1. 松本城画像
日本大百科全書
奪い城代を置いている。のち1582年(天正10)小笠原貞慶(さだよし)が旧領を回復し城を拡張して松本城と称した。90年に石川数正(かずまさ)が入城し、さっそく大 ...
2. 松本城[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
室町期の深志城(ふかしじょう)が始まりといわれる平城(ひらじろ)。1590年(天正18)に石川数正(かずまさ)が大規模な改築に着手、天守は子康長(やすなが)の代 ...
3. 松本城
世界大百科事典
なったが,長篠の戦(1575)の後,小笠原貞慶が入城し松本城と改称,90年(天正18)に至って石川数正が入って8万石を領した。現在の松本城は数正とその子康長によ ...
4. まつもと‐じょう[‥ジャウ]【松本城】
日本国語大辞典
〇四)島立貞永が創建。天正三年(一五七五)小笠原貞慶が入城、松本城と改称。同一八年、石川数正が入り、その子頼長とともに現在の松本城を築いた。明治に至り楼櫓・門・ ...
5. まつもとじょう【松本城】
国史大辞典
叢書』二)、『東筑摩郡松本市塩尻市誌』二、松本市教育委員会編『(史跡国宝)松本城』、松本城保存工事事務所編『国宝松本城―解体調査編―』 (石丸 煕) ...
6. まつもとじょう【松本城】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
札などにみえる。俗に烏城という。松本城二の丸西側の内堀の中の島に若宮八幡宮が祀られ、明治に入って撤去されて跡のみ残っている。「信府統記」に「若宮八幡宮、松本城内 ...
7. まつもとじょうか【松本城下】長野県:松本市
日本歴史地名大系
急にゆるやかな流れとなって町の中心部を南北に割って流れる。大手橋(現千歳橋)から北が松本城の城地で、その中に松本城と武家屋敷がある。武家屋敷は城内三の丸とその周 ...
8. あおいのばば【葵馬場】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市丸の内 松本城の城内馬場。本丸の北側、北堀の北の五社(現松本神社)の東に置かれた。明治廃城のあと、北深志町時代には葵馬場町とよばれた。東西に長い。江 ...
9. あおきむら【青木村】長野県:大町市
日本歴史地名大系
として存在していることがわかる。なお、慶安二年(一六四九)の大町組青木村海之口村中綱村家帳(松本城管理事務所蔵)によると、家数は五軒である。安政二年(一八五五) ...
10. あおやぎしゅく【青柳宿】長野県:東筑摩郡/坂北村/青柳町村
日本歴史地名大系
(現四賀村)と麻績宿(現麻績村)の中間の宿。宿が整備されたのは慶長年間(一五九六―一六一五)松本城に封ぜられた小笠原貞慶の子秀政の時である。秀政の出した慶長一二 ...
11. あおやぎじょうあと【青柳城跡】長野県:東筑摩郡/坂北村/青柳町村
日本歴史地名大系
頼長ハ事跡アリ、其前伝ヲ知ラズ」とある。また「高白斎記」には、天文二二年四月一五日、深志城(松本城)を出発した武田晴信が苅谷原を経由して青柳城に泊り、翌日弟信繁 ...
12. あかしなまち【明科町】長野県:東筑摩郡
日本歴史地名大系
面積:四二・二〇平方キロ 松本平北辺の最も標高の低い所で、東方には松本城山に続く小山脈があり、西を犀川が流れる。西部の押野崎で犀川・高瀬川・穂高川・会田川等が合 ...
13. あくねじょうあと【莫禰城跡】鹿児島県:阿久根市/山下村
日本歴史地名大系
阿久根良照は当城を離れ、高城の山奥に隠れ住んだという(阿久根市誌)。地主城・仮屋城・片野城・野首城・松本城・桜が城・西之城・新城などの呼び名をもつ多くの曲輪から ...
14. あげつちまち【上土町】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市大手三丁目 松本城の東側、総堀外の武家屋敷地帯で、下馬出しと牢屋がある。「信府統記」には「上ケ土蔵前 南北五拾七間余、家数西ケ輪七軒、木戸番共ニ東ケ ...
15. あさまむら【浅間村】長野県:松本市/本郷地区
日本歴史地名大系
北方山間部の三才山に通じている。西は水汲橋・原橋を経て岡田宿手前で善光寺道に通じ、南は浅間橋を経て松本城下町に下る。村の中心となる温泉は原始時代から利用されたと ...
16. あずさがわ【梓川】長野県:南安曇郡
日本歴史地名大系
山・大野川山・上河内山などから伐り出した材木は、梓川を流して松本城下の堀米の渡場へ出すとされている。梓川から堀米の渡場へ流すには、かつて梓川とよばれ、岩岡の火打 ...
17. あそぐん【安蘇郡】
国史大辞典
唐沢山城廃止の厳命をうけ、平城である春日城に移された。ついで同十九年七月突如改易となり、信州松本城主小笠原家に預けられた。ここに秀郷以来七百年近く君臨した唐沢山 ...
