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  11. 知恩院
改訂新版・世界大百科事典

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知恩院
ちおんいん

京都市東山区にある浄土宗の総本山。華頂山大谷寺と号し,知恩教院ともいう。浄土宗の開祖法然が晩年に住んだ〈大谷の禅房〉に始まる。1212年(建暦2)法然が没すると,弟子らは禅房の東崖上に廟堂(びようどう)(墓)を造り,法然の御影(みえい)(像)を置き,法然の命日にはこの廟堂で法然の遺徳を讃嘆する〈知恩講〉を営んだ。27年(安貞1)専修念仏の隆盛をねたむ延暦寺の衆徒によって廟堂が破壊されたが,法然の弟子の源智が修復した。祖師入滅の霊跡として,法然の御影をまつる廟堂として,念仏者すべての心のよりどころであったから,やがて法然を宗祖と仰ぐ浄土宗教団の中心的寺院となっていく。8世如空(によくう)は法然の伝記の集成をこころざし,弟子の舜昌(のち9世となる)に《法然上人絵伝》48巻を完成させた。1431年(永享3)火災にかかり,20世空禅は1人1文ずつ48万人を勧進(かんじん)する方法で浄財を集めて再建したが,応仁の乱が起こり,68年(応仁2)兵火に焼けたので,22世珠琳(しゆりん)は法然の御影などの霊宝をもって近江の伊香立(いかだち)に避難した(のち新知恩院となる)。乱後,珠琳は京都にもどり,堂舎の復興につとめ,88年(長享2)ほぼこれを成し遂げ,青〓院の尊応准后(じゆごう)から寺地所領を安堵されている。珠琳はまた後土御門天皇,後柏原天皇の帰依をうけ,しばしば宮中に出入りした。知恩院が勅願所となって,皇室との関係を深めるのはこのころからである。1523年(大永3)知恩寺(百万遍)との間で浄土宗の本山たる地位をめぐる争いが起きたのは,ようやく知恩院が地歩を固めてきたことを示す。係争は1575年(天正3)に,知恩院が浄土宗の本寺であり,香衣着用の勅許は知恩院よりの執奏(しつそう)によることを定めた綸旨(りんじ)が出されて,一応の結着をみた。

 29世尊照は徳川家康の帰依をうけ,知恩院の発展につとめた。家康は,1603年(慶長8)伽藍の拡張工事を行い,07年宮門跡を置き,15年(元和1)浄土宗法度を定めた。ここに知恩院は,幕府の保護のもとに,知恩寺,清浄華院(しようじようけいん)など他の本山を超え,浄土宗の総本山たる地位を不動のものとしたのである。1633年(寛永10)火災にあい,32世霊巌(れいがん)は元のごとく再建し,1万8000貫の大梵鐘を鋳た。江戸時代の知恩院は将軍家の菩提所で,わざわざ〈投げ銭無用〉と威勢をほこった。ところが明治維新で徳川氏の保護を失い,経済的に困窮の極に達した。75世養鸕徹定(うがいてつじよう),77世日野霊瑞は,全国の末寺住職の会議や檀信徒の組織化を図って,近代的な寺院運営を試み,財政の危機を克服した。毎年4月(元は1月で,1877年から変更)に行われる法然の忌日法要は,とくに御忌(ぎよき)と称し,知恩院の最も重要な年中行事である。
[中井 真孝]

文化財

広大な寺域は3段に分かれ,下の段には諸塔頭(たつちゆう)と日本最大の三門(1619,重要文化財),中の段には主要堂舎が建ち並び,中央に本堂(御影堂。1639,重要文化財),〈鶯張りの廊下〉を経て後方には狩野一門の障壁画を配した江戸初期の大規模な書院造建築の大方丈・小方丈(ともに1641,重要文化財),また《宋版一切経》(5969帖,重要文化財)を納める経蔵(1619,重要文化財)などがあり,上の段には当院最古の建物で旧御影堂の勢至堂(1530,重要文化財)が建つ。寺宝は絵画,書跡,彫刻,工芸など数多いが,宗祖法然の生涯を48巻にまとめた《法然上人絵伝》(鎌倉時代),〈早来迎(はやらいごう)〉として知られる《阿弥陀二十五菩薩来迎図》(鎌倉時代),聖徳太子伝の最古本で永く法隆寺勧学院に蔵せられていた《上宮聖徳法王帝説》(平安時代),渡来品では《菩薩処胎経(ぼさつしよたいきよう)》(西魏時代),《大楼炭経(だいろうだんきよう)》(唐時代)がともに国宝に指定されている。
[谷 直樹]

[索引語]
知恩教院 知恩講 珠琳 新知恩院 知恩寺 尊照 御忌 早来迎 阿弥陀二十五菩薩来迎図 上宮聖徳法王帝説
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検索コンテンツ
1. 知恩院画像
日本大百科全書
建てたという。その後、1234年(文暦1)に源智(げんち)が大谷の霊蹟(れいせき)を復興し、知恩院大谷寺と号した。しかし室町末期の応仁(おうにん)の乱で焼失し、 ...
