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ジャパンナレッジで閲覧できる『彦根城』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・日本大百科全書

国史大辞典
彦根城
ひこねじょう
滋賀県彦根市金亀町・尾末町にある城。平山城。関ヶ原の戦ののち徳川家康の臣井伊直政は近江の石田三成の旧領十八万石を与えられて佐和山城に入った。直政の男直勝は慶長八年(一六〇三)に新城造営の工を起し、同九年に佐和山城から移転した。この新城構築は井伊氏が石田三成の影響が強く残る佐和山を嫌ったことと、壮大な城郭と城下町を営むには彦根がふさわしかったからであろう。築城は諸大名の手伝いがあったにもかかわらず元和八年(一六二二)までかかり、さらに城下町が姿を整えたのはその二十年後のことであった。江戸時代の全期間を通じて城主は井伊氏であった。城は東に佐和山、西に琵琶湖を控えた標高一三六メートルの金亀山山頂から麓にかけて縄張りされている。本丸など最重要部は金亀山に配され内堀がこれをめぐる。大手口は南西側に開いている。内堀の外側に二ノ丸、さらに中堀を隔てて三ノ丸が置かれ、三ノ丸外堀の東と南の外周に城下町が展開して南端を人工的に流路変更した芹川があたかも総堀のような形で流れる。山頂には西ノ丸・本丸・太鼓丸・鐘ノ丸がほぼ南北に一直線に連なる。本丸は山頂中央にあり天守を設けたが、この天守は家康の命で大津城から移築したものとされ三重三階、石垣内に階段室がある。西ノ丸には三重櫓・続櫓、太鼓丸北端に太鼓門、同じく南端に中央一重櫓門両端二重二階の天秤櫓があり、当城の特色となる。二ノ丸北部は槻御殿と玄宮園が営まれ、現在は玄宮楽々園と呼ばれている。二ノ丸東南佐和口門に多聞櫓があり、その近く内堀に面して馬屋(御厩部屋)が遺存する。これらの建物は本丸の天守・附櫓・多聞櫓が国宝であるほかすべて重要文化財に指定されている。本丸など主要部と中堀を含む二ノ丸の大部分および三ノ丸埋木舎敷地が国の特別史跡に、玄宮楽々園は国の名勝に指定されている。
[参考文献]
『井伊家譜』、『彦根市史』上、滋賀県教育委員会編『国宝彦根城天守・附櫓及び多聞櫓修理工事報告書』
(石丸 煕)


日本大百科全書(ニッポニカ)
彦根城
ひこねじょう

江戸期の城。滋賀県彦根市金亀(こんき)町にあり、別称を金亀城ともいう。徳川四天王に数えられる井伊直政(なおまさ)は関ヶ原の戦いの功により、上州箕輪(みのわ)城から石田三成(みつなり)の居城であった佐和山(さわやま)城(彦根市)を与えられた。直政は佐和山の西磯山(いそやま)に城を移そうとしていたが、関ヶ原の戦いのときの傷が再発して没した。後を継いだ直継(なおつぐ)(のち直勝(なおかつ))は磯山ではなく彦根山に移すことにし、1603年(慶長8)に着工、伊賀(いが)、伊勢(いせ)など7か国12大名に手伝普請(てつだいふしん)が命ぜられ、3年かかって完成した。これを第1期工事とよび、主として大津、安土(あづち)、佐和山などの旧城址(じょうし)から石材や瓦(かわら)などを運んで突貫工事で進めたものである。15年(元和1)直継にかわって直孝(なおたか)が城主となり、翌16年から22年まで第2期工事が行われた。城は琵琶(びわ)湖を西に控える平山城(ひらやまじろ)で、彦根山の頂上を本丸とし、西に西の丸、東に鐘の丸などを配し、これらが山上部分で、東の麓(ふもと)に表御殿があった。さらに内堀を隔てて東および南西に二の丸があり、家老など重臣級の武家屋敷が置かれ、東に佐和口、南に京橋口、西に船町口、北に山崎口が開いて三の丸に通じていた。井伊氏は直孝のとき、大坂の陣の功で5万石加増され、さらに1633年(寛永10)10万石加増され30万石となり(ほかに幕府城付米(しろつきまい)5万石を預かる)、譜代(ふだい)大名としては破格の扱いを受けて幕末に至った。現在、建造物としては天守閣(国宝)、西の丸三重櫓(やぐら)(重要文化財)、天秤(てんびん)櫓(重文)、佐和口多聞(たもん)櫓(重文)、太鼓門、御馬屋が残り、ことに御馬屋は他に例のない珍しい遺構である。
[小和田哲男]

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検索コンテンツ
1. 彦根城画像
日本大百科全書
江戸期の城。滋賀県彦根市金亀(こんき)町にあり、別称を金亀城ともいう。徳川四天王に数えられる井伊直政(なおまさ)は関ヶ原の戦いの功により、上州箕輪(みのわ)城か ...
