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  11. 初花肩衝
日本国語大辞典

はつはな‐かたつき【初花肩衝】

解説・用例

茶入。大名物。漢作唐物。素地は茶褐色。形状、釉の色ともに優美で気品が高く、春に先がけて咲く梅の花に似るとして足利義政が名づけたという。織田信長・徳川家康・豊臣秀吉らが所持し、のち再び家康に渡って徳川家に伝来した。三肩衝の一つ。

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1. はつはな‐かたつき【初花肩衝】
日本国語大辞典
茶入。大名物。漢作唐物。素地は茶褐色。形状、釉の色ともに優美で気品が高く、春に先がけて咲く梅の花に似るとして足利義政が名づけたという。織田信長・徳川家康・豊臣秀 ...
2. はつはなかたつき【初花肩衝】
国史大辞典
唐物肩衝茶入。大名物(おおめいぶつ)。古来茶入の王座を占めるもの。高さ八・八センチ、胴径七・九センチ。初花の銘は足利義政が、その形姿が天下の春に魁ける趣にたと ...
3. だいもんじやえいせい【大文字屋栄清】
国史大辞典
人であり、父の大文字屋栄甫(宗観)が、永禄十二年(一五六九)、織田信長の求めによって唐物茶入初花肩衝を手放したことは有名である。栄清は父の所持する虚堂墨蹟(もと ...
4. ならしば‐かたつき【楢柴肩衝】
日本国語大辞典
漢作肩衝茶入の一つ。大名物。博多肩衝とも呼ばれ、初花肩衝・新田肩衝とともに天下の三大名物茶入と称された。現存していない。 ...
5. はつはな の 茶入(ちゃい)れ
日本国語大辞典
「はつはなかたつき(初花肩衝)」に同じ。*寒川入道筆記〔1613頃〕「天下にかくれなき初花の茶入、立売大文字屋栄甫所持」 ...
6. まつだいら-ねんせい【松平念誓】
日本人名大辞典
生まれ。松平親常の子。三河(愛知県)長沢の代官。天正(てんしょう)7年出家,11年徳川家康に初花肩衝(はつはなかたつき)(茶入れ)を献上して諸役免除の特権を得, ...
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初花肩衝(日本国語大辞典)
解説・用例 茶入。大名物。漢作唐物。素地は茶褐色。形状、釉の色ともに優美で気品が高く、春に先がけて咲く梅の花に似るとして足利義政が名づけたという。織田信長・徳川家康・豊臣秀吉らが所持し、のち再び家康に渡って徳川家に伝来した。三肩衝の一つ。
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