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  11. 誉田古墳群
国史大辞典

誉田古墳群
こんだこふんぐん
大阪府藤井寺・羽曳野両市にまたがる丘陵地帯に分布するわが国有数の古墳群で、古市古墳群とも呼ばれている。応神陵を中心に北方に仲姫陵・允恭陵、南には墓山古墳、白鳥・清寧・仁賢・安閑の諸陵など、中期初頭から後期にかけての大型前方後円墳などが群在している。応神陵陪塚の丸山古墳からは江戸時代に金銅透彫鞍金具(国宝)が出土しており、同じく陪塚のアリ山古墳からは第二次世界大戦後大量の鉄製武器が検出された。堺市の百舌鳥古墳群とともに、単なる在地豪族の墳墓群ではなく、五世紀以降の畿内政権の大王、または王陵群と考えられる。→百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)
[参考文献]
森浩一・石部正志「古墳文化の地域的特色(五)―畿内およびその周辺―」(『日本の考古学』四所収)、上田宏範「前方後円墳における築造企画の展開」(橿原考古学研究所編『近畿古文化論攷』所収)、白石太一郎「畿内における大型古墳群の消長」(『考古学研究』六一)
(上田 宏範)
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1. こんだこふんぐん【誉田古墳群】
国史大辞典
大阪府藤井寺・羽曳野両市にまたがる丘陵地帯に分布するわが国有数の古墳群で、古市古墳群とも呼ばれている。応神陵を中心に北方に仲姫陵・允恭陵、南には墓山古墳、白鳥 ...
2. 誉田古墳群
日本大百科全書
→古市古墳群 ...
3. かわちのくに【河内国】
国史大辞典
、柏原市の玉手山古墳群、羽曳野・藤井寺両市にわたる誉田古墳群などがあり、古代王権の発展や消長の考察に貴重な材料を提供している。特に誉田古墳群は応神陵・仲哀陵・仲 ...
4. 古市古墳群
日本大百科全書
地形に築かれた、古墳時代中期から後期初頭にかけての古墳の総称。誉田(こんだ)古墳群とも古市誉田古墳群ともよばれたことがある。古墳群は石川以西、東除(ひがしよけ) ...
5. ふるいちこふんぐん【古市古墳群】
国史大辞典
誉田古墳群(こんだこふんぐん)  ...
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古墳の墳丘上に立て並べた素焼の土製品。円筒埴輪・形象埴輪に二大別され、形象埴輪は家形・器具器材・動物・人物など多様である。古墳に供えた器台、壺などが儀器化し、発生したという説が有力。
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