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  11. 龍潭寺
日本歴史地名大系

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りようたんじ

[現]引佐町井伊谷

県道引佐―舘山寺かんざんじ線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)気賀けが関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄じじよう院と改号したという。現在地の三〇〇メートル南の田甫に字地蔵寺じぞうじの地名が今も残る。近江彦根藩井伊氏の始祖とされる共保は、寛弘七年(一〇一〇)の元旦に自浄院に近い八幡宮(現渭伊神社)の御手洗井の中より出生し、同寺で産湯を使い、産粥をもって養育されたと伝える(「井伊家伝記」龍潭寺蔵)。寛治七年(一〇九三)共保は没し、自浄院殿行輝寂名の法号をもつ墓碑が当寺にある。元中二年(一三八五)八月一〇日、後醍醐天皇の皇子宗良親王が井伊氏の館で没し、当寺の後背地で香火に付され、冷湛寺殿と号されたという。これにより寺号を冷湛れいたん寺と改めたと前掲縁寿録などが伝える。なお前述の寺伝を、地蔵寺を前身とするものと冷湛寺に始まるとみるという二つの説と解釈する見解もある。ただし確実なところでは、天文年間(一五三二―五五)に井伊谷城主井伊直平が井伊氏の菩提寺であった自浄院に文叔瑞郁を招き、井伊直盛が文叔の後継であった黙宗瑞淵を開山として龍泰りようたい寺とし、のち龍潭寺と改めたことに始まる(「勅諡円照真覚禅師文叔大和尚略伝」竜門寺蔵、「開山黙宗大和尚行実」龍潭寺蔵)

永禄三年(一五六〇)八月五日、今川氏真は当寺に井伊直盛の菩提所として寄進された寺領を安堵するとともに、直盛私所ならびに無縁所(世俗の私的支配に拘束されない聖域)であることを理由に不入として諸役を免除し、祠堂銭や買地などは徳政の対象外と定めている(「今川氏真判物」龍潭寺文書)。同八年九月一五日には井伊直虎が当寺を父直盛の菩提所として寺領・買地・祠堂銭などの安堵と諸役免除を与えている(「井伊直虎置文」同文書)。天正一四年(一五八六)九月七日には徳川家康が同じく寺領安堵と諸役免除などを定めた(「徳川家康判物写」同文書)。同一八年と推定される一月一三日には、豊臣秀次が当寺の使僧に対して料紙五〇帖の礼を述べている(「豊臣秀次朱印状」同文書)。当寺は金融や土地取引にも積極的に関与していた。弘治二年(一五五六)四月、勝楽しようらく寺隆俊は大日堂造営のため「龍泰寺」から祠堂銭を借用し(「隆俊利銭借請状」同文書)、永禄三年三月一日には費用を用立ててもらった礼として屋敷などを寄進・売却している(「井伊直盛・隆俊連署状」同文書)。天正三年二月には寺内の市蔵主屋敷を祝田大藤ほうだだいとう(現細江町)の屋敷と交換している(同一七年四月二〇日「瑠聞証文」同文書)。同一七年四月には徳川家により検地が行われ、その時の龍潭寺領検地帳(同文書)によると、寺領は田畠四町六反大七六歩、屋敷六千八八七坪、ほかに末寺の大藤寺分と報恩ほうおん(現浜北市)分も記されている。同一八年一二月二六日、豊臣秀吉が大藤寺分・報恩寺分を合せた寺領九六石余を安堵しており(「豊臣秀吉朱印状案」同文書)、以後徳川将軍家もこれを安堵した(「寛文朱印留」など)

第九世祖山は井伊家伝記(龍潭寺蔵)を著して、当地における井伊氏の事跡を伝えている。塔頭として桃渓とうけい院・実心じつしん院・自浄院・久昌きゆうしよう院・松岳しようがく院・隠龍いんりよう院があったが、いずれも明治初期に廃寺となる。現本堂は延宝四年(一六七六)、開山堂は元禄一五年(一七〇二)、庫裏は文化一二年(一八一五)の建立で、これらを含む伽藍六棟(附棟札六枚・山号額一枚)は県指定文化財。井伊家御影堂は寛保二年(一七四二)の建立。境内に井伊氏歴代の墓、井伊谷三人衆の一人である近藤康用の墓などがある。小堀遠州作と伝える方丈裏庭園(龍潭寺庭園)は池泉観賞式庭園で、国指定名勝。寺宝の金沢文庫本宋版錦繍万花谷三冊は国指定重要文化財、紙本金地著色遊楽図六曲屏風は県指定文化財。

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1. りゅうたんじ【竜潭寺】愛知県:名古屋市/中川区/野田村
日本歴史地名大系
[現]中川区野田町 寺腰 医王山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来像。草創は不詳であるが、寺伝によれば康正元年(一四五五)(一説に文明一一年)僧錦渓の創建になるという ...
