1. なんごしゅうい【難後拾遺】
デジタル大辞泉
源経信の歌論書。全1巻。応徳3年(1086)頃の成立とみられる。後拾遺和歌集の84首を抜粋して批判したもので、勅撰集に対する最初の論難書。 ...
2. なんごしゅうい[ナンゴシフヰ]【難後拾遺】
日本国語大辞典
平安後期の歌論書。一巻。源経信(つねのぶ)著。「後拾遺集」から発想や表現の面から問題のある歌を抜き出し批判した論難書。経信の歌論を示すものであるとともに、勅撰集 ...
3. なんごしゅうい【難後拾遺】
国史大辞典
がある。→後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう) [参考文献]『群書解題』一〇「難後拾遺抄」、関根慶子編『難後拾遺集成』、上野理『後拾遺集前後』 (上野 理) ...
4. 難後拾遺(なんごしゅうい)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 415ページ ...
5. 『難後拾遺』
日本史年表
1086年〈応徳3 丙寅②〉 この頃 源経信 『難後拾遺』 成るか。 ...
6. 批二難後拾遺和歌集一 (見出し語:後拾遺和歌集)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 415ページ ...
7. 宇治拾遺物語 44ページ
日本古典文学全集
白河天皇の破格の抜擢で『後拾遺集』の撰者となったことから、通俊への風当りは強く、撰進後ただちに『難後拾遺』という非難の書が出たほど。本話もそうした通俊批判の立場 ...
8. 栄花物語 252ページ
日本古典文学全集
鳴く夜はもう一声聞きたいと思って、いずれの夜も。「さらに」は「やすきいやは寝らるる」に係る。『難後拾遺抄』はこの語が働いていないことを批判する。二度とは鳴かない ...
9. かがく【歌学】
国史大辞典
(二)古今歌合難は、延喜十三年(九一三)亭子院歌合以下三十種について述べ、(三)故人和歌難は、
難後拾遺・後拾遺問答・不

思懸
...10. ぐんしょるいじゅう【群書類従】
国史大辞典
四五二 古今集序註 四五三 古今和歌集隠名作者次第・撰集作者異同考 四五四 後撰集正義 四五五 難後拾遺抄 四五六 古今打聞・新撰髄脳 四五七 和歌深秘抄・桂明 ...
11. 国文学全史 2 平安朝篇 290ページ
東洋文庫
ぬは」の空を野辺と更えたるが如き、そもく何の児戯ぞやと。また後拾遺集の成りて後、幾ばくもなく難後拾遺の出ずるあり。集中の和歌のよろしからずと思えるを抜きて、非難 ...
12. 国文学全史 2 平安朝篇 301ページ
東洋文庫
改めて隆源に清書を委託した。 伊房筆本を家本という。奏覧本に対する経信の批判を記したものが『難後拾遺』で、やはり本文改訂の進展を 跡づけする資料として注目されて ...
13. 国文学全史 2 平安朝篇 303ページ
東洋文庫
論」(『宮城学院女子大学研究論文集』32 昭和四三年一〇月)などがあり、『難後拾遺』の本文研究には、関根慶子「難後拾遺の本文について」(『中古文学論考』有精堂 ...
14. 国文学全史 2 平安朝篇 350ページ
東洋文庫
併せていう〕、四家髄脳〔俊頼無名抄、結語抄、奥儀抄、童蒙抄〕あり。個人に就いてその作を別てば、経信の難後拾遺、基俊の悦目抄〔一名更科記〕、和歌無底抄〔一子伝〕、 ...
15. 国文学全史 2 平安朝篇 19ページ
東洋文庫
41,135 1311 1263 ∬282な中務『中務集』r長能集』r業平集』『難後拾遺』11134,236,262 1262 n68119, ...
16. 国文学全史 2 平安朝篇 10ページ
東洋文庫
281,330 1100 1【 323,350129611275 な長井侍従業平集難後拾遺難後葉集→牧笛集難千載集 1296 1116n 2 ...
17. 今昔物語集 373ページ
日本古典文学全集
、童ニテ仕ヒ給ヒケル若キ者有ケリ。名ヲバ岩楊トゾ云ケル。形チ有様美麗ニ 五十四 した歌。『難後拾遺』『袋草紙』上にも所見。底本「ハ」。誤写とみる。歴史的仮名遣 ...
18. 後拾遺和歌集
日本大百科全書
(逸文を『袋草紙』に収める)により、撰入歌を切り出したり修正を加えたが、経信は飽き足りず、『難後拾遺』を著し、これが勅撰集論難書の嚆矢(こうし)となる。通俊は論 ...
19. 後拾遺和歌集
世界大百科事典
集に対するはじめての批判である《難後拾遺》を書いて反駁し,やすきについて的確な表現の乏しくなったことを非難した。藤岡 忠美 後拾遺集 藤原通俊 源経信 難後拾遺 ...
