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  11. 土方歳三
国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典

国史大辞典
土方歳三
ひじかたとしぞう
一八三五 - 六九
幕末・維新期の新撰組副長・幹部。歳蔵とも書く。天保六年(一八三五)武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)に出生。生家は石田散薬という家伝薬を副業とする旧家。父義醇、六人兄弟の末子。幼時に父母を失い、次兄喜六に育てられ、十一歳で江戸へ奉公に出、のち日野の佐藤彦五郎の居候、家伝石田散薬行商のかたわら、近藤周助(天然理心流)の門弟でもあった彦五郎道場で稽古し、近藤周助の門弟となり、近藤勇と同門となる。のちに江戸試衛館に住み込み師範代となる。文久三年(一八六三)将軍徳川家茂上洛に伴い、幕府が剣術心得あるものを徴募した時、試衛館同人として参加し浪士組として上洛、その後清川八郎ら江戸帰参後、洛外壬生村に本陣をおく新撰組員となる。当初連判十七名の一人。局長芹沢鴨の下で副長の一人となり、芹沢の粛清後は局長近藤勇をたすけ、慶応元年(一八六五)五・六月の改編時、近藤を総長とし副長となる。そして洛中洛外の警備にあたり、池田屋事件で功績をあげ、むやみに人を斬るのをやめ、慶応三年六月の改組でも隊長近藤勇のもとで副長をつとめた。明治元年(一八六八)の鳥羽・伏見の戦では病気の近藤にかわって隊を指揮、敗れて東帰したあと幕府主戦派の一隊と合流し官軍とたたかい敗走した。小山・宇都宮・会津と転戦ののち、仙台より奥羽列藩の脱藩兵とともに箱館へ逃れ、榎本武揚の指揮下に入り、翌二年五月十一日五稜郭で抗戦中に郭外で流れ弾に当って戦死した。三十五歳。墓は日野市石田の石田寺にある。法名歳進院殿誠山義豊大居士。
[参考文献]
平尾道雄『新撰組史録』、子母沢寛『新撰組始末記』(『子母沢寛全集』一)、「殉国志士之事歴 土方歳三義豊」(『史談会速記録』一八三)
(芳賀 登)


日本大百科全書(ニッポニカ)
土方歳三
ひじかたとしぞう
[1835―1869]

幕末の新選組副長。武蔵国(むさしのくに)多摩郡石田村(東京都日野市)に土方義諄(ぎじゅん)の四男に生まれる。近藤勇(こんどういさみ)とともに新選組の実権を握り副長となった。1864年(元治1)の池田屋事件、禁門の変などで近藤を助けて働いた。1868年(慶応4)4月に下総(しもうさ)(千葉県)流山(ながれやま)で近藤と別れ、以後、宇都宮、今市(いまいち)、会津(あいづ)で官軍と戦った。仙台から榎本武揚(えのもとたけあき)の軍艦に同乗し、11月箱館(はこだて)五稜郭(ごりょうかく)を占領し陸軍奉行並(ぶぎょうなみ)となった。明治2年5月11日、箱館一本木で戦死。年35。墓は日野市石田の石田寺にある。
[小島政孝]



改訂新版 世界大百科事典
土方歳三
ひじかたとしぞう
1835-69(天保6-明治2)

新撰組副長。武蔵国多摩郡石田村の土方隼人の四男に生まれる。近藤勇と同郷でともに天然理心流剣道近藤周助の門弟。江戸幕府が関東近在において剣術に心得ある者を徴募すると近藤らとともに応じ,1863年(文久3)春に上洛した。京都郊外壬生(みぶ)村に本陣を置き,清川八郎らの東帰後も京都に残り,京都守護職松平容保(かたもり)の下に新撰組結成に参加,尊攘討幕運動の警戒にあたる。初代組長芹沢鴨暗殺後,近藤が2代目組長になると副長となり,新撰組の組織強化につとめた。68年(明治1)鳥羽・伏見の戦には病気の近藤に代わって隊を指揮するが,敗れて江戸に逃れる。甲陽鎮撫隊と改称して甲州勝沼で官軍と戦って敗れ,下総の流山に屯集。近藤の捕縛後は幕府の主戦派に合流し,結城,宇都宮,会津などを転戦し,さらに仙台から箱館に逃れ,榎本武揚の指揮下で抗戦するが,翌69年5月五稜郭の戦争で流れ弾に当たり戦死した。