18. あらいむら【荒井村】長野県:松本市/島立地区
日本歴史地名大系
[現]松本市島立 荒井 松本城下町をめぐる庄内組渚村の西に木曾川(現奈良井川)を隔ててある平坦な村である。天正検地には島立郷の中の一村で「新井村弐百四拾五石七斗 ...
19. ありがさきむら【蟻ヶ崎村】長野県:松本市
日本歴史地名大系
[現]松本市蟻ヶ崎一丁目・二丁目・放光寺四丁目 松本城下町をめぐる庄内組の一村。松本城の北西、現城山(犬飼城山)の丘陵の南端からその東麓にかけての地域。真言宗の ...
20. あんらくじあと【安楽寺跡】長野県:南安曇郡/堀金村/岩原村
日本歴史地名大系
孤峰院といい、堀金氏の崇敬が厚かったとされている。この孤峰院に慶長一〇年(一六〇五)八月二〇日松本城主石川氏の家臣渡辺金内が出した春林・山屋敷・門前・年貢地を安 ...
21. いいだまち【飯田町】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市中央二丁目 松本城下町の枝町一〇町の一。「信府統記」に「中町ノ枝町ナリ、南北長サ三町四拾九間、或ハ三町五二間共、家数六拾七軒、幅四間、橋数四ケ所、町 ...
22. いさごだじんじゃ【沙田神社】長野県:松本市/島立地区/三ノ宮村
日本歴史地名大系
[現]松本市島立 三ノ宮 三ノ宮村の東部、奈良井川を前にして松本城に向かって鎮座する。和田の大井堰から分流した芝沢川を中心に発達した、和田・新村・島立方面の古代 ...
23. いさわぐん【胆沢郡】岩手県
日本歴史地名大系
功臣を分封し、水沢城に白石氏、前沢城(現前沢町)に大内氏が配された。柏山氏居城の大林城近くの松本城(現金ヶ崎町)にはもと蘆名氏家臣松本日向が配されたと伝える。水 ...
24. 石川氏画像
日本大百科全書
数正は1585年(天正13)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の元に走り、信濃(しなの)(長野県)松本城が与えられた。その子康長は家康に仕えたが大久保長安(ながやす) ...
25. 石川数正
日本大百科全書
路線論争に敗れて岡崎城を出奔し、豊臣秀吉に臣従した。1590年に小田原攻めの功により、信濃国松本城主8万石に封ぜられ、1592年(文禄1)に没した。本多隆成 ...
26. いしかわかずまさ【石川数正】
国史大辞典
十四年正月和泉国(十万石といわれるが不審あり)を与えられ、九州・小田原に従軍ののち十八年七月信濃国松本城主(八万石)。文禄元年(一五九二)三月肥前名護屋に出陣、 ...
27. いしかわ-かずまさ【石川数正】
日本人名大辞典
家康の子信康の付家老となるが,信康死後の天正(てんしょう)13年豊臣秀吉に属し,18年信濃(しなの)(長野県)松本城主となった。文禄(ぶんろく)元年12月死去。 ...
28. いしかわし【石川氏】画像
国史大辞典
しかし天正十三年(一五八五)豊臣秀吉の誘いに従って大坂に奔り、和泉国に封を賜わった。同十八年信濃深志城(のちの松本城)に移り、八万石を領したが、その子康長(三長 ...
29. いしかわ-みつなが【石川三長】
日本人名大辞典
まれ。石川数正の長男。文禄(ぶんろく)元年(1592)父の跡をつぎ,信濃(しなの)(長野県)松本城主となる。関ケ原の戦いでは徳川方につく。慶長18年知行隠匿のか ...
30. いずみまち【和泉町】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市旭一丁目・城東二丁目 松本城下町の枝町一〇町の一。東町の北に続く町家の街で、西は武家屋敷の袋町に接する。町名の起りは、この地帯に湧水が多いことによる ...
31. いせまち【伊勢町】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市中央一丁目・二丁目 松本城下町の枝町一〇町の一。本町一丁目の角から西に通じる。「信府統記」に「東西ノ町ナリ、長三町五十六間、或ハ三町二拾二間半共、家 ...
32. いちかわ-りょうぞう【市川量造】
日本人名大辞典
ひろめる。13年奨匡(しょうきょう)社を結成,国会開設運動に活躍。のち南佐久郡,下高井郡の郡長。松本城天守閣の保存に尽力した。明治41年2月25日死去。65歳。 ...
33. いでがわまちむら【出川町村】長野県:松本市
日本歴史地名大系
[現]松本市出川町 松本城下町の南方にある出川組の一村で、小島村の南に位置し、村内で牛伏川・和泉川が田川に合流する。北国西脇往還はこの村を田川に沿って北に上り、 ...
34. いぬかいじょうやま【犬飼城山】長野県:松本市/蟻ヶ崎村
日本歴史地名大系
[現]松本市蟻ヶ崎 松本城の西北にあり、犬甘城山とも書かれる。城地は城山丘陵の南の突端にあり、主郭部の標高は六七二メートル、周囲の平地からはおよそ一五〇メートル ...
