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  11. 薬師寺
日本大百科全書(ニッポニカ)

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薬師寺
やくしじ

奈良市西ノ京町にある法相(ほっそう)宗の大本山。西京寺、瑠璃(るり)宮薬師寺ともいう。南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。680年(天武天皇9)天武(てんむ)天皇が皇后の病気平癒を祈願して一寺の建立を発願したが、天皇が崩御したため持統(じとう)天皇、文武(もんむ)天皇が698年(文武天皇2)藤原京に完成した。710年(和銅3)平城遷都を機に薬師寺は718年(養老2)平城京へ移された。これが現在の薬師寺で、旧地(現奈良県橿原(かしはら)市)は本(もと)薬師寺とよばれ、現在、金堂、東塔、西塔などの土壇や礎石を残す。平城京では、右京の南北に五条から六条大路、東西には一坊から二坊大路に至る寺地を占め、左京の元興(がんごう)寺に次ぐ大寺であった。新都の伽藍(がらん)や諸仏像が、旧地のものを移転したものか、新たに造営されたものかについて、明治以降学者の論争となっていたが、現在では新都で新造営されたとする説が有力である。造営次第は不明であるが、730年(天平2)の東塔建立ころまでには金堂も完成していたとみられ、寺域の発掘調査により、結構・規模とも本薬師寺と同じであったとされている。伽藍は、中門左右から回廊が延び、それに囲まれた結界中央に金堂、その前の左右に東塔・西塔が建ち、いわゆる薬師寺式伽藍配置をなす。
 薬師寺は創建時から勅願寺、僧綱(そうごう)の寺として南都で重きをなしたが、法相唯識(ゆいしき)の学問寺として高僧の輩出が続き、818年(弘仁9)の不動堂建立後は密教も兼学した。また、830年(天長7。一説に829年)以来厳修(ごんしゅう)されていた最勝会(さいしょうえ)は、宮中御斎会(ごさいえ)、興福寺維摩会(ゆいまえ)とともに南京三大会と称されて盛行した。
 973年(天延1)食堂(じきどう)より出火、金堂と東西両塔を残して伽藍の建物は焼失したが、40年を経て復興された。室町時代には地震、大風などの災害が相次ぎ、金堂、両塔、南大門、中門など諸堂が破損・倒壊し寺勢は衰微し、最勝会も廃された。さらに1528年(享禄1)戦火で食堂、講堂、中門、西塔、僧房を焼失、江戸時代に一部が再建・修造された。1976年(昭和51)に新金堂が、80年には西塔が再建され、創建当初の姿が復原された。
 毎年春に行われる花会式(はなえしき)(3月30日~4月5日)は、1107年(嘉承2)堀河(ほりかわ)天皇が皇后の病気平癒を祈願して造花12瓶を献じたのに始まり、いまも10種12瓶の造花で内陣を飾り、薬師悔過(けか)の作法により勤行(ごんぎょう)が営まれる。また秋には万灯会(まんどうえ)、11月13日には慈恩会(じおんね)(宗祖の忌日)が厳修される。
[里道徳雄]

文化財

東塔

創建当初の唯一の遺構。国宝。三重塔だが、各層に裳階(もこし)をつけるため、六重の屋根が交互に出入りし律動感があって美しい形を示す。塔身と相輪の比率が絶妙で、水煙(すいえん)は飛雲をあしらい、天衣を長く翻して舞う飛天をかたどった4枚の金銅透彫(こんどうすかしぼ)りからなっている。
[永井信一]

金堂

1976年(昭和51)の再建。本尊薬師如来坐像(にょらいざぞう)、左右に日光菩薩(ぼさつ)・月光(がっこう)菩薩を従えた三尊形式(いずれも国宝)を安置。この鋳銅鍍金(ときん)の三尊像の制作年代については、本薬師寺からの移座説(7世紀)と、平城京で新たに造立されたとする非移座説(8世紀)があり、論争が続けられている。しかし、わが国を代表する仏像彫刻であることは両説ともかわらず、本尊の宣字形の台座の浮彫り(四神、鬼神、葡萄唐草(ぶどうからくさ)文様など)も注目される。
[永井信一]