2. りゅうたんじ【竜潭寺】愛知県:岩倉市/岩倉村
日本歴史地名大系
[現]岩倉市本町 天保一五年(一八四四)の上市場家並絵図(大野国一氏蔵)によれば、犬山街道が北から東へL字形に折れる角から西へ「門前道」があり、道の両側は家並で ...
3. 龍潭寺画像
日本大百科全書
静岡県浜松市北区引佐(いなさ)町井伊谷にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。萬松山(ばんしょうざん)と号する。本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)。733年(天 ...
4. りょうたんじ【龍潭寺】静岡県:引佐郡/引佐町/井伊谷村
日本歴史地名大系
井伊直盛が文叔の後継であった黙宗瑞淵を開山として龍泰寺とし、のち龍潭寺と改めたことに始まる(「勅諡円照真覚禅師文叔大和尚略伝」竜門寺蔵、「開山黙宗大和尚行実」龍 ...
5. りょうたんじ【龍潭寺】滋賀県:彦根市/旧犬上郡地区/佐和村
日本歴史地名大系
井伊家は井伊谷(現静岡県引佐町)を本貫とする家系で(寛政重修諸家譜)、井伊谷にも井伊氏菩提寺の龍潭寺がある。元和三年井伊谷龍潭寺五世昊天を迎えて建立されたのが当 ...
6. りょうたんじ【竜潭寺】京都府:亀岡市/太田村
日本歴史地名大系
創設したのに始まり、のち雪江の弟子特芳がここに住み、丹波守護細川氏の家老松井越前守宗信の外護で堂宇を再建、竜潭寺と改名、特芳を開山としたという。細川氏により寺領 ...
7. 龍潭寺
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市にある寺院。733年創建。臨済宗妙心寺派。本尊は虚空蔵大菩薩。井伊家代々の位牌を祀る。庭園は小堀遠州作で国の名勝に指定。 2015年06月 ...
8. 龍潭寺(りょうたんじ)
デジタル大辞泉プラス
滋賀県彦根市にある寺院。宗派は臨済宗妙心寺派、本尊は楊柳観世音菩薩、釈迦如来。733年に行基が遠江国に開基。1600年に現地に移築、開山。 2015年10月 ...
9. 龍潭寺庭園[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
龍潭寺(りょうたんじ)の本堂(写真左)北側に広がる池泉観賞式庭園。遠州流茶道の開祖小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作といわれる。春のサツキ、秋の紅葉など、四季折々 ...
10. あざぶほんむらちよう【麻布本村町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
)、円沢寺(現曹洞宗)、曹渓寺(現臨済宗妙心寺派)、徳養寺・春桃院・東福寺・天真寺・延命院・竜潭寺・竜穏寺宿寺・妙行寺の寺地、麻布村百姓地を合併した。土浦藩邸の ...
11. いいごう・いいほ・いいのしょう【井伊郷・井伊保・井伊庄】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
企てたとして朝比奈泰朝に討たれ、井伊氏の領主支配は動揺した。当地の由緒ある寺社としては、井伊谷の龍潭寺・井伊谷八幡宮(現渭伊神社)、奥山の方広寺が知られる。井伊 ...
