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  11. 本朝皇胤紹運録
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

国史大辞典
本朝皇胤紹運録
ほんちょうこういんじょううんろく
天皇・皇親の系図。洞院(とういん)満季撰。一巻。『皇胤紹運録』『紹運録』『紹運図』『日本紹運図』『本朝帝皇紹運録』『帝皇系譜』などとも呼ばれ、『本朝皇胤紹運録略』と題する写本もある。書名は宋の諸葛深の『歴代帝王紹運図』に倣って名づけられたといわれる。成立の経緯は、『薩戒記』応永三十三年(一四二六)五月十四日条に「今夜内府持〓参帝王御系図草〓(依〓仰所〓新作〓也)覧之」とあり、ここにみえる「内府」は洞院満季(公定の猶子)を指し、「依〓仰」は後小松上皇の命によることを示すと解せられる。さらに国立公文書館内閣文庫所蔵の本書写本(紅葉山(もみじやま)文庫本)に「申〓出禁裏御本〓(西山内府満季公筆、銘後小松院宸筆歟)、凌〓炎暑之病眼〓、終〓書(写)功〓者也」云々という三条西実隆の本奥書(『実隆公記』に該当する記事がある)が存することから、応永三十三年五月ごろ後小松上皇の命により、洞院満季によって「新作」された「帝王御系図」が本書にあたるとみてよいであろう。先行の諸種の「帝王系図」などを基礎として編集されたものと考えられる。内容は、伝本により若干の異同はあるが、国常立尊に始まる天神七代、天照大神以下の地神五代を冒頭に揚げ、神武天皇以下の人皇の系譜をそれに続ける。親子・兄弟の続柄を系線で示し、横系図の形式をとる。天皇は漢風諡号(しごう)・追号で掲げ、「某天皇」とする例と、「某院」とする例とがある。一般に天皇・親王・法親王・内親王・王などの身位を付し、諱・治世年数・母を注し、簡単な経歴、没年月日、行年などを示した注記がある。「子孫在〓別」「有〓子孫〓、見〓源氏之内〓」など、本書が皇別の諸氏系図と一具であることを示す注記があり、それが『尊卑分脈』とよく符合することが指摘され、また『尊卑分脈』にも、かつて「帝王系図」が伴っていたことを示す記載があるので、両者の密接な関連が想定されるが、詳しいことはわからない。江戸時代の『大系図』には、冒頭に本書を収めたものもある。脇坂本『尊卑分脈』(尊経閣文庫所蔵)に所収の「帝王系図」は、本書とは別書である。収載の下限は、成立の当初は、おそらく称光院であったと思われるが、三条西実隆がその後を書き継いだことが『実隆公記』文亀二年(一五〇二)六月二十三日条にみえ(「禁裏紹運録御本、近代分依〓仰書継之」)、その後も書写・刊行に際し、当時の天皇・皇親までを追補することが行われて、近代に至った。伝本としては、編者自筆本を写したとみられる文亀二年六月の三条西実隆の本奥書を持つ写本(伝飛鳥井雅庸筆、紅葉山文庫旧蔵)が内閣文庫に存し、文明十六年(一四八四)六月に甘露寺親長が写した本が宮内庁書陵部に所蔵され、ほかにも写本が多い。刊本には、寛文十三年(延宝元、一六七三)板本などがあり、『群書類従』系譜部、『(新註)皇学叢書』四に収められる。
[参考文献]
宮内庁書陵部編『図書寮典籍解題』歴史篇、『群書解題』三上
(飯田 瑞穂)


日本大百科全書
本朝皇胤紹運録
ほんちょうこういんじょううんろく

天皇家代々の系譜。2巻。1426年(応永33)内大臣洞院満季(とういんみつすえ)が勅命を受けて作成。まず国常立尊(くにのとこたちのみこと)をはじめとして天神・地神を連ね、次に第1代神武(じんむ)天皇以降、歴代天皇(南朝は外されている)とその一族を系図で示し、それぞれの下に簡単な小伝を付す。1502年(文亀2)三条西実隆(さんじょうにしさねたか)が増補したのをはじめ、逐次書き継がれ18世紀末に及んでいる。『群書類従』(系譜部)所収。
[益田 宗]



