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  11. 弘道館
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
弘道館
こうどうかん

[現]水戸市三の丸一丁目

三の丸さんのまるの大手橋の西にあり、その西に鹿島神社・孔子こうし廟・八卦はつけ堂などが建つ。士風の刷新を目指した徳川斉昭が天保一二年(一八四一)に開設した藩校。

斉昭はすでに同四年頃建設計画を発表したが、設立を推進しようとする藩政改革派とこれに反対する守旧派との対立抗争や、財政難のため準備が停滞していた。しかし同九年建学の由来と教育の方針を示した斉昭自撰の「弘道館記」が完成、翌年の敷地決定(城内三の丸、五万四千坪)と工事開始、同一一年の教授頭取(青山延于・会沢正志斎)発令と進み、同一二年八月一日、仮開館式を挙行した。この時、主要な建物は一応完成したが、学校神社である鹿島神社の遷座式を行うに至らなかったため本開館とはならなかった。本開館式の挙行は安政四年(一八五七)五月九日。

敷地内に正庁・至善しぜん堂・文館(居学寮・講習寮・句読寮・講習別局・教職詰所などの総称)・武館(剣術・槍術・居合・薙刀・柔術などの館)・歌学局・兵学局・音楽局・天文数学所・医学館(本草局・蘭学局・調薬局・養牛場・薬草園などが付属)・鹿島神社・孔子廟・八卦堂(「弘道館記」の碑堂)・学生警鐘などが設置され、調練場と馬場もあった。一五歳から四〇歳までの藩士とその子弟を教育の対象とし、身分に応じて毎月出席すべき日数を規定していた。教育方針は「弘道館記」と藤田東湖の「弘道館記述義」に明記されているが、水戸学の尊王攘夷思想を鼓吹するとともに、実学主義の立場から西洋医学なども積極的に取入れようとしたところに特徴がある。斉昭に「題弘道館庭中梅花」と題する「弘道館中千樹梅 清香馥郁十分開 好文豈謂無威武 雪裏占春天下魁」の漢詩がある。

明治元年(一八六八)の弘道館の戦のとき文館・武館・医学館などを焼失し、同五年閉鎖。昭和二〇年(一九四五)の戦災でさらに鹿島神社・孔子廟・八卦堂を焼く。同二七年に国指定特別史跡に指定され、同三八年に大修理を行って一部復原完了。同三九年に正庁・至善堂・正門付塀が国の重要文化財に指定された。