2. 彦根城[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
1603年(慶長8)に着工、7か国12大名に割り当てた天下普請(ぶしん)で20年間にわたって工事が続けられ、1622年(元和8)に完成した。別名を金亀城(こんき ...
3. 彦根城
世界大百科事典
琵琶湖東岸の要衝である彦根は,石田三成の築いた佐和山城があったが,関ヶ原の戦(1600)後,徳川譜代大名の筆頭井伊氏がこの地に京都・大坂への抑えとして封じられ, ...
4. ひこね‐じょう[‥ジャウ]【彦根城】
日本国語大辞典
滋賀県彦根市金亀(こんき)町にある平山城。慶長八年(一六〇三)井伊直継が着工、元和八年(一六二二)完成。井伊家歴代の居城で三方が琵琶湖に囲まれ、間道・迷路が入り ...
5. ひこねじょう【彦根城】
国史大辞典
玄宮楽々園は国の名勝に指定されている。 [参考文献]『井伊家譜』、『彦根市史』上、滋賀県教育委員会編『国宝彦根城天守・附櫓及び多聞櫓修理工事報告書』 (石丸 煕 ...
6. 彦根城(ひこねじょう)
古事類苑
地部 洋巻 第1巻 1166ページ ...
7. ひこねじょうあと【彦根城跡】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
従来の一二万石に六万石を加えられ一八万石を領する有力大名となった(井伊年譜・井伊家譜)。のち加増を重ね、彦根城を築き城下町を建設し、近江の地にあって幕府の意を受 ...
8. ひこねじょうか【彦根城下】滋賀県:彦根市
日本歴史地名大系
彦根藩井伊家三〇万石(預地を含めると三五万石)が建設した彦根城の城下町。天守を中心とした城郭を第一郭とすると、内堀を隔てて内曲輪とよぶ第二郭が囲み、それを石垣・ ...
9. 彦根城天秤櫓[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国指定重要文化財 滋賀県彦根(ひこね)市 ©公益社団法人びわこビジターズビューロー ...
10. ひこにゃん[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2018
滋賀県彦根市で2007年3~11月に開催された「国宝・彦根城築城400年祭」のPRキャラクターとして生まれたご当地キャラ。彦根藩二代目藩主である井伊直孝公をお ...
11. 安土桃山時代
世界大百科事典
園建築である。築城は17世紀初頭(慶長10年代)からいっそう盛んになった。名古屋城,姫路城,彦根城,高田城などは,外壁が白く塗られ,門の内部にも枡形を設けるなど ...
12. 安土桃山時代美術画像
世界大百科事典
風光を正面からとりあげたすぐれた例である。 1600年代に入ると建築や美術の数もましてくる。彦根城,姫路城のような桃山天守建築が出現する。障壁画の分野では,当時 ...
13. あわた-まきぞう【粟田万喜三】
日本人名大辞典
つみあげて石垣をきずく穴太衆(あのうしゅう)積みの技術をまなぶ。延暦寺書院をはじめ,安土城,彦根城,和歌山城,園城寺など数多くの石垣修復をおこなった。昭和58年 ...
14. 井伊氏
世界大百科事典
関ヶ原の戦後,直政は近江佐和山城に配置され京畿(けいき)の押えとされた。江戸時代を通じて井伊氏の居城となった彦根城は,直政の没後の1606年(慶長11)公儀役普 ...
15. いい-なおかつ【井伊直勝】
日本人名大辞典
井伊直政の長男。父の跡をつぎ,慶長7年近江(おうみ)(滋賀県)佐和山城主。8年彦根山に築城を開始,のち彦根城にうつる。徳川家康の命により彦根藩主を異母弟の直孝( ...
16. 井伊直弼画像
日本大百科全書
文化(ぶんか)12年12月29日、彦根藩35万石の第11代城主直中(なおなか)の十四男として彦根城内に生まれる。母は側室お富の方(江戸麹町隼(こうじまちはやぶさ ...
17. いいなおすけ【井伊直弼】
国史大辞典
江戸時代後期の大老。近江国彦根藩主。文化十二年(一八一五)十月二十九日、十一代藩主直中の十四男として彦根城内で生まれた。母は側室のお富の方。通称は鉄三郎といい、 ...
18. いしがさきまち【石ヶ崎町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
ただし設立予定地は現古沢町にあたる。北野神社は井伊家の天神信仰による再興とされ、もとは彦根山に鎮座していたが、彦根城築城により移転したという。天満天神の配祀は元 ...