改訂新版・世界大百科事典
本朝皇胤紹運録
ほんちょうこういんじょううんろく

皇室系図。1巻。書名は中国の《歴代帝王紹運図》にならったもので,たんに《皇胤紹運録》《紹運録》《紹運図》などともいい,別に〈本朝帝皇系譜〉の称もある。内大臣洞院満季が後小松天皇の命を受けて,当時流布していた多くの皇室系図を照合勘案し,新たに天神七代,地神五代を加えて,1426年(応永33)に編纂した。歴代天皇とその皇子女の血統を細かく表記し,天皇には代数と生母および誕生,立太子,即位,譲位,崩御などの年月日や諱(いみな),陵墓名などを,皇子女には生母や極官,極位,薨年などを注記し,皇室系図として最も権威あるものとされている。ただ北朝を正統とする立場をとるため,南朝は歴代に入れず,諱で書かれ,〈於南方偽朝称君主,号後村上天皇〉とか〈於南朝自立号長慶院〉と注するにとどまる。写本は多いが,1484年(文明16)甘露寺親長の写した本(宮内庁書陵部所蔵)が現存最古のものである。写本はその時の天皇のところまで書き継がれるのが普通で,江戸時代初期,梵舜が後陽成天皇までの分を刊行し,中期には《本朝紹運続録》として後陽成~後桃園天皇が刊行された。また塙保己一も《群書類従》に収めて刊行した。明治時代に入り,《群書類従》が活版印刷されるようになり,書き継がれたものを容易に見ることができる。
[今江 広道]