東院堂

鎌倉時代の1285年(弘安8)の再建。国宝。堂内須弥壇(しゅみだん)上の黒漆造の厨子(ずし)に等身を上回る鋳銅製の本尊観音(かんのん)菩薩立像(聖観音(しょうかんのん)、国宝)が安置されている。像の由緒・伝来は不詳であるが、金堂本尊薬師如来三尊像と同じころの制作と考えられている。
 そのほか、絵画では数少ない天平(てんぴょう)絵画の遺品「吉祥天(きちじょうてん)像」と、平安時代(11世紀)の「慈恩大師像」が、彫刻では本寺鎮守の休岡八幡(やすみがおかはちまん)神社にあった僧形八幡神、神功(じんぐう)皇后、仲津姫命の三神像(一木造、平安初期)、そして奈良時代の画師黄文本実(えしきふみのほんじつ)が入唐(にっとう)の際模写してきたと伝えられる仏足石と仏足石歌碑が、いずれも国宝に指定されている。なお寺宝の多くは大宝蔵殿に収蔵され、毎年春・秋に日を限って特別公開される。1998年(平成10)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。奈良の文化財は東大寺など8社寺等が一括登録されている)。
[永井信一]

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検索コンテンツ
1. 薬師寺(奈良市)
日本大百科全書
た。710年(和銅3)平城遷都を機に薬師寺は718年(養老2)平城京へ移された。これが現在の薬師寺で、旧地(現奈良県橿原(かしはら)市)は本(もと)薬師寺とよば ...
2. 薬師寺(栃木県)
日本大百科全書
った寺院。669年(天智天皇8)に創建されたというが、諸説がある。754年(天平勝宝6)奈良薬師寺の僧行信(ぎょうしん)が当寺へ流され、また770年(宝亀1)道 ...
3. 薬師寺
世界大百科事典
の僧侶の受戒に大きな役割を担った。754年(天平勝宝6)に大和国薬師寺僧行信が当寺に配流,770年(宝亀1)には道鏡が造薬師寺別当として左遷された。9世紀中ごろ ...
4. 薬師寺
世界大百科事典
く,中世薬師寺の寺勢を暗示している。また〈中下﨟検断引付〉〈黒草紙〉等の多くの文書・記録は,中世薬師寺と周辺寺領のありさまをうかがわせる。→本薬師寺山岸 常人  ...
5. やくし‐じ【薬師寺】地図
デジタル大辞泉
〓奈良市にある法相(ほっそう)宗の大本山。南都七大寺の一。天武天皇が皇后の病気平癒を祈願し、天皇没後の文武天皇2年(698) ...
6. やくし‐じ【薬師寺】
日本国語大辞典
平城京遷都に伴い養老二年(七一八)現在地に移転。もとのものを本薬師寺と呼ぶ。創建当時の伽藍は龍宮を模したといわれ、その配置を薬師寺式と呼ぶ。天祿四年(九七三)金 ...
7. やくしじ【薬師寺】
日本国語大辞典
〔名〕(高師直の艷書を代筆した薬師寺次郎の名から)代筆。*雑俳・伊勢冠付〔1772〜1817〕「見たをしや・薬師寺をしてをかしがる」 ...
8. やくしじ【薬師寺】
国史大辞典
を受けた。 [参考文献]薬師寺修理委員会編『薬師寺国宝薬師三尊等修理工事報告書』、『奈良六大寺大観』六、町田甲一『薬師寺』、福山敏男・久野健『薬師寺』、足立康「 ...
9. やくしじ【薬師寺】青森県:黒石市/温湯村
日本歴史地名大系
失い、再び薬師堂となり、享保九年(一七二四)弘前藩五代藩主津軽信寿は温湯に湯治し、薬師堂に瑠璃山薬師寺の寺号を与えた(新撰陸奥国誌)。境内には樹齢三〇〇年を超え ...
10. やくしじ【薬師寺】山形県:東根市/東根村
日本歴史地名大系
一)竜興寺と改称。昭和二八年(一九五三)竜興寺は薬師寺に併合、鐘も薬師寺に移された。延享三年(一七四六)の東根村明細帳(横尾文書)では、薬師寺・竜興寺はともに村 ...
11. やくしじ【薬師寺】福島県:南会津郡/田島町/田島村