2. 知恩院[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
浄土宗の総本山。法然上人(ほうねんしょうにん)源空(げんくう)を開山として1234年(文暦1)に諸堂を再興した。写真は五間三戸の壮大な三門(国宝)。1621年( ...
3. 知恩院
世界大百科事典
3)に,知恩院が浄土宗の本寺であり,香衣着用の勅許は知恩院よりの執奏(しつそう)によることを定めた綸旨(りんじ)が出されて,一応の結着をみた。 29世尊照は徳川 ...
4. ちおん‐いん【知恩院】地図
デジタル大辞泉
開創は承安5年(1175)、法然が結んだ吉水の庵室に始まり、入寂後の文暦元年(1234)源智が諸堂を建立、知恩院大谷寺と号した。現在の堂宇は寛永10年(1633 ...
5. ちおん‐いん[:ヰン]【知恩院】
日本国語大辞典
京都市東山区林下町にある浄土宗の総本山。山号は華頂山。承安五年(一一七五)法然が西山広谷に草庵を結び念仏道場としたのに始まる。しばしば兵火にあい荒廃したが室町末 ...
6. ちおんいん【知恩院】画像
国史大辞典
かかる。 [参考文献]『総本山知恩院旧記採要録』(『大日本仏教全書』)、水野恭一郎・中井真孝編『京都浄土宗寺院文書』、藪内彦瑞編『知恩院史』、藤堂恭俊編『知恩院 ...
7. ちおんいん【知恩院】京都市:東山区/知恩院門前地図
日本歴史地名大系
宛、四十八万人」の勧進を発願して復興にあたった(永享四年五月日「知恩院本堂勧進牒」知恩院文書)。「知恩院旧記採要録」や「華頂誌要」の引用する天文(一五三二―五五 ...
8. nbsp;知恩院
日本史年表
1523年〈大永3 癸未③〉 4・18 知恩院 と 知恩寺 ,浄土宗総本寺を争い,知恩院に本寺の宣下(華頂要略)。  ...
9. 知恩院(ちおんいん)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 639ページ ...
10. 知恩院
デジタル大辞泉プラス
京都府京都市東山区にある寺院。創建は1175年。浄土宗総本山、本尊は阿弥陀如来、法然上人尊像(御影)。国宝の三門、本堂など多くの文化財を保有。 2015年10月 ...
11. Chion'in 【知恩院】
Encyclopedia of Japan
Head temple of the Jodo sect of Buddhism, located in Higashiyama Ward, Kyoto. Th ...
12. 知恩院御忌 (見出し語:知恩院)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 220ページ ...
13. 知恩院鐘 (見出し語:知恩院)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 1105ページ ...
14. 知恩院御門跡(ちおんいんごもんぜき)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1478ページ ...
15. 知恩院宮(ちおんいんのみや)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 650ページ ...
16. ちおんいんもんじょ【知恩院文書】
国史大辞典
真孝編『京都浄土宗寺院文書』、総本山知恩院史料編纂所編『知恩院史料集』日鑑・書翰篇、同編『知恩院古記録古文書目録』、知恩院編『華頂誌要』、藪内彦瑞編『知恩院史』 ...
17. ちおんいんもんぜん【知恩院門前】京都市:東山区地図
日本歴史地名大系
京都御役所向大概覚書所引の貞享二年(一六八五)六月付朱印状に「当寺(知恩院)門前境内地子以下免除」とあるように、「守護使不入」の地として知恩院が管掌、庶政は雑色 ...
18. 知恩院門跡 (見出し語:門跡)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 651ページ ...
19. しんちおんいん【新知恩院】滋賀県:大津市/北部地域/伊香立下在地村
日本歴史地名大系
大谷山華頂寺と号し、本尊阿弥陀如来。京都知恩院末で、応仁・文明の乱を避けた知恩院が疎開した地に建立された。年月日未詳の朽木稙綱書状(総本山知恩院旧記採要録)によ ...
20. 『都名所之内 知恩院本堂に傘を見る』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
長谷川貞信(初世)画 1854年(安政1) 国立国会図書館所蔵 ...
21. 源空爲知恩院開基 (見出し語:源空)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 639ページ ...