19. いぬかみぐん【犬上郡】
国史大辞典
ケ原の戦のあと井伊直政が三成の旧領に封ぜられた(当初十八万石、のち三十万石)。やがて彦根山に彦根城の築城が開始され、元和八年(一六二二)にほぼ完成し、それととも ...
20. いぬかみぐん【犬上郡】滋賀県
日本歴史地名大系
(東大寺文書)などにみえる水沼村・覇流村は奈良東大寺の経営と開発の進展度をうかがいうる。のち彦根城が建設される地には観音の霊験あらたかな寺院彦根寺があり、寛治三 ...
21. いぬかみぐんちく【旧犬上郡地区】滋賀県:彦根市
日本歴史地名大系
彦根市のほぼ中央部、北は旧松原内湖から南は荒神山・宇曾川に至る地域を占め大部分は平地。北部に旧彦根城下を含み、その南端を流れる芹川と犬上川に挟まれた地域は市街地 ...
22. うちだいくまち【内大工町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
町に分れる。慶長九年(一六〇四)破却された大津城の天守を彦根城に移築したとされるが、その天守閣隅木墨書銘には同一一年の日付とともに彦根城下大工町で喜市・山本助六 ...
23. 厩/馬屋
世界大百科事典
の馬屋の形式で造られ,三猿(見ざる,いわざる,聞かざる)その他の猿の彫刻が飾られている。また彦根城の馬屋はL字形の平面をもち,21の小間,端部に馬丁の休息所をも ...
24. 近江国
世界大百科事典
瀬田地方のおさえとして戸田一西(3万石)を入れた。湖北では井伊直政をして慶長・元和年間にかけ彦根城を築かせて18万石を領知せしめた。15年(元和1)大坂の陣に勝 ...
25. おうみのくに【近江国】滋賀県
日本歴史地名大系
築き、大津城の戸田一西を入城させた。同八年一月征夷大将軍となって江戸幕府を開くと、同年七月には彦根城の築造にかかり、井伊直継を配している。同一九年の大坂冬の陣に ...
26. 大津[市]
世界大百科事典
阻止し,徳川家康に勝利をもたらす。この籠城戦によって大津は焦土と化し,城は膳所へ移転したが(天守閣のみは彦根城に利用),02年家康より地子免許の特典をうけ漸次復 ...
27. おおつじょうあと【大津城跡】滋賀県:大津市/大津
日本歴史地名大系
基壇石垣上面の幅は三九間余、石垣上面から頂点まで六〇間とされる(新修大津市史)。一説には大津城天主は彦根城築城にあたって、同城天主として移築されたともいう(井伊 ...
28. おおほらべんざいてんどう【大洞弁財天堂】滋賀県:彦根市/旧犬上郡地区/佐和村
日本歴史地名大系
発願の趣意は、直興の奇病を治した松島弁順が、その信仰する弁財天の勧請を勧めたことによると伝え、彦根城の鬼門除けとして奉祀したのではないかともいわれるが(彦根市史 ...
29. 大洞弁天建立鳥目寄帳(元禄八年大洞弁天寄進帳)[文献解題]滋賀県
日本歴史地名大系
原本 井伊家(彦根城博物館寄託) 解説 元禄八年彦根藩が弁財天堂の建立に先立ち、領内の僧俗・貴賤・老若を問わず二五万九千五二六人から奉加金を募った目録。原則 ...
30. おすえまち【尾末町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
[現]彦根市尾末町・佐和町 佐和町・京橋上片原町の北にある武家地。彦根城の北東に位置し、内町とは佐和口の橋で通じる。西町・中町・東町に分れる。慶安四年(一六五一 ...
31. おだにじょうあと【小谷城跡】滋賀県:東浅井郡/湖北町/伊部村
日本歴史地名大系
捨て、湖岸の長浜に城を移す。建物は多く長浜城に移されたといい、もと長浜城の天守であった現在の彦根城の西の丸三重櫓は、小谷城の鐘丸であったと伝えられる。〔遺構〕本 ...
32. 御手伝普請
世界大百科事典
人足(千石夫)を徴したのに始まる。以後連続的に江戸城をはじめ,上方・西国に対する守りとしての彦根城・篠山城・亀山城,大御所家康の居城である駿府城,家康の子息の居 ...
33. 海游録 朝鮮通信使の日本紀行 150ページ
東洋文庫
には彦根山があり、ゆえに佐和城を一名彦根城と呼び、または沢山城と号する。土地は豊饒にして、室盧、人民、貨卑、游観の修がはなはだ盛んである。山によって城を築き、姫 ...
34. かみさいくまち【上細工町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
この町に川瀬千次郎が居住したためと注記されている。彦根町地割事(長谷川文書)によれば、同氏は彦根城下建設以前からの住人で、城下町割後は細工町で研屋を営み、藩主井 ...