日本歴史地名大系
中世に南山を領した長沼氏の祈願寺。長沼政則の三男で結城薬師寺(現栃木県南河内町)の住職であった鎮聖が、長沼氏の移転に従って安貞二年(一二二八)田島に薬師寺を建立 ...
12. やくしじ【薬師寺】茨城県:東茨城郡/常北町/石塚村
日本歴史地名大系
「水府志料」には「佐久山村いつの比よりか石塚へ組込て、郷ある事なしと云。今佐久山と称する地あり。薬師寺を佐久山と号す」と記す。当寺は天正の末年まで、佐久山浄瑠璃 ...
13. やくしじ【薬師寺】千葉県:成田市/船形村地図
日本歴史地名大系
梵鐘(東勝寺保管、県指定文化財)には応長元年(一三一一)一一月日付で「下州印東庄八代郷船方 薬師寺」と刻まれる。文明一八年(一四八六)九月当寺に聖護院道興が訪れ ...
14. やくしじ【薬師寺】愛知県:犬山市/犬山村
日本歴史地名大系
寺家は一三坊を数え七堂伽藍が建立され、灯明田は三町六反。慶長七年(一六〇二)小笠原吉次より「犬山薬師寺宝光院、屋敷拾三坊何も藪共、如前々令寄進処、為後日一札如斯 ...
15. やくしじ【薬師寺】愛知県:幡豆郡/幡豆町/谷村
日本歴史地名大系
[現]幡豆町東幡豆 紺屋谷戸 愛宕山の南麓薬師の滝の西にある。四囲の木立は深い。道王山と号し、浄土宗西山深草派。本尊薬師如来。天平年間(七二九―七四九)行基の草 ...
16. やくしじ【薬師寺】三重県:松阪市/船江村
日本歴史地名大系
茶筌丸(織田信雄)が北畠の養子となるが、和議の成立により当寺へ居住した。「勢州軍記」に、「茶箋丸先居住於船江薬師寺、滝川左近将監一益宿於同浄泉寺、五十日計令逗留 ...
17. やくしじ【薬師寺】三重県:阿山郡/伊賀町/上柘植村
日本歴史地名大系
薬師如来像のみ残った。慶安(一六四八―五二)頃現在地に堂が建てられこの像を本尊とし、名称を白毫山薬師寺にしたという。本尊は秘仏で三三年目に開帳がある。昭和四八年 ...
18. やくしじ【薬師寺】京都府:北桑田郡/京北町/下村
日本歴史地名大系
臨済宗南禅寺派。山号は岸池山、本尊は薬師如来。近世中期に旧薬師寺は廃絶し、その旧地に蔵春庵が建立されたが、近年再び薬師寺と改名した。寺蔵の岸池山薬師寺縁起絵巻( ...
19. やくしじ【薬師寺】大阪府:東大阪市/旧河内市地区/下若江村地図
日本歴史地名大系
[現]東大阪市若江北町三丁目 浄土宗、山号美女山、本尊薬師如来。寺伝によると、多田源氏多田満仲の四男で若江に住した美女丸が祈願所として建立、山号は彼の名に由来す ...
20. やくしじ【薬師寺】奈良県:奈良市/西ノ京地区/六条村
日本歴史地名大系
みえ、「薬師寺縁起」や東塔擦銘にも記されている。→本薬師寺跡〈大和・紀伊寺院神社大事典〉〔平城移転〕本薬師寺の造営は文武天皇二年(六九八)に大体終わっていた。平 ...
21. やくしじ【薬師寺】和歌山県:那賀郡/貴志川町/国主村
日本歴史地名大系
という。安貞二年(一二二八)三月二四日の御使等田地寄進状(国立史料館蔵那賀郡古文書所収国主村薬師寺文書)に「千字谷田八十歩国重、件田者雖為高野新田内依国主之四至 ...
22. やくしじ【薬師寺】広島県:福山市/旧深安郡地区/深津村
日本歴史地名大系
[現]福山市東深津町 深津高地南端近くの丘上に位置し、王子山福正院と号し、真言宗大覚寺派。本尊は薬師如来であるが、「備陽六郡志」は「文禄の頃、此辺は渺々たる海な ...
23. やくしじ【薬師寺】高知県:高岡郡/窪川町/志和村
日本歴史地名大系
[現]窪川町志和 土居谷 志和港に臨む寺山の南麓、字土居谷にあり、臨済宗妙心寺派。瑠璃山と号し本尊薬師如来。建武二年(一三三五)四月二八日銘の棟札があったといわ ...
24. 薬師寺
デジタル大辞泉プラス