22. あかついじ【赤築地】京都市:東山区/清水寺門前地図
日本歴史地名大系
防き戦ふ力なし。本尊を負ひ坊舎を捨てゝ、延年寺・赤築地二つの間道へぞ落行ける」とみえ、また「知恩院歴志略」に「絵詞云」として、文永(一二六四―七四)の頃、聖光坊 ...
23. あかつかむら【明塚村】島根県:邑智郡/邑智町
日本歴史地名大系
成納(五本木家文書)によれば高六六石余、家数二五・人数七八(うち僧侶三)、牛二二、寺一(禅宗知恩院)、神社一(伊勢神社)。 ...
24. あかやま【赤山】埼玉県:川口市地図
日本歴史地名大系
世の不残を招き中興開山として再興、同寺末としたが、不残の跡を継いだ忠治の弟日誉源貞がのち京都知恩院に移ったのを機に同院末としたという(風土記稿)。 ...
25. 秋山記行・夜職草 288ページ
東洋文庫
林蔵(後市左衛門、号野麦)に嫁した。天長恩寺信受山長恩寺。塩沢町中にあり、浄土宗鎮西派。京都知恩院末。天文元年(一五三二)僧笈鎮が大字竹俣より今の地に移して開山 ...
26. あぐいごう【英比郷】愛知県:知多郡/阿久比町
日本歴史地名大系
進であったが、同九年以降の守護方等押妨注文にはあげられていない。一方南方では、応永一七年より知恩院隆秀の押領が続き、同一九年熱田社が提訴しているが、その後も同社 ...
27. あずちのしゅうろん【安土宗論】
国史大辞典
奉行衆が立ち会い、浄土宗は玉念・安土西光寺の教蓮社聖誉貞安・近江の正福寺開山想蓮社信誉洞庫・京都知恩院内一心院の助念(記録者)、日蓮宗は京都頂妙寺の日 ...
28. 安土宗論
世界大百科事典
華宗本山13ヵ寺から黄金2600枚という莫大な償金をまきあげ,また詫証文をとって浄土宗の本山知恩院に与えた。法華宗の敗北は,それを支持した都市町衆の信長への屈伏 ...
29. あとべむら【跡部村】長野県:佐久市/野沢地区
日本歴史地名大系
、石高六二七石一斗二升三合の村で、家数六四軒、人数一七八人。また寺一ヵ所を記し、「浄土宗京都知恩院末寺西方寺」とある。天保九年(一八三八)の領内村々人別改帳(瀬 ...
30. あぶらかけじぞう【油掛地蔵】京都市:伏見区/伏見町/第四区/上油掛町・中油掛町・下油掛町地図
日本歴史地名大系
える(京都府地誌)。「拾遺都名所図会」は「油懸山西岸寺」として「下油懸町にあり。浄土宗にして知恩院に属す。本尊は阿弥陀仏にして定朝の作、立像三尺。開基は雲海上人 ...
31. あまべむら【天部村】京都市:東山区地図
日本歴史地名大系
知行の内訳は「祇園社領一石五斗七升二合七勺、日野殿家領三斗一升四合、建仁寺領二石四斗二升三合四勺五才、知恩院領四斗九升一合、安養寺領一石八升五合五勺、櫛田左近知 ...
32. あみだじ【阿弥陀寺】
国史大辞典
住持で織田信長の帰依僧生誉清玉は、信長以下の屍を境内に葬った。同十五年豊臣秀吉の命で現地に移った。現在知恩院末。 [参考文献]『阿弥陀寺文書』、『京都府寺志稿』 ...
33. あみだじ【阿弥陀寺】 : 阿弥陀寺/(三)
国史大辞典
住持で織田信長の帰依僧生誉清玉は、信長以下の屍を境内に葬った。同十五年豊臣秀吉の命で現地に移った。現在知恩院末。  ...
34. あみだじ【阿弥陀寺】滋賀県:栗太郡/栗東町/東坂村
日本歴史地名大系
後土御門天皇の死去とその弔いに関する明応九年一一月二三日の宗真宛珠琳書状(寺蔵)がある。知恩院御影堂の法然像(現知恩院大殿安置)の修理は宗真の勧進によるもので、 ...
35. あみだじ【阿弥陀寺】京都市:山科区/御陵村地図
日本歴史地名大系
と開基は奈良時代の僧行基と伝える。のち天台宗の別院となっていたが、正平一二年(一三五七)京都知恩院の住持となった円智(読史備要)が、浄土宗に改宗した(宇治郡名勝 ...
36. あみだじ【阿弥陀寺】京都市:右京区/生田村地図
日本歴史地名大系
が明らかとなった。喚鐘にも同年の銘がある。寺伝によると、粟生光明寺(現京都府長岡京市)や京都知恩院の僧侶が隠居して住持となったという。当寺所蔵の貞享五年(一六八 ...