[高木 俊輔]

[索引語]
近藤勇
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検索コンテンツ
1. 土方歳三画像
日本大百科全書
幕末の新選組副長。武蔵国(むさしのくに)多摩郡石田村(東京都日野市)に土方義諄(ぎじゅん)の四男に生まれる。近藤勇(こんどういさみ)とともに新選組の実権を握り副
2. 土方歳三[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
3. 土方歳三
世界大百科事典
1835-69(天保6-明治2) 新撰組副長。武蔵国多摩郡石田村の土方隼人の四男に生まれる。近藤勇と同郷でともに天然理心流剣道近藤周助の門弟。江戸幕府が関東近在
4. ひじかた‐としぞう【土方歳三】
日本国語大辞典
幕末新撰組の副長。武蔵国石田村(東京都日野市)の人。文久三年(一八六三)新撰組に加わり、近藤勇とともに実権を握った。鳥羽伏見の戦いに敗れたのち東下して転戦、榎本
5. ひじかたとしぞう【土方歳三】
国史大辞典
[参考文献]平尾道雄『新撰組史録』、子母沢寛『新撰組始末記』(『子母沢寛全集』一)、「殉国志士之事歴 土方歳三義豊」(『史談会速記録』一八三) (芳賀 登)
6. ひじかた-としぞう【土方歳三】画像
日本人名大辞典
1835−1869 幕末の武士。天保(てんぽう)6年生まれ。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)の農家の出身。近藤周助に天然理心流の剣術をまなぶ。文久3年(1863)
7. 土方歳三[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:1件 【逐次刊行物】:4件 『近藤勇と土方歳三』尾佐竹猛『清川八郎・近藤勇と土方歳三』-『近藤勇土方義豊碑銘』江戸浪人『殉国志士之事歴 土方歳三義豊』
8. いしだむら【石田村】東京都:日野市地図
日本歴史地名大系
慶心が同地にあった観音堂の別当職となって一宇を建立したという(風土記稿)。新選組副長を勤めた土方歳三は当村の出身で、現在は生家跡に土方資料館がある。菩提寺は高幡
9. いつぽんぎちよう【一本木町】北海道:渡島支庁/函館市/旧函館区地区/函館
日本歴史地名大系
榎本軍が当地に関門を建てて箱館へ出入りの者を改めた(箱館軍記)。明治二年五月一一日の市街戦中に土方歳三はこの付近で戦死したといわれている。同六年八月に若松町と改
10. いとう-きねたろう【伊東甲子太郎】
日本人名大辞典
をまなび,その家督をつぐ。元治(げんじ)元年新選組にはいり参謀となったが,長州攻めをめぐって土方歳三(ひじかた-としぞう)らと対立して脱隊。大久保利通ら薩長の藩
11. いんないむら【院内村】福島県:会津若松市/旧東山村地区
日本歴史地名大系
雁用水とも)が流れる。松平家御廟の峰続きに新撰組隊長近藤勇の墓がある。この墓は副隊長であった土方歳三が建立したと伝える。会津武家屋敷内にある旧中畑陣屋主屋は県指
12. おおさわむら【大沢村】東京都:三鷹市地図