奈良県奈良市にある寺院。創建は680年。法相宗大本山、本尊は薬師如来。創建時に建てられた東塔は国宝に指定。「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産 ...
25. 藥師寺(やくしじ)[下野]【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 740ページ ...
26. 藥師寺(やくしじ)[大和]【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1249ページ ...
27. 薬師寺〔下野〕
日本史年表
761年〈天平宝字5 辛丑〉 1・21 下野 薬師寺 ・筑紫 観世音寺 に 戒壇 を建立(東大寺要録)。  ...
28. 薬師寺〔大和〕
日本史年表
戊戌〉 10・3 薬師寺 の建立ほぼ終る(続紀)。 718年〈養老2 戊午〉 この年 薬師寺 を平城京に移す(薬師寺縁起)。 973年〈天延元(12・20) 癸 ...
29. 伽藍配置復元図1[図版]
国史大辞典
山田寺 川原寺 飛鳥寺 四天王寺 法隆寺 薬師寺 興福寺 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
30. 僧坊の間取り[図版]
国史大辞典
薬師寺 法隆寺 元興寺 東大寺 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
31. Yakushiji 【薬師寺】
Encyclopedia of Japan
One of the two head temples of the Hosso sect of Buddhism located in Nishinokyo, ...
32. 薬師寺(一)伽藍配置図[図版]
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
33. やくしじあと【薬師寺跡】大阪府:泉大津市/池浦村地図
日本歴史地名大系
近年有志により穴師小学校東側に小堂が建立された。正平六年(一三五一)六月日付の穴師神宮寺寺僧等目安状案(薬師寺文書)によると、本尊薬師如来が宝亀年中(七七〇―七 ...
34. 薬師寺氏
世界大百科事典
小山朝政の孫朝村が,寛喜年間(1229-32)下野河内郡薬師寺の地に城を築き,ここを本拠として,薬師寺氏を名のったことに由来する。南北朝内乱期に高師直に仕えた薬 ...
35. やくしじえんぎ【薬師寺縁起】
国史大辞典
奈良市西ノ京の薬師寺の縁起で同名の書が三種ある。いずれも一巻で、ともに作者・成立年代は不詳。第一は寛元元年(一二四三)書写の奥書のある『群書類従』釈家部所収本 ...
36. やくしじ-かずえ【薬師寺主計】
日本人名大辞典
1884−1965 大正-昭和時代の建築家。明治17年10月20日生まれ。河合浩蔵建築事務所,陸軍省に勤務ののち,大正15年倉敷絹織に入社,倉敷工場長などを歴任 ...
37. やくしじきょうづか【薬師寺経塚】山形県:東根市/東根村
日本歴史地名大系
[現]東根市東根 花岡 薬師寺の背後にある薬師山は平地との比高三〇メートルの小丘陵で、山頂より明治三年(一八七〇)経塚が発掘された。凝灰岩製の外容器は口径二五・ ...
38. やくしじ-きんよし【薬師寺公義】
日本人名大辞典
?−? 南北朝時代の武士,歌人。高師直(こうの-もろなお)の家臣。観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年(1351)師直・師泰(もろやす)兄弟が足利直義(た ...
39. 薬師寺国長
日本史年表