12. いいじんじゃ【渭伊神社】静岡県:引佐郡/引佐町/神宮寺村
日本歴史地名大系
当社は井伊谷八幡宮または単に八幡宮とも通称される。八幡宮は井伊氏の氏神といわれ、初め七〇〇メートル南東の現在の龍潭寺の位置にあり、享禄年中(一五二八―三二)に渭 ...
13. いいのや【井伊谷】
国史大辞典
地を分知し、旗本井伊谷五近藤を創出していった。ここにある井伊谷宮は宗良親王をまつり、また名刹竜潭寺には小堀遠州作といわれる国指定名勝の庭園がある。 [参考文献] ...
14. いいのやぐう【井伊谷宮】
国史大辞典
早くから井伊谷を終焉地とする伝えがあり、寛保二年(一七四二)八月、信濃国伊那郡の旗本知久頼久が井伊谷の竜潭寺境内に親王の宝篋印塔の墓石を造った。墓銘に「冷湛寺殿 ...
15. いいのやぐう【井伊谷宮】静岡県:引佐郡/引佐町/井伊谷村
日本歴史地名大系
[現]引佐町井伊谷 神宮寺川右岸に位置し、南に龍潭寺がある。祭神は後醍醐天皇皇子の宗良親王。旧官幣中社。明治元年(一八六八)明治新政府は神祇官を復活し山陵の修復 ...
16. いいのやむら【井伊谷村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
徳川氏が支配を回復し、天正一七年(一五八九)四月に龍潭寺領、翌年一月には「井伊谷之内」の三岳村・久留女木村・渋川村の検地を実施した(「龍潭寺領検地帳」龍潭寺文書 ...
17. いだいらむら【伊平村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
伊平村古記」野末家文書)。元和元年(一六一五)には高二六二石余、田一六町二反余・畑八町七反(龍潭寺文書)。正保郷帳では田方一八六石余・畑方七五石余・山高八石、旗 ...
18. いちのむら【市野村】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区
日本歴史地名大系
通の経路とされたため、宿機能は衰退した(同諸用記)。ただしその後も彦根藩井伊家や旗本近藤家、龍潭寺・方広寺(現引佐町)、鳳来寺(現愛知県鳳来町)などの通行のため ...
19. 引佐画像
日本大百科全書
美しい自然景観に恵まれ、国指定重要文化財の七尊菩薩(ぼさつ)堂がある奥山方広寺(おくやまほうこうじ)、龍潭寺(りょうたんじ)(井伊家の菩提寺(ぼだいじ))庭園( ...
20. いなさぐん【引佐郡】静岡県
日本歴史地名大系
天正一五年に郷内に吉村新宿が設置され、中村与太夫を代官として開発が進められた。郡内の寺社としては、井伊谷の龍潭寺、奥山の方広寺(現引佐町)が古刹として知られるほ ...
21. いわくらむら【岩倉村】愛知県:岩倉市
日本歴史地名大系
信安の夫人秋悦殿建立の浄土宗知徳山誓願寺、当村の竜潭寺末で明応五年・大永元年(一五二一)・永禄元年(一五五八)と開基に諸説のある吉祥寺、竜潭寺末で大永三年開基の ...
22. うめがたいらむら【梅ヶ平村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
し、東は四方浄村、西は的場村。梅平とも記される。天正一七年(一五八九)に没した龍潭寺二世南渓自筆の過去帳(龍潭寺文書)に「妙金禅尼・入牌、梅平」とある。元和元年 ...
23. えいぜん‐し【営繕司】
日本国語大辞典
諸官庁の建築工事を担当した役所。*第一五八‐明治二年〔1869〕二月一三日(法令全書)「鎌倉大塔宮御社遠江国竜潭寺宗良親王御社御創営掛り其官営繕司へ被 ...
24. えんつうじ【円通寺】愛知県:西春日井郡/師勝町/片場村
日本歴史地名大系
開基は有応、開山は竜潭寺(現岩倉市)三世桂峯文昌。当初は曹洞宗であったが、慶長―元和(一五九六―一六二四)頃には天台宗であったという。その後、平僧地になっていた ...
