代々立足村の名主を勤めた。敷地は広く南面し、入口に長屋門を構え、主屋は長屋門より一段高所にある。主屋と長屋門は国指定重要文化財。家伝では延宝四年(一六七六)火災にあい、その後再建されたものと伝え、その頃の建築と推定される。主屋は桁行一三間・梁行五間半で、西側にウマヤ、カッテ、ダイドコロを設ける土間が約半分を占める。床上部は土間沿いに方三間のカッテを配し、その背後にナンドを設け、この二室の上手に四室を田字型(整形四間取り)に配する。すなわちシタナカノマ、ウエナカノマ、シタノザシキ、ウエノザシキである。現在、縁となっている表側の一室は、もとは入側であったらしい。屋根に煙出しが瓦葺で作られているが、後世のものであろう。建築年代は一七世紀後期と推定されるが、間取形式や矩折り三室構成をなす座敷部の、数寄屋風に整った室内構成などは、一八世紀中期以降に現在の姿に整備されたと考えられる。長屋門も在来の形であるが、屋根が一部改造されており、もとは柿葺であったと伝えられる。

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