20. ごしゅういわかしゅう【後拾遺和歌集】
国史大辞典
取るか」(『袋草紙』)などの説の行われたのも、かかる撰集経緯によるものであり、また奏上後、経信による『難後拾遺』の出されたのも勅撰集に対する論難書の嚆矢である。 ...
21. 八代集 1 6ページ
東洋文庫
三百人一首 百 藤原定家他 三難後拾遺抄 難後拾遺 源経信 頁 歌学大系別 ...
22. 八代集 2 5ページ
東洋文庫
論 歌 ・百人一首難後拾遺抄綺語抄和歌童蒙抄袖中抄八雲御抄古今集注拾遺抄注後拾遺抄注詞花集注顕注密勘僻案抄後撰集正義百難綺童袖八顕注注注注密僻正義藤 ...
23. 八代集 2 438ページ
東洋文庫
彼らの時代をひらいたものとして『後拾遺集』を認識している。 『後拾遺集』論難の書は同時代の源軽信の『難後拾遺抄』がある。応徳三年(一〇八六)、または寛治元年(一 ...
24. 八代集 3 5ページ
東洋文庫
論 歌 ・百人一首 百 藤原定家他 歌学大系三難後拾遺抄綺語抄和歌童蒙抄 難綺童 源経信藤原仲実藤原範兼 一〇八六-八七?一一〇七- 一 ...
25. 八代集 4 5ページ
東洋文庫
論歌・学歌 百人一首 百 藤原定家他 歌学大系三 難後拾遺抄 難 源経信 一〇八六-八七? 頁 歌学大系別一 綺語抄 綺 藤原仲実 一一〇七-一一一六 頁 歌 ...
26. ふくろぞうし【袋草紙】
国史大辞典
『延喜十三年亭子院歌合』から『保延四年或所歌合』までの三十の歌合の判詞に探る。「故人和歌難」では『難後拾遺』『後拾遺問答』などにみられる和歌批判の先例を示した。 ...
27. 藤原通俊
世界大百科事典
なした源経信,大江匡房をさしおいての撰者任命は,天皇の近臣ゆえのにおいもあって非難を浴び,源経信《難後拾遺》によって通俊の撰集は低く評価された。経信への答えは《 ...
28. ふじわらのみちとし【藤原通俊】
国史大辞典
纂の勅を奉じ、応徳元年六月より撰集に着手、同三年九月奏覧したが、このころすでに源経信による『難後拾遺』が提出されたこともあって、ただちに改訂を重ね、寛治元年(一 ...
29. 源経信
日本大百科全書
『後拾遺集』以下の勅撰(ちょくせん)集に85首、家集『大納言経信集』を残し、『後拾遺集』を批判した『難後拾遺』を著す。藤原公任(きんとう)や能因(のういん)法師 ...
30. 源経信
世界大百科事典
遺和歌集》を低く評価し,《難後拾遺》を書いて論難した。家集に他撰の《大納言経信集》,日記に漢文体の《帥記(そちき)》がある。藤岡 忠美 桂大納言(源経信) 難後 ...
31. みなもと‐の‐つねのぶ【源経信】
デジタル大辞泉
藤原公任(きんとう)と並んで三舟(さんしゅう)の才と称された。家集「大納言経信集」、歌論書「難後拾遺」、日記「帥記」。 ...
32. みなもと‐の‐つねのぶ【源経信】
日本国語大辞典
博識多芸の人で、藤原公任とともに詩歌管弦の三船に乗りうる才を称された。著に「大納言経信集」「難後拾遺」、日記「帥記」がある。長和五〜承徳元年(一〇一六〜九七) ...
33. みなもとのつねのぶ【源経信】
国史大辞典
。経信の日記を『帥記』という。歌集には『大納言経信集』『帥大納言集』があり、著作には歌学書『難後拾遺』がある(一説に源俊頼の作とも伝える)。なお『伊勢物語』の注 ...
34. みなもとの-つねのぶ【源経信】
日本人名大辞典
。82歳。桂大納言,帥大納言とよばれる。日記に「帥記」,家集に「大納言経信卿集」,歌論書に「難後拾遺」。【格言など】夕されば門田の稲葉おとづれて葦のまろ屋に秋風 ...
35. 和漢三才図会 11 407ページ
東洋文庫
遺和歌集』。 白河天皇の勅命、藤原通俊撰。応徳三年(一〇八 六)成立。八代集の一。源経信の『難後拾遺』が ある。後撰 第二番目の勅撰和歌集『後撰和歌集』。村上 ...
36. 1086年〈応徳3 丙寅②〉
日本史年表
供養(後二条師通記)。 この年 藤原伊房著・三条実忠編 『東寺塔供養記』 成るか。 この頃 源経信 『難後拾遺』 成るか。 【世界】 イングランド、『ドゥー ...