25. おおかむら【大岡村】滋賀県:犬上郡/多賀町
日本歴史地名大系
慶長高辻帳に高二四五石余とある。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男八六・女一〇一、寺社方男一・女三。彦根龍潭寺記録によれば、享和元年(一八〇一)栗栖村道のべ谷をめ ...
26. おおたむら【太田村】京都府:亀岡市
日本歴史地名大系
芋を作った。村の北の丘陵に中世の太田城跡がある。城主は明らかではないが、「桑下漫録」に村内の竜潭寺に丹波守護家細川氏の家老松井越前守宗信が隠退し、松井氏代々の館 ...
27. おくやまじょうあと【奥山城跡】静岡県:引佐郡/引佐町/奥山村
日本歴史地名大系
城へ移り、三岳城が落城した暦応三年(一三四〇)には奥山城も落城したとみられる。奥山家古代記(龍潭寺蔵)は東西三七間・南北二五間のほぼ方形の城跡見取図を載せている ...
28. おくやまむら【奥山村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
門太郎を名乗って当村字中村に居住、朝清は正和元年(一三一二)に没したという(「奥山家古代記」龍潭寺蔵)。字馬門の臨済宗方広寺派正法寺に奥山氏の墓所がある。元和元 ...
29. 海游録 朝鮮通信使の日本紀行 150ページ
東洋文庫
。 夜、諸文士と唱和す。僧あり、名を素盈、号を燐渓という。みずから言うところによれば、彦根山竜潭寺にあり、市をへだたることわずかの距離という。法統は臨済宗派三十 ...
30. かなさしむら【金指村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
れた(「遠州往来」安間家文書)。宝永四年(一七〇七)からは気賀宿(現細江町)の助郷を勤めた(龍潭寺文書)。寛政五年(一七九三)の家数一一〇・人数四九七(山本家文 ...
31. かもうじょうあと【蒲生城跡】鹿児島県:姶良郡/蒲生町/久末村
日本歴史地名大系
おり、巨大な施設があったと推定されている。本丸の北東緩斜面には古御仮屋跡・長谷観音・弓場跡・竜潭寺跡等があり、古三の丸とよばれている。南側に大手門のある岩城の北 ...
32. かりしゅくむら【狩宿村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
したことに由来すると伝える。元和元年(一六一五)には高八一石余、田五町三反余・畑一町九反余(龍潭寺文書)。正保郷帳に借宿村とみえ、田方六四石余・畑方一六石余・山 ...
33. かわなむら【川名村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
定書写」御庫本古文書纂)。元和元年(一六一五)には高一八〇石余、田九町五反余・畑八町一反余(龍潭寺文書)。正保郷帳では田方一一二石余・畑方六八石余・山高七石、旗 ...
34. かわのいしうら【川之石浦】愛媛県:西宇和郡/保内町
日本歴史地名大系
その後八幡浜市・三瓶町に繁栄を奪われた。当浦の東江山竜潭寺は臨済宗妙心寺派、本尊阿弥陀如来。古くは海蔵寺といったが寛文二年、八幡浜の大法寺を創営した徹伝がここに ...
35. ぎょくりんじ【玉林寺】愛知県:小牧市/村中村
日本歴史地名大系
、この寺を二分し、一つは小牧村に、一つを村中村に置いた。「寛文覚書」には岩倉村(現岩倉市)の竜潭寺の末寺と記され「寺内四畝拾六歩 備前検除」とある。当寺の本尊は ...
36. くるめきむら【久留女木村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
少し分けてほしいと伝えている。また天文二三年四月六日に没した龍潭寺開山の黙宗瑞淵の本貫地は「久留目木郷」であったという(「開山黙宗大和尚行実」龍潭寺蔵)。天正一 ...
37. くろだむら【黒田村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
反余(龍潭寺文書)。正保郷帳では田方一〇三石余・畑方三〇石余・山高五石、旗本金指近藤領。領主は変化なく幕末に至る。宝永四年(一七〇七)から本坂通気賀宿(現細江町 ...
38. くろぶちむら【黒淵村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
[現]引佐町黒渕 神宮寺川下流域にあり、東は横尾村、西は栃窪村。天正一七年(一五八九)に没した龍潭寺南渓自筆の過去帳(龍潭寺文書)に「心叟成江沙弥、黒淵」とある ...