日本歴史地名大系
れ、天然理心流の剣道道場を開いていた近藤家の養子となった近藤勇は、文久三年(一八六三)同門の土方歳三らと京都に行き、新撰組を組織、局長として勇名を馳せた。幕府軍
13. おりのはま【折浜】宮城県:石巻市
日本歴史地名大系
石巻村住吉町の豪商毛利屋利兵衛が自費調達、渡波まで陸送した二十数万点の艦隊用の米・薪・油・塩は、土方歳三により、渡波から折浜まで海上輸送され、一〇月七日積込み完
14. 片岡愛之助
イミダス 2018
巧みに演じ、関西の歌舞伎界で注目されるようになる。また、2006年にNHK時代劇「新選組!!~土方歳三最期の一日~」に出演するなど、歌舞伎以外の分野でも活躍。0
15. かつくみ【川汲】北海道:渡島支庁/南茅部町/尾札部村
日本歴史地名大系
月二九日・五月一日条など)。明治元年(一八六八)一〇月旧幕府脱走軍が鷲ノ木(現森町)に上陸、土方歳三率いる支隊四〇〇人余は海岸沿いに川汲に至り川汲温泉で政府軍と
16. かつくみおんせん【川汲温泉】北海道:渡島支庁/南茅部町/尾札部村
日本歴史地名大系
視察のため来村、川汲温泉に泊っている(玉虫「入北記」同年四月二九日条)。明治元年(一八六八)一〇月、土方歳三率いる旧幕府脱走支隊四〇〇余名が鷲ノ木(現森町)から
17. 加波山事件 民権派激挙の記録 89ページ
東洋文庫
命ぜらる。(清川はこの年四月十三日、赤羽で横死する。)この時、清河と意見を異にする芹沢鴨・近藤勇・土方歳三ら十三人は東帰を拒んで「新選組」を結成、やがて京都守護
18. 京都守護職始末 1 旧会津藩老臣の手記 88ページ
東洋文庫
のに驚き、三月、英艦横浜渡来を理由に、清川ら二百人を江戸に帰らせた。しかし近藤勇(昌宜)、芹沢鴨、土方歳三らは、清川と意見がちがっていたので、そのまま滞京し、京
19. 清川八郎[文献目録]
日本人物文献目録
清河八郎君国事鞅掌の事実』俣野時中『清河八郎君国事尽力の来歴』斎藤治兵衛『清川八郎・近藤勇と土方歳三』-『清川八郎氏の事蹟及び石坂君と共に国事に尽力せられし実歴
20. 清河八郎
日本大百科全書
て上洛(じょうらく)し、その中心人物であったが、幕府に反して尊攘を主張して近藤勇(いさみ)・土方歳三(ひじかたとしぞう)らと対立、東帰を命ぜられた。江戸に帰って
21. こんごうじ【金剛寺】東京都:日野市/高幡村地図
日本歴史地名大系
財に指定されるなど、数多くの文化財・美術品・歴史資料を所蔵している。境内には新選組の近藤勇と土方歳三の事跡を讃えた殉節両雄之碑がある。
22. 近藤勇画像
日本大百科全書
結んだ。1863年(文久3)2月将軍徳川家茂(いえもち)上洛(じょうらく)に先んじて、門下の土方歳三(ひじかたとしぞう)、沖田総司(そうじ)、山南啓助(やまなみ
23. 近藤勇
世界大百科事典
学び,1849年(嘉永2)その養子となる。63年(文久3)将軍徳川家茂の上洛にあたり幕府が募った浪士隊に同門の土方歳三,沖田総司,永倉新八らと加わった。上洛した
24. こんどういさみ【近藤勇】
国史大辞典
将軍の列外警衛として先発西上させた。その中に、勇は養父の門下であった一門の有志十余人、すなわち土方歳三・沖田総司・永倉新八らとともに平隊員として参加した。浪士隊
25. こんどういさみ【近藤勇】
日本架空伝承人名事典
その養子となり宗家を継ぐ。将軍家茂の上洛に際し、その警護にあたった浪士隊に加わり、のちに同門の土方歳三らと新撰組を結成。京都守護職の支配の下、尊攘派の弾圧を行っ