35. いまいむら【今井村】長野県:松本市/今井地区
日本歴史地名大系
同藩元禄三年(一六九〇)の検地では一千二三五石二斗五升二合となった。延宝年間(一六七三―八一)からは松本城主水野氏の分系、水野壱岐守の所領となり、水野家移封後の ...
36. いりぶせむら【入布施村】長野県:北佐久郡/望月町
日本歴史地名大系
寛永元年(一六二四)以後小諸領、甲府領から元禄一四年幕府領、延享元年(一七四四)から天明四年(一七八四)まで松本城主預りを経て再び幕府領となる。その間村高は元禄 ...
37. うずはしむら【埋橋村】長野県:松本市
日本歴史地名大系
[現]松本市埋橋一丁目・二丁目・県一―三丁目 松本城下町をめぐる庄内組の一村。庄内村の東、薄川以北の村である。天正五年(一五七七)の「上諏方大宮御宝殿信府筑魔・ ...
38. 打毀
世界大百科事典
1686年(貞享3)の信濃松本藩(多田加助騒動)は全藩的強訴の最初であり,動員された一揆勢はこのとき松本城下の有力商人を打ち毀した。96年(元禄9)の但馬出石藩 ...
39. うつくしがはらおんせん【美ヶ原温泉】長野県:松本市/里山辺地区/湯ノ原村
日本歴史地名大系
夢告により武士が出家するこの説話は、「今昔物語集」巻一九にも「信濃国王藤観音出家語」と題して載る。江戸時代には松本城主石川氏の代から藩主の入湯場が営まれたが、水 ...
40. うみのくちむら【海ノ口村】長野県:大町市
日本歴史地名大系
海ノ口村はかつて松本藩主の直領であったことが知れる。慶安二年(一六四九)の大町組青木村海之口村中綱村家帳(松本城管理事務所蔵)によれば、当時海ノ口村には三〇軒の ...
41. えんつうじあと【円通寺跡】長野県:南安曇郡/豊科町/真々部村
日本歴史地名大系
[現]豊科町大字高家 真々部 真々部氏館跡の西北方、下町にある。松本城下の真宗正行寺末。本尊阿弥陀如来(正敬寺蔵)。亀井家の伝承によれば、明応年間(一四九二―一 ...
42. おうたきむら【王滝村】長野県:木曾郡/王滝村
日本歴史地名大系
曾上り黒川通り三尾へ直路にて王滝の城へ推寄せ」と王滝城が出てくる。また天正一二年(一五八四)松本城主小笠原氏の兵が木曾へ侵入、福島の上之台の館が焼かれた時、義昌 ...
43. おおのがわむら【大野川村】長野県:南安曇郡/安曇村
日本歴史地名大系
政は二木豊後守に西牧の惣山作衆に一人で広敷板一〇〇枚ずつを調進するよう下知している。おそらく松本城・御殿等の建築材に使用したものであろう。慶安四年(一六五一)検 ...
44. おおやなぎまち【大柳町】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市丸の内 松本城内三の丸の東部に続く町で、東側総堀に平行して南北に長い町である。天正一〇年(一五八二)七月小笠原貞慶が松本城の城地を拡張するに際し、一 ...
45. おかだちく【岡田地区】長野県:松本市
日本歴史地名大系
松本市の北に続き、地勢は南に傾き、西に松本城山続きの丘陵、北に刈谷原峠・稲倉峠などを経て東筑摩郡四賀村と境し、東は女鳥羽川が南に向かって流れる。近世の松本藩領岡 ...
46. おかだまちむら【岡田町村】長野県:松本市/岡田地区
日本歴史地名大系
[現]松本市岡田 岡田町 松本藩領岡田組の一村。松本城下町から水内郡善光寺町(現長野市)に向かう善光寺道の宿。宿はずれからは稲倉峠経由保福寺に向かう江戸道が分れ ...
47. おかちまち【御徒士町】長野県:松本市/松本城下
日本歴史地名大系
[現]松本市北深志二丁目・開智三丁目 松本城北の武家屋敷で、城外三〇〇メートルにある東西の町である。明治以後、徒士町と書くが、「おかちまち」とよぶ。「信府統記」 ...
48. おかのみやじんじゃ【岡宮神社】長野県:松本市/松本城下/和泉町
日本歴史地名大系
[現]松本市旭一丁目 松本城からは東北の方にあり、由来北深志の総鎮守といわれた旧県社。天正の検地帳に安原町岡宮領五石とある。「信府統記」には「岡宮大明神 松本ノ ...
49. 小笠原貞慶
世界大百科事典
ともに信濃を去り,のち織田信長に仕える。82年(天正10)徳川家康の援を得て父の旧領を復し,松本城に拠る。85年家康の重臣石川数正が豊臣秀吉のもとに走ったとき秀 ...
50. おがさわら-さだより【小笠原貞頼】
日本人名大辞典
?−? 織豊-江戸時代前期の武士。信濃(しなの)(長野県)松本城主小笠原貞慶(さだよし)の兄長隆の子という。豊臣秀吉の小田原攻め,朝鮮出兵に参加。徳川家康の命を ...