35. かわらまち【河原町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
れば長浜総持寺末で、井伊家老臣三浦家の建立になり、もと本堂は彦根山の金亀山観音堂であったが、彦根城築城の際その本尊薬師如来を移したのに伴い同堂を移建し、また蒲生 ...
36. かんざきぐん【神崎郡】滋賀県
日本歴史地名大系
彦根藩領は文久二年(一八六二)の同藩上知まで続く。文久二年彦根藩領上知の報が届くと、当郡の村からも彦根城下へ返地嘆願をする者が出る騒ぎとなった。ただし旧彦根藩領 ...
37. きたのじ【北野寺】滋賀県:彦根市/彦根城下/石ヶ崎町
日本歴史地名大系
[現]彦根市馬場一丁目 旧彦根城下内舟町の西、中堀の角に位置する。金亀山と号し、真言宗豊山派。本尊聖観音。もと彦根山にあったが、彦根城の築城のため慶長八年(一六 ...
38. 近世俳句集 239ページ
日本古典文学全集
落日庵句集)などがあるが、この句が最も簡明で力強い。この「絶頂の城」は、尾張の犬山城、近江の彦根城などの景が思われようか。ただし、いずれも絶頂というにはその山は ...
39. 近世俳句集 241ページ
日本古典文学全集
かゝる(新花摘)琵琶湖のほとりを過ぎ、茶店で名物の鮒ずしを味わっていて、ふと見上げると、遠い彦根城に雲がかかっている。鮒ずしには、強い発酵臭と酸味があり、味にも ...
40. ぎょうえん【行円(3)】
日本人名大辞典
孫子(ちょうごそんし)寺の僧とみられる。嘉禄(かろく)2年井伊家につたわる笙(しょう)1管(彦根城博物館蔵)を製作。のち大阪誉田(こんだ)八幡宮に現存する舞楽面 ...
41. けやきごてん【槻御殿】滋賀県:彦根市/彦根城下
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[現]彦根市金亀町 彦根藩四代藩主井伊直興が彦根城の北、松原内湖に面した川手主水屋敷跡に設けた下屋敷。現在も当時の姿を残す。延宝五年(一六七七)藩士松本何右衛門 ...
42. 玄宮園
日本大百科全書
滋賀県彦根(ひこね)市金亀町にある庭園。彦根城の下部にあり、現在は彦根市が管理する。彦根藩4代藩主井伊直興(なおおき)が延宝(えんぽう)5年(1677)に造営し ...
43. 江左三郡録[文献解題]滋賀県
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44. ごさんじょうむら【後三条村】滋賀県:彦根市/旧犬上郡地区
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中藪村の東に位置。朝鮮人街道が通り、北東の彦根城下との間を流れる善利川(芹川)に善利川橋が架かる。善利川左岸沿いの地域は城下の町続き町となり、後三条町が成立して ...
45. 御城下惣絵図(天保城下絵図)[文献解題]滋賀県
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二一〇×一三四センチなど(彩色) 成立 天保七年 原本 彦根市立図書館 解説 伝存の彦根城下絵図では最も詳細なもので、付書から一枚ものとして保存されていた ...
46. ご当地イベント[レジャー/旅行]
イミダス 2018
2007年の「彦根城築城400年祭」、08年の「ビリケン生誕100周年」「源氏物語千年紀」、そして10年には「平城遷都1300年祭」「名古屋開府400年記念事 ...
47. さかたぐん【坂田郡】滋賀県
日本歴史地名大系
で入城した。しかし同八年七月彦根山へ築城の命が下され、井伊直継は佐和山城の資材その他をもって彦根城の築城に取かかっている。長浜城には同一一年家康の異母弟内藤信成 ...
48. さくらだもんがいのへん【桜田門外の変】
国史大辞典
同年九月在京中の西郷吉兵衛(隆盛)は詮勝の入京を目前にして、東西呼応して義兵を挙げ、詮勝を撃退し彦根城を攻略することを江戸の同志に説き、同藩の有馬新七は諸藩の有 ...
49. 薩摩歌(近松門左衛門集) 278ページ
日本古典文学全集
。戸田山城守、六万五千石。漆を塗ったあと、たたいて凹凸をつけた鞘。→付図29。近江(滋賀県)彦根城主、井伊掃部頭、三十万石。僧の持つ如意の形をした鞘(付図30) ...
50. さわむら【佐和村】滋賀県:彦根市/旧犬上郡地区
日本歴史地名大系
所也」と注記し、「今ハ村里ナシ」と述べている。慶長高辻帳には佐和町とみえ、高六二三石余。「但彦根城同屋敷ニ成」と注記される。寛永石高帳には佐和村とあり高三六三石 ...
「彦根城」の情報だけではなく、「彦根城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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