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  10. 松本城
国史大辞典・日本歴史地名大系

国史大辞典
松本城
まつもとじょう
長野県松本市丸の内にある城。平城。松本平の中央部にあたる当地は古くは深志といわれ、また延暦年間(七八二―八〇六)に信濃国府が上田からこの地に移された後は府中とも呼ばれた。国府所在時代には在庁官人犬甘氏の居館が置かれていたものと思われるが、鎌倉時代に小笠原氏が信濃に入部して以来中世のほぼ全期間を通じて深志は同氏の勢力下にあった。元弘の乱に際して、伊那松尾にいた小笠原貞宗は足利尊氏に従い、乱後信濃守護に任じられると松本平に本拠を移し現在の松本市南部の井川に居館を構えた。室町時代後期に小笠原氏は松本平東方の金華山城(林城)に居を移し、深志には支城を置き小笠原氏一族とされる坂西氏を在城させた。戦国時代に甲斐から出て信濃経略を企図した武田晴信は、天文十七年(一五四八)に塩尻峠の戦で小笠原長時を破り、松本平南部の村井城を拠点としてさらに小笠原氏攻略を強めた。このため同十九年には林城をはじめ深志城などの支城が陥落し、長時は更級の村上義清を頼って北走した。一方晴信は深志城を大規模に改修しその後の信濃経営と越後の上杉氏に対処するための主要基地とした。天正十年(一五八二)の武田氏の没落と織田信長の急死により、小笠原長時の子貞慶は深志城を回復しこの時地名を松本に改めたといわれる。武田氏没落後甲信二国はほぼ徳川家康の支配下に入り貞慶も家康に属すこととなったが、同十八年の豊臣秀吉による後北条氏征討の後、家康が江戸に移封されると甲信の大名も大半は関東に移され、貞慶の子貞政も下総古河に移った。代わって松本城には石川康昌(数正)が入り、当城の本格的な建設が始められ子の康長の代まで続いた。慶長十八年(一六一三)康長が改易された後当城城主として小笠原・戸田・松平・堀田・水野の諸氏がおのおの一、二代ずつで交代したが、享保十年(一七二五)に戸田氏が再び移封入城した後は明治維新に至るまで同氏歴代が城主として続いた。松本城は一辺が約六〇〇メートルのほぼ正方形の区域に構えられた。中央に本丸とそれをめぐる内堀、本丸の東・南・西側に二ノ丸と堀(外堀)が配され、これらを三ノ丸と堀(総堀)が取り囲む。三ノ丸外縁には五ヵ所に門を設け大手口は南端とした。さらに城地の東と南を流れる女鳥羽川を外周の堀として城下町を取り込む総構の縄張をとる。このうち現存するのは内堀以内、二ノ丸と外堀の大部分および総堀の一部である。本丸には五重六階の天守・三重四階の乾小天守、渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓が遺存しいずれも国宝に指定されている。天守の創建年代については諸説があるが、慶長年間には完成していたものと考えられ、その後再三にわたる修理を経ているとはいえ五重天守としては現存最古のものである。外堀以内は国史跡である。
[参考文献]
鈴木重武・三井弘篤編『信府統記』(『信濃史料叢書』二)、『東筑摩郡松本市塩尻市誌』二、松本市教育委員会編『(史跡国宝)松本城』、松本城保存工事事務所編『国宝松本城―解体調査編―』
(石丸 煕)


日本歴史地名大系
松本城
まつもとじよう

[現]松本市丸の内

現松本市丸の内の地を中心に、旧市街地の中心部にある。大天守が大堀に直接影を映して、日本北アルプスの連山が背景をなす。天正一〇年(一五八二)七月小笠原貞慶が深志ふかし城から松本城と名を改め、一時小笠原氏の本城、のち豊臣秀吉の石川氏移封により近世城郭としての道が開けた。天守は石川康長が文禄三年(一五九四)頃から建築に着手し、慶長二年(一五九七)頃までには完成したとみられ、月見櫓のみが寛永年中(一六二四―四四)に松平直政によって付設された。五層六階の大天守と、三層のいぬい小天守は、渡櫓で連結され、二層の辰巳付櫓は直接天守に合体しているので、この建築様式は連結・複合的天守といわれる。月見櫓を複合していることも興味深い。

城のある本丸・二の丸の地形は、東北部が高く、西南部は緩やかに傾斜し、本丸は東西がやや長い逆台形に区画され、その周囲には内堀があり、東・南・西の三方を堀を隔てて二の丸が囲む。内堀の東方隅から東方に延びた堀は、二の丸の郭を囲んでおり、本丸及び二の丸の周囲には最も大きい三の丸の郭がある。その周囲には総堀があり、その外に馬出しがつき、周囲は約二キロである。その外側の城下町に武士屋敷・徒士屋敷・足軽屋敷を配置している。現存する天守・本丸の石垣は石川氏が築いた。松本城は、前期天守として最古に属し、規模が小さく素朴な割合に、最盛期天守に発展する要素を多くもっている。石垣は直線的で反りが少なく低いこと、唐破風からはふ・千鳥破風など装飾的要素が少ないことも注意される。

城の別名は鵞湖がこ城といわれたことが、市内外の著名神社の棟札などにみえる。俗にからす城という。松本城二の丸西側の内堀の中の島に若宮八幡宮が祀られ、明治に入って撤去されて跡のみ残っている。「信府統記」に「若宮八幡宮、松本城内ニアル鎮守ナリ、当社ハ小笠原家の勧請、一社ハ八幡宮、一社ハ稲荷大明神ナリ、其来歴ハ城主記ニ委ク見ヘタリ、相殿ニマシマス神田大明神ハ忠周公(水野氏)江戸神田ノ宮ヨリ勧請アリ、御供米正・五・九月ニ三石ヅツ、合テ籾九石城主ヨリ寄付セラル、社人大沢石見」とある。戸田氏の祈願寺弥勒みろく院は五社(現松本神社)の東隣に置かれ、城内奉祀の寺であった。二の丸・三の丸の土塁上に、武士のいわい殿が祀られた。

明治四年破却された後、遺構は国指定の史跡松本城として残り、天守は国宝に指定。

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38. 打毀
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ともに信濃を去り,のち織田信長に仕える。82年(天正10)徳川家康の援を得て父の旧領を復し,松本城に拠る。85年家康の重臣石川数正が豊臣秀吉のもとに走ったとき秀 ...
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「松本城」の情報だけではなく、「松本城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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