[索引語]
皇胤紹運録 紹運録 紹運図 洞院満季 本朝紹運続録
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日本史年表
丙午〉 5・14 洞院満季, 『帝王系図』(『本朝皇胤紹運録』) を撰進(薩戒記)。 1502年〈文亀2 壬戌〉 6・23 三条西実隆, 『本朝皇胤紹運録』 を ...
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6. 飯豊青皇女
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7. 飯豊青皇女
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ての即位を認めている。《日本書紀》では清寧5年11月に没し葛城埴口陵に葬られたとされ,《本朝皇胤紹運録》などでは45歳であったと伝える。勝浦 令子 忍海部女王  ...
8. いいとよのあおのおうじょ【飯豊青皇女】
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9. いそべのおう【礒部王】
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13. 大江氏画像
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15. 大友黒主
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17. おおはらうじ【大原氏】 : 大原氏/(一)
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れる。この氏の出自については『新撰姓氏録』左京皇別では敏達天皇の孫百済王から出たとし、『本朝皇胤紹運録』では天武天皇の子長親王の孫に高安王らをおいているが、いず ...
18. かいじょう【開成】
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寺蔵の『応頂山勝尾寺古流記』(寛元元年(一二四三))などが同じく奈良時代開成皇子開基とする伝承や、『本朝皇胤紹運録』に文武天皇の子の開成王を勝尾寺本願とする異伝 ...
19. きびつひめのおおきみ【吉備姫王】
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『日本書紀』の皇極・孝徳両天皇の即位前紀によれば、茅渟王に嫁して両天皇を生んだという。『本朝皇胤紹運録』では欽明天皇の孫、桜井皇子の女とする。『日本書紀』皇極天 ...
20. 清原氏画像
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)を被り、従二位(じゅにい)右大臣兼左大将となっている。清原氏の出自、系図を示すものに『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』「清原氏系図」および ...
21. 空也
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た。その出生については,醍醐天皇の皇子(《帝王編年記》),仁明天皇の皇子常康親王の子(《本朝皇胤紹運録》)というように貴種として伝えられ,さらには水の流れから生 ...
22. くうや【空也】
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た。その出生については、醍醐天皇の皇子(『帝王編年記』)、仁明天皇の皇子常康親王の子(『本朝皇胤紹運録』)というように貴種として伝えられ、さらには水の流れから生 ...
23. くりくまおう【栗隈王】
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24. ぐんしょるいじゅう【群書類従】
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25. けいず【系図】
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26. 源威集 26ページ
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27. こういんじょううんろく【皇胤紹運録】
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28. こうがくそうしょ【皇学叢書】
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29. こうぎょくてんのう【皇極天皇】
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百済救援のため中大兄皇子らと筑紫にゆき、七月二十四日朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉郡)で急死した。年六十八(『本朝皇胤紹運録』)。奈良県高市郡の越智崗上陵に葬られた。 ...
30. 光明皇后
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々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む。首皇子の即位により夫人となり,727年(神亀4)皇子(《本朝皇胤紹運録》は基王)を生み,直ちに皇太子に立てたが翌年夭死した。同じ ...
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翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む。首皇子の即位により夫人となり、七二七年(神亀四)皇子(『本朝皇胤紹運録』は基王)を生み、直ちに皇太子に立てたが翌年夭死した。同 ...
32. 幸若舞 1 百合若大臣(ゆりわかだいじん)他 265ページ
東洋文庫
清和天皇第四皇子。『尊卑分脈』貞平親王の添書に、「神祇伯、三品、母神祇伯〔藤〕良近女」 とある。『本朝皇胤紹運録』(『類従』六〇)によ れば、延喜十三(九=二) ...
33. 今昔物語集 505ページ
日本古典文学全集
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宮殿・諸門の名を唐風に改めたことなども、嵯峨天皇の意向によるものであろう。後宮も繁栄し、『本朝皇胤紹運録』には五十名の皇子女がみえる。弘仁五年その一部は源朝臣の ...
35. さんざん‐けんぎょう[‥ケンゲウ]【三山検校】
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「天国押撥御宇」は不明。子孫。将門は桓武天皇の皇子葛原親王から五代目に当たる。高見王の子。『本朝皇胤紹運録』に「従五下、上総介、初賜〓平氏姓 ...
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唐・新羅との対抗上、日 本に使節を送って修好を求めたのが、この追使 と考えられる。七 皇子 『本朝皇胤紹運録』にはこの皇子を「諦 は基王」と記すが、『帝王編年記 ...
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孝謙太上天皇のとき、天平宝 字六年(七六二)六月三日に発した宣命で出家 したと言っており(続紀)、『本朝皇胤紹運録』 に法韓(法名)法基尼とある〇六 主神 職員 ...
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れた山部王・酒人内親王・衣縫女王・難波女 王・坂合部女王・能登女王・弥努摩女王がそれ にあたる。『本朝皇胤紹運録』によれば、その うち山部・酒人・能登・弥努摩が ...
41. 続日本紀 4 59ページ
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同人とも考えられるoこの説では、天平宝字八年の仲麻呂の乱に坐して位を奪われ、ここでふたたび三世王として(『本朝皇胤紹運録』では舎人親王の孫)改めて従五位下に叙せ ...
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45. そん‐い[‥ヰ]【遜位】
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幸九条院〓」*本朝皇胤紹運録〔1426〕「天平勝宝元七二遜位」*名目鈔〔1457頃〕恒例諸公事臨時篇「譲位 又遜位(ソンヰ)有 ...
46. ぞう‐こうたいごう[‥クヮウタイゴウ]【贈皇太后】
日本国語大辞典
皇太后の身位に昇る前に没したもので、死後にその身位を追贈された場合の称。贈皇太后の宮。*本朝皇胤紹運録(増補)〔1786〜1819〕「正親町院母吉徳門院、贈皇太 ...
47. たいこうじむら【躰光寺村】滋賀県:神崎郡/能登川町
日本歴史地名大系
か、国領に同派永楽寺がある。地内位徳に鎮座の西郡神社は延暦期(七八二―八〇六)河内王(「本朝皇胤紹運録」では川内王)が悪疫を治めるために大穴牟遅命・少彦名命を祀 ...
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49. 太平記 30ページ
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八字文殊・普賢・延命・金剛童子の法、残 東夷調伏の事  静尊法親王。護良と同母とするが、『本朝皇胤紹運録』には「聖護院。改メ〓専尊ト ...
50. 太平記 158ページ
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」と弾正尹宮と同一人とする。順徳天皇の孫彦仁王の子忠房親王について『本朝皇胤紹運録』は「任〓中納言中将 ...
「本朝皇胤紹運録」の情報だけではなく、「本朝皇胤紹運録」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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