[現]中央区北一条西二丁目
元来は札幌農学校の演武場で、旧所在地は現在の北二条通の通り上であった。農学校教頭のホイーラーの構想により開拓使工業局が設計し、明治一一年(一八七八)六月起工、同年一〇月に竣工した。当初時計塔はなく、切妻屋根(柾葺)の鐘楼があった。同一四年に鐘楼の代りに時計塔(三―五階)を設置、時計の鐘は一里四方に響きわたったという。同三六年に札幌農学校が現在の北海道大学構内へ移転したことから旧演武場と敷地の一部を札幌区が借用し、区会議場にあてようとした(公会堂として使用)。同三九年札幌区は旧演武場を買収して現在地に移転させ、この折に基礎の形式や一階床の高さなどを変更している。同四〇年の大火で札幌郵便局が被害を受けると、同四三年一一月に新局舎ができるまで同郵便局の仮庁舎となった(明治四〇年代の前半に屋根は金属板菱葺に葺替えられている)。同四四年七月から北海道教育会の事務所となり、階上のホールは各種講演会・講習会・大会の会場に利用され、階下に図書館が設けられた。大正七年(一九一八)北海道教育会は解散、書籍はすべて札幌区教育会に無償譲渡され、図書館活動は続けられたが、昭和一八年(一九四三)に北部軍の通信隊が駐屯、図書館は閉鎖された。第二次世界大戦後、階上は商工経済界などの諸団体、階下は北海道教職員組合の事務所となった。昭和二三年時計台の明渡しをうけた札幌市が修築を行い、同二五年四月から再び時計台の鐘が鳴るようになった。翌五月から札幌市立図書館として開館し、同三一年、それまで丸井デパートにあった札幌市の郷土資料展示を一部移している。同四一年札幌市立図書館は北二条西一二丁目に新築移転し、同四三年七月から時計台資料室として二階を公開、一階は札幌文化団体協議会や札幌教育研究協議会などが使用した。昭和四五年国の重要文化財に指定された。同五一年二階は札幌歴史館となり、同五三年一月に全館が同歴史館として開館。平成七年(一九九五)から修築が行われ、修築後は演武場にかかわる展示だけとなった。
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