26. 近藤勇[文献目録]
日本人物文献目録
1』近世名将言行録刊行会(編)『歴史の人物を抉る』田村栄太郎『近藤勇と土方歳三』尾佐竹猛『清川八郎、近藤勇と土方歳三』-『近藤勇』平尾道雄『近藤勇と原田佐之助
27. 五稜郭の戦
世界大百科事典
松平太郎副総裁,荒井郁之助海軍奉行,大鳥圭介陸軍奉行,永井尚志箱館奉行,人見勝太郎松前奉行,土方歳三陸軍奉行並などからなる蝦夷島政権を樹立し,箱館の堅塁五稜郭を
28. ごりようかくあと【五稜郭跡】北海道:渡島支庁/函館市/旧亀田村地区/亀田村
日本歴史地名大系
など八隻の艦船で品川沖を脱出、途中仙台藩領松島湾で会津戦争で敗れた旧幕臣大鳥圭介(伝習隊)・土方歳三(新撰組)・人見勝太郎(遊撃隊)・古屋佐久左衛門(衝鋒隊)な
29. さとう-ひこごろう【佐藤彦五郎】
日本人名大辞典
1827−1902 幕末-明治時代の政治家。文政10年9月25日生まれ。妻は土方歳三(ひじかた-としぞう)の姉。武蔵(むさし)日野(東京都)の名主。嘉永(かえい
30. 三銃士
世界大百科事典
り早い時期から翻訳・翻案されているが,前田曙山の《落花の舞》の中で,新選組の近藤勇,芹沢鴨,土方歳三が上洛するくだりは,この《三銃士》を下敷きにしたといわれてい
31. しりうちむら【知内村】北海道:渡島支庁/知内町
日本歴史地名大系
付近に若干のアイヌの家があった(知内町史)。〔近代〕明治元年の箱館戦争では知内も戦場になり、土方歳三が知内で野営したときに松前藩の軍勢と戦っている(殉節両雄の碑
32. 新撰(選)組
世界大百科事典
ぶ動きをしたため,同年3月に江戸へ呼び戻された。このとき,なおも京都に残った芹沢鴨,近藤勇,土方歳三らは,京都守護職松平容保の支配下に入り,ひきつづき京都郊外の
33. しんせん‐ぐみ【新撰組・新選組】
日本国語大辞典
配と庇護のもとに組織を再建、新撰組と名づけた。間もなく内紛のため芹沢は斬られ、以後、近藤勇、土方歳三が隊長、副隊長として実権を握り、尊攘・討幕派志士浪士の弾圧に
34. しんせんぐみ【新〓組】
国史大辞典
清河八郎・山岡鉄太郎(鉄舟)・松岡万が豊信に召見され、石坂周造・池田徳太郎が奔走し、近藤勇・土方歳三らが参加し、文久三年二月には三百名も集まり、浪士組を編成し、
35. 新選組
日本大百科全書
結成し、京の治安維持に努めた。芹沢は近藤によって同年9月18日に暗殺され、以後近藤(組長)、土方歳三(ひじかたとしぞう)(副長)が実権を握り、尊攘・討幕派の弾圧
36. しんせんぐみみぶとんしょあと【新撰組壬生屯所跡】京都市:中京区/壬生村地図
日本歴史地名大系
が、幕府はなんら京都警固につけぬまま江戸に戻した。ところが、八木宅に分宿した芹沢鴨・近藤勇・土方歳三らは残留。京都守護職松平容保に採用され、「新撰組」を名乗り京
37. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 277ページ
東洋文庫
候や。また 彰義隊を御還しありしは、その過激を避け給える ために候や。 遊撃隊および新選組(土方歳三(義豊)これを率いたりと覚ゆ)は召し連れしかと思えど、彰義隊
38. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 19ページ
東洋文庫
岩倉遣外使節にも随行。のち元老院議官.枢密顧問官となった。 肥後 →松平容保 肥後守 →松平容保 土方歳三 1835-69幕臣。武蔵多摩川の人。近藤勇とともに天
39. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 9ページ
東洋文庫
武蔵多摩川の人。旧姓宮川。近藤周助に天然理心流を学び,家名をつぐ。1863(文久3)年幕府の浪士募集に土方歳三らと応じ,京都壬生に屯し,のち新選組を組織して隊長
40. 芹沢鴨
世界大百科事典
わり,翌年2月京都へ上る。尊王攘夷を説く清川八郎らが江戸に戻されたのちも京都に残留,近藤勇,土方歳三らと新撰組を結成しその隊長となる。尊攘派志士弾圧に力をふるう
41. せりざわかも【芹沢鴨】
国史大辞典
つくらせようと角屋その他を脅迫するなど、その乱行のために、ついに文久三年九月十六日芹沢鴨は近藤派の沖田総司・土方歳三により妾梅とともに暗殺された。 [参考文献]
42. 高幡不動画像
日本大百科全書
不動堂は1342年、仁王門は室町末期の建立で、ともに国の重要文化財に指定されている。境内には近藤勇(いさみ)・土方歳三(ひじかたとしぞう)の碑や芭蕉(ばしょう)
43. たけ‐お[‥を]【猛男・猛夫・丈夫】
日本国語大辞典
ケヲ)に御酒たてまつる〈多治比鷹主〉」*黒潮〔1902~05〕〈徳富蘆花〉一・二・二「近藤勇土方歳三等の猛夫(タケヲ)を取しづめ」タケヲ
44. 田本研造
日本大百科全書
より、写真師として活動を始めた。箱館戦争(1869)で新政府軍と戦った榎本武揚(たけあき)、土方歳三(ひじかたとしぞう)の当時の肖像として知られている写真や、函
45. 天然理心流
日本大百科全書
なかったという。4代勇は1862年(文久2)幕府の浪士徴募に応じて、門人沖田総司(そうじ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)ら7名とともに上洛(じょうらく)、のちに
46. 徳川慶喜公伝 4 240ページ
東洋文庫
切らず。十一目元陸軍奉行大鳥圭介(純彰)は、同志二百余人を率みて下総市川に集合し、流山の余党土方歳三・山瀬司馬等を合はせて総勢二千余人、伝習第一大隊・第二大隊・
47. 徳川慶喜公伝 4 257ページ
東洋文庫
に宛て瓦同盟の趣意を説明せり(七年史。仙台戊辰史。稲葉家書類)。此に於て那須野なる大鳥圭介・土方歳三等の脱兵、林昌之助部下の箱根脱兵、又は彰義隊の残兵等、会津を
48. 徳川慶喜公伝 4 264ページ
東洋文庫
海軍奉行には荒井郁之助、陸軍奉行には大鳥圭介、海陸裁判官には竹中丹後・今井信郎、陸軍奉行並には土方歳三、箱館奉行には永井玄蕃、松前奉行には人見勝太郎、江差奉行に
49. 徳川慶喜公伝 2 163ページ
東洋文庫
此月十五日始めて隊号を立て、新徴組と名づく、後庄内藩に属ぜり)。同じ隊士の中にても、芹沢鴨・近藤勇(昌宜)土方歳三等(広沢安任手記・京都守護職始末には二十余人と
50. とく‐しょう[‥シャウ]【督将】
日本国語大辞典
〔名〕軍隊で、全軍を率いる将軍。*近世紀聞〔1875~81〕〈染崎延房〉一一・二「則ち土方歳三を督将(トクシャウ)とし隊長渋沢成一郎星恂太郎春日左衛門等の兵七百
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一八五二 - 一九三四 明治から昭和時代前期にかけての彫刻家。嘉永五年(一八五二)二月十八日、江戸下谷北清島町(東京都台東区東上野)に生まれる。旧姓は中島、父は兼松。幼名を光蔵といった。文久三年(一八六三)十二歳のとき
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