39. こうつうじ【光通寺】愛知県:名古屋市/西区/比良村
日本歴史地名大系
[現]西区山田町比良 城屋敷 長寿山と号し、曹洞宗。本尊十一面観世音菩薩。竜潭寺(現岩倉市)の六世養室源育が寛永二年(一六二五)に開基した(徇行記)。中興開山は ...
40. 西遊草 清河八郎旅中記 54ページ
東洋文庫
の高弟となり、ついで岩倉(愛知県丹羽郡岩倉町)の竜潭寺の住職に挙げられ、四、五年前に転じて志を遂げてこの寺の住持にのぼられたのである。仏道などは儒学を修める自分 ...
41. さわむら【佐和村】滋賀県:彦根市/旧犬上郡地区
日本歴史地名大系
地二一町余。古沢町域の佐和山には、彦根藩主井伊家歴代の祖霊を祀る井伊神社のほか大洞弁財天堂・龍潭寺・清凉寺などがある。千代神社も長くこの地にあったが、昭和四一年 ...
42. しき‐せん【敷銭】
日本国語大辞典
御所望之間、遣置候処実正也」(3)永代売買の代金。*龍潭寺文書‐永祿八年〔1565〕九月一五日・井伊次郎法師黒印状(静岡県史料・五)「勝楽寺山為 ...
43. しとくせい【私徳政】
国史大辞典
出来〓」(『竜潭寺文書』)のように、「天下一同之徳政」「国次(くになみ)之徳政」(「一国平均之徳政」)に対して、 ...
44. しぶかわむら【渋川村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
禁じている。寛文年中(一六六一―七三)以降に東光院の住持が書いたと推定される井伊家渋川村古跡之事(龍潭寺文書)によると、当村に居住した井伊直之(法名前遠州大守温 ...
45. しほうじょうむら【四方浄村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
獺淵川の中流に位置し、東は別所村。元和元年(一六一五)には高二八石、田二町一反余・畑四反余(龍潭寺文書)。正保郷帳では田方二五石余・畑方三石余、旗本金指近藤領。 ...
46. しもぎゅうとくむら【下久徳村】鹿児島県:姶良郡/蒲生町
日本歴史地名大系
当村のうちの千手院(寺地は一反余)・長谷寺(同六反余)・竜潭寺(同一反余)がみえる。廃寺後の明治二年(一八六九)には千手院は寺高七石・寺地一反余・祠堂金一〇貫、 ...
47. しらいわむら【白岩村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
みられ、村名の由来となっている。元和元年(一六一五)には高七五石余、田四反余・畑八町九反余(龍潭寺文書)。正保郷帳では田方六石余・畑方六九石余、旗本金指近藤領。 ...
48. じんぐうじむら【神宮寺村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
地蔵寺はかつての地蔵寺(龍潭寺の前身という)の所在地といわれ、井伊氏始祖共保の誕生譚を伝える出生井がある。永禄三年(一五六〇)三月一日の井伊直盛・勝楽寺隆俊連署 ...
49. せいりようじ【清凉寺】滋賀県:彦根市/旧犬上郡地区/佐和村
日本歴史地名大系
[現]彦根市古沢町 佐和山の西麓に位置し、その北に龍潭寺・井伊神社・大洞弁財天堂と旧彦根藩主井伊家にゆかりの深い寺社が並ぶ。祥寿山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。 ...
50. ぜんとくじあと【善得寺跡】静岡県:富士市/旧吉原市・鷹岡町地区/今泉村
日本歴史地名大系
、元亀三年(一五七二)義元の十三年忌仏事を久翁寺(現小田原市)で執り行っている(「記事諸余」龍潭寺蔵)。天正一〇年一二月六日家康は「善得寺分本領内五拾貫文」の地 ...
「龍潭寺」の情報だけではなく、「龍潭寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
法隆寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
龍潭寺(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。県道引佐―舘山寺(かんざんじ)線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)に気賀(けが)関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄(じじよう)院と改号した
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
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