1533年〈天文2 癸巳〉 6・18 薬師寺国長 ら晴元勢と法華宗徒,細川高国の弟晴国と山城高雄で戦い敗北.国長敗死(祇園執行日記)。  ...
40. やくしじ‐さいしょうえ[:サイショウヱ]【薬師寺最勝会】
日本国語大辞典
〔名〕奈良の薬師寺で、毎年三月七日から七日間最勝王経を講説する法会。《季・春》*延喜式〔927〕二一・玄蕃寮「凡薬師寺最勝会。毎年三月七日始。十三日終」*元亨釈 ...
41. やくしじし【薬師寺氏】
国史大辞典
(『系図纂要』)、最近では彼を橘姓薬師寺氏とする説もある。 (二) 橘姓薬師寺氏。楠木氏と同族と伝える。鎌倉時代末期に、九条家領摂津国輪田荘地頭となった薬師寺貞 ...
42. やくしじ‐しき【薬師寺式】
日本国語大辞典
〔名〕南都六宗寺院の伽藍配置の形式の一つ。講堂の両側から出た回廊が作る方形の中庭の中央に金堂があり、その前面東西に二基の塔が並立して配置されているもの。四天王寺 ...
43. 薬師寺四天王像[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2016
奈良市の薬師寺が所蔵する木彫の仏像で、平安時代後期の作。「四天王」とは、もともと古代インドの神々で仏教に帰依したとされる天部に属し、四方を守護するとされた持国 ...
44. やくしじじょうあと【薬師寺城跡】栃木県:河内郡/南河内町/薬師寺村
日本歴史地名大系
寛喜年間(一二二九―三二)に小山朝政の曾孫政村(朝村)が築城、政村は薬師寺姓を称し(尊卑分脈)、代々子孫が居城とした。薬師寺氏の基盤は薬師寺庄で、明徳二年(一三 ...
45. やくしじ‐ぞうかえ[:ザウクヮヱ]【薬師寺造華会】
日本国語大辞典
〔名〕奈良の薬師寺で、三月三〇日から四月五日まで、各種の薬草で染色した一二種の花を絹または紙で作り、仏前や堂内に飾って行なう儀式。花会式。《季・春》*俳諧・滑稽 ...
46. やくしじ-たかよし【薬師寺貴能】
日本人名大辞典
?−1484 室町時代の武士。備前(岡山県)三石(みついし)城主浦上則国の家臣。文明15年浦上軍が近隣の福岡城に籠城(ろうじょう)して山名政豊・松田元成の連合軍 ...
47. やくしじ-たねなが【薬師寺種永】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の砲術家。父種広の鍛練流砲術をうけつぎ,島原の乱に参加した際オランダの大砲術をまなぶ。寛文(1661-73)のころ自覚流砲術を創始した。子孫 ...
48. やくしじちんじゅはちまん【薬師寺鎮守八幡】
国史大辞典
奈良市西ノ京町、薬師寺南門南に鎮座。休岡(やすみがおか)八幡ともいう。旧村社。祭神誉田別(ほんだわけ)命・息長足媛(おきながたるひめ)命・仲日売(なかひめ)命 ...
49. 薬師寺東塔
日本史年表
730年〈天平2 庚午⑥〉 3・29 薬師寺東塔 建立(扶桑略記)。  ...
50. 薬師寺東塔[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2016
約1300年の歴史を誇り、1998年には世界遺産にも登録された奈良県薬師寺の伽藍(がらん)の一つで、西塔と一対をなす三重塔。2012年6月4日、1900年(明 ...
「薬師寺」の情報だけではなく、「薬師寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
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京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を賜わった
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