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検索コンテンツ
1. 弘道館画像
日本大百科全書
水戸に先行する同名の藩校は佐賀・福山・彦根(ひこね)藩など5校あるが、水戸の弘道館がとくに有名なのは、敷地が5万7000坪にも及ぶ広大なこと、『弘道館記』が水戸
2. 弘道館
世界大百科事典
教育精神は,斉昭の《弘道館記》,藤田東湖の《弘道館記述義》に明記されており,水戸学の尊王攘夷思想を鼓吹するとともに,実用主義の立場から西洋医学も取り入れた。19
3. こうどう‐かん[コウダウクヮン]【弘道館】
日本国語大辞典
〔一〕水戸藩の藩校。藩主徳川斉昭の創建で天保一二年(一八四一)開校。総裁青山延于・会沢安。尊王攘夷思想を鼓吹し、水戸学のもととなった。元治元年(一八六四)大部分
4. こうどうかん【弘道館】茨城県:水戸市/水戸城下
日本歴史地名大系
ところに特徴がある。斉昭に「題弘道館庭中梅花」と題する「弘道館中千樹梅 清香馥郁十分開 好文豈謂無威武 雪裏占春天下魁」の漢詩がある。明治元年(一八六八)の弘道
5. 弘道館
日本史年表
1781年〈天明元(4・2) 辛丑⑤〉 この年 佐賀藩、藩校 弘道館 を創設(日本教育史資料)。 1782年〈天明2 壬寅〉 2・‐ 出石藩、学問所を 弘道館
6. 弘道館(こうどうかん)[佐賀藩]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1290ページ
7. 弘道館(こうどうかん)[出石藩]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1286ページ
8. 弘道館(こうどうかん)[彦根藩]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1281ページ
9. 弘道館(こうどうかん)[水戸藩]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1280ページ
10. 弘道館(こうどうかん)[福山藩]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1288ページ
11. 弘道館(こうどうかん)[谷田部藩]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1280ページ
12. 【弘道館】こうどう(だう)かん(くゎん)
新選漢和辞典Web版
《国》徳川斉昭(なりあき)創設の水戸藩(はん)の学校。
13. こうどうかん【弘道館】
国史大辞典
⇒出石藩(いずしはん),⇒佐賀藩(さがはん),⇒福山藩(ふくやまはん),⇒水戸藩(みとはん)
14. けいこかんあと・こうどうかんあと【稽古館跡・弘道館跡】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
中堀に囲まれた内曲輪の北西端にあり、寛政一一年(一七九九)に稽古館として創立、天保元年(一八三〇)弘道館と改称した。一一代藩主井伊直中は家臣中村千次郎が遺書に藩
15. こうどうかんあと【弘道館跡】兵庫県:出石郡/出石町/出石城下/伊木町
日本歴史地名大系
一坪・建坪二四一坪余の本校舎を建て、古学派の伊藤東所(伊藤仁斎の孫)を招いて開講式を行った。弘道館の校名は「論語」の「人能く道を弘む、道人を弘むるに非ず」から採
16. こうどうかんあと【弘道館跡】広島県:福山市/福山城下/西町
日本歴史地名大系
抜擢して儒者として登用、教育に当たらせている。正倫自らも孔子像を描き弘道館に下している。五代正精はとくに文事に関心をもち、書画にも秀で、弘道館の経営にも力を入れ
17. こうどうかんあと【弘道館跡】佐賀県:佐賀市/佐賀城下/松原小路
日本歴史地名大系
佐賀城下の松原小路の相良十郎大夫の屋敷跡に天明元年(一七八一)九月文武稽古場を建て、同年暮に「弘道館」と命名した。内生寮(寄宿所)・拡充局(一七歳以上の侍・手明
18. 『弘道館記』
日本史年表
1838年〈天保9 戊戌④〉 3・‐ 徳川斉昭、 『弘道館記』 を公表。
19. こうどうかんき[コウダウクヮンキ]【弘道館記】
日本国語大辞典
水戸の藩校弘道館設立の目的と教育の基本方針を述べた書。一巻。徳川斉昭の命により、藤田東湖が起草。天保九年(一八三八)成立。当時の水戸学の真髄を伝える。嘉永五年(
20. こうどうかんき【弘道館記】
国史大辞典
められている。 [参考文献]瀬谷義彦『弘道館記』解題(『日本思想大系』五三)、菊池謙二郎『水戸学論藪』、加藤虎之亮『弘道館記述義小解』、岡村利平『弘道館記述義の
21. 弘道館記述義
日本大百科全書
水戸藩の藩校弘道館の建学の旨意と綱領とを記した藩主徳川斉昭(なりあき)撰(せん)『弘道館記』の解説書。斉昭の命を受け藤田東湖(とうこ)が起草し、会沢正志斎(あい
22. 弘道館記述義
世界大百科事典
藤田東湖の主著の一つ。1847年(弘化4)成稿。2巻。水戸藩の藩校弘道館(1841開館)の建学の趣旨を示した徳川斉昭撰の《弘道館記》(1838成稿)に,その草稿
23. こうどうかんきじゅつぎ【弘道館記述義】
国史大辞典
『日本思想大系』五三所収のものである。 [参考文献]『水戸市史』中三、加藤虎之亮『弘道館記述義小解』、岡村利平『校註弘道館記述義』、同『弘道館記述義の精神と釈義
24. 『弘道館記述義』
日本史年表
1846年〈弘化3 丙午⑤〉 1・30 藤田東湖 『弘道館記述義』 初稿本脱稿。 1849年〈嘉永2 己酉④〉 この年 藤田東湖 『弘道館記述義』 成る。
25. 弘道館御達留(著作ID:849694)
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26. 弘道館学則(著作ID:2553846)
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27. 弘道館学問御吟味御用留(著作ID:849832)
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28. 弘道館学校諸事御用手控(著作ID:849821)
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29. 弘道館学校日記(著作ID:849752)
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30. 弘道館学校役官姓名(著作ID:849898)
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31. 弘道館記(著作ID:1002488)
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32. 弘道館記(著作ID:1002499)
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33. 弘道館記(著作ID:2439294)
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34. 弘道館記考(著作ID:1002502)
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35. 弘道館記述義(著作ID:2584)
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こうどうかんきじゅつぎ 弘道館記講義 弘道館述義 藤田東湖(ふじたとうこ) 教育 
36. 弘道館居学生姓名帳(著作ID:849912)
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37. 弘道館献納書籍目録(著作ID:846435)
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39. 弘道館御慰労留(著作ID:849707)
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40. 弘道館御書物目録(著作ID:1081647)
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41. 弘道館御用留(著作ID:849683)
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こうどうかんごようとめ 記録 
42. 弘道館舎長居学新古姓名順(著作ID:849901)
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43. 弘道館諸申出留(著作ID:849718)
新日本古典籍データベース
こうどうかんしょもうしでとめ 記録 
44. 弘道館書目(著作ID:985375)
新日本古典籍データベース
こうどうかんしょもく 教育 書目 
45. 弘道館述義略解(著作ID:433205)
新日本古典籍データベース
こうどうかんじゅつぎりゃくげ 教育 
46. 弘道館叢書(著作ID:1075929)
新日本古典籍データベース
こうどうかんそうしょ 藤田東湖(ふじたとうこ) 
47. 弘道館手控(著作ID:849763)
新日本古典籍データベース
こうどうかんてびかえ 
48. 弘道館日記(著作ID:849730)
新日本古典籍データベース
こうどうかんにっき 記録 
49. 弘道館年記(著作ID:2439307)
新日本古典籍データベース
こうどうかんねんき 
50. 弘道館梅花詩(著作ID:850635)
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こうどうかんばいかし 漢詩 
「弘道館」の情報だけではなく、「弘道館」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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