37. あみだじ【阿弥陀寺】長崎県:北松浦郡/小値賀町/笛吹村
日本歴史地名大系
明治初年の寺院の統廃合に際して小値賀島内の浄土宗では当寺のみが残され、明治七年(一八七四)平戸法音寺末から京都知恩院末に転じている。明代末とされる銅造誕生仏があ ...
38. あみだじ【阿弥陀寺】熊本県:熊本市/熊本城下/細工町懸
日本歴史地名大系
・安養院などとともに心光寺と争論を起こしており、善導寺の裁断により追放の処分を受けたが、京都知恩院まで訴え、逆に心光寺住職が追放された(拾集昔語)。寺内には、享 ...
39. あみだ‐にじゅうごぼさつ【阿弥陀二十五菩薩】
仏教語大辞典
図示したものを阿弥陀二十五菩薩来迎図と称するが、二十五菩薩のうちに観音・勢至を数えない場合もある。知恩院蔵の別称「早来迎」は国宝。 →二十五菩薩  ...
40. あわたぐちむら【粟田口村】京都市:東山区地図
日本歴史地名大系
町の意である。事実、享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳による村高約二一三石の内訳は、知恩院領七・三石余、教学院領一石余、小森善次蔵人知行〇・七石余、南禅 ...
41. あわたじんじゃ【粟田神社】京都市:東山区/粟田口村/鍛冶地図
日本歴史地名大系
、氏子の範囲を「南西 粟田口弐拾五町境内限、東 山科領九躰町迄、北 南禅寺内門前南側限、南 知恩院古門前石橋町北側限」とする。この氏子圏は今日に至るも変更がなく ...
42. あんしょういん【安祥院】京都市:東山区/大仏廻り/遊行前南側町・遊行前北側町地図
日本歴史地名大系
安置し日牌料金千両を寄進された(安祥院文書)。浄土宗無本寺であったが、明治六年(一八七三)四月浄土宗鎮西派知恩院末となった。寺宝の木食養阿上人絵伝は、養阿没後ま ...
43. あんよういん【安養院】神奈川県:鎌倉市/大町村地図
日本歴史地名大系
はじめ歴代将軍によって安堵された(鎌倉市史史料編三)。延宝四年(一六七六)諸宗寺院本末改の際、京都知恩院末となった(風土記稿)。同八年火災、その復興にあたり比企 ...
44. あんよういんあと【安養院跡】長野県:南安曇郡/梓川村/横沢村
日本歴史地名大系
[現]梓川村大字倭 横沢 横沢の北部にあって、現在、墓地。大門跡に六地蔵が残存。径奥山、知恩院末、本尊阿弥陀如来像、慶長・元和年代(一五九六―一六二四)の作。文 ...
45. あんようじ【安養寺】京都市:東山区/粟田口村/南畑地図
日本歴史地名大系
天明八年「時宗霊山派末寺帳」には一一石とある)。延宝六年(一六七八)寺域の一部を知恩院に譲渡した(現在の知恩院大鐘楼の地)。安養寺には塔頭として六阿弥坊があった ...
46. あんようじ【安養寺】奈良県:磯城郡/田原本町/八尾村
日本歴史地名大系
また寺川対岸にあった浄国寺を元禄年間(一六八八―一七〇四)に左岸に移転して安養寺としたとも伝える。京都知恩院の直末寺で、末寺には三ヵ寺があった(教安寺文書)。客 ...
47. アーネスト・サトウ伝 96ページ
東洋文庫
立ちなおりを見せていた。翌朝日本の護衛兵とともに京へ向けて出発した。京都では主要な寺の一つ〔知恩院〕が宿泊所にあてられたが、これは敬意が払われている証拠であった ...
48. いかだち【伊香立】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
には、新儀諸公事の免除、寺社領安堵、山林伐採における非法禁止の三ヵ条からなる織田信長禁制(新知恩院文書)が「伊香立」に対して出されている。天正一一年(一五八三) ...
49. いかだちかみざいじむら【伊香立上在地村】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
うち七石は新知恩院領。滝川分は天明村高帳では幕府領、文政石高帳では山城淀藩領となっている。浄土宗金蓮寺はもと天台宗と伝える。応仁・文明の乱の戦火を避けるため伊香 ...
50. いかだちきたざいじむら【伊香立北在地村】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
近世は伊香立五村の一。元禄郷帳に村名がみえ、高二九七石余。天明村高帳では旗本滝川領三三六石余のほか新知恩院領七石余。浄土宗慈眼寺はもと天台宗で、高観音と通称され ...
「知恩院」の情報だけではなく、「知恩院」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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東大寺(国史大辞典)
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禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
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