1. 『本朝皇胤紹運録』
日本史年表
丙午〉 5・14 洞院満季, 『帝王系図』(『本朝皇胤紹運録』) を撰進(薩戒記)。 1502年〈文亀2 壬戌〉 6・23 三条西実隆, 『本朝皇胤紹運録』 を ...
2. 本朝皇胤紹運録
日本大百科全書
天皇家代々の系譜。2巻。1426年(応永33)内大臣洞院満季(とういんみつすえ)が勅命を受けて作成。まず国常立尊(くにのとこたちのみこと)をはじめとして天神・地 ...
3. 本朝皇胤紹運録
世界大百科事典
皇室系図。1巻。書名は中国の《歴代帝王紹運図》にならったもので,たんに《皇胤紹運録》《紹運録》《紹運図》などともいい,別に〈本朝帝皇系譜〉の称もある。内大臣洞院 ...
4. ほんちょうこういんじょううんろく【本朝皇胤紹運録】
国史大辞典
『皇胤紹運録』『紹運録』『紹運図』『日本紹運図』『本朝帝皇紹運録』『帝皇系譜』などとも呼ばれ、『本朝皇胤紹運録略』と題する写本もある。書名は宋の諸葛深の『歴代帝 ...
5. あこうぐん【赤穂郡】兵庫県
日本歴史地名大系
同酒虫、「三代実録」貞観六年(八六四)八月一七日条に「赤穂郡大領」秦造内麻呂がみえる。「本朝皇胤紹運録」に秦氏の祖、豊彦王を祀ると記された大避神社(祭神秦河勝) ...
6. 飯豊青皇女
日本大百科全書
記し、その即位を示唆するような表記が記紀に認められる。『扶桑略記(ふそうりゃっき)』や『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』には「飯豊天皇」とあ ...
7. 飯豊青皇女
世界大百科事典
ての即位を認めている。《日本書紀》では清寧5年11月に没し葛城埴口陵に葬られたとされ,《本朝皇胤紹運録》などでは45歳であったと伝える。勝浦 令子 忍海部女王 ...
8. いいとよのあおのおうじょ【飯豊青皇女】
国史大辞典
也」(清寧記)という。書紀によると清寧天皇五年十一月没。『本朝皇胤紹運録』によると四十五歳とある。押磐皇子暗殺説とともになんらかの史実にもとづくものであろうが、 ...
9. いそべのおう【礒部王】
日本人名大辞典
?−? 奈良時代の官吏。「本朝皇胤紹運録」によれば長屋王の孫。神護景雲(じんごけいうん)3年(769)大監物に再任され,宝亀(ほうき)5年三河守を兼務。9年内匠 ...
10. いちはらおう【市原王】
国史大辞典
生没年不詳 奈良時代の皇族。歌人。『本朝皇胤紹運録』によれば天智天皇の子施基皇子の曾孫で、父は安貴王、祖父は春日王。三代続いて『万葉集』に歌を残し、大伴家持と ...
11. いつつじのみや【五

宮】
国史大辞典
京都市上京区五辻に殿宅があり、宮家号が付けられた。初代は亀山天皇の子守良親王で、出家して覚浄(『本朝皇胤紹運録』、醍醐寺本『帝系図』には覚静)と号した。同親王は ...
12. いとないしんのう【伊都内親王】
国史大辞典
?―八六一 伊都(『続日本後紀』)は伊登(『三代実録』)、伊豆(『本朝皇胤紹運録』)にもつくる。桓武天皇の皇女。無品。母は中納言従三位藤原乙叡の女従五位下平子 ...
13. 大江氏
日本大百科全書
匡房(まさふさ)など著名な歌人や学者を輩出している。『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』や『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』『大江氏系図』などで ...
14. おおさけじんじゃ【大避神社】兵庫県:赤穂市/坂越村
日本歴史地名大系
千種川流域を開拓、大化三年(六四七)に神仙となり治暦四年(一〇六八)に正一位を授けられたという。「本朝皇胤紹運録」も当社と秦氏のかかわりを記す。江戸時代には赤穂 ...
15. 大友黒主
日本大百科全書
生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙の一人。弘文(こうぶん)天皇の末裔(まつえい)(『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』)、猿丸大夫(さるまるだ ...
16. おおはらうじ【大原氏】
国史大辞典
れる。この氏の出自については『新撰姓氏録』左京皇別では敏達天皇の孫百済王から出たとし、『本朝皇胤紹運録』では天武天皇の子長親王の孫に高安王らをおいているが、いず ...
17. おおはらうじ【大原氏】 : 大原氏/(一)
国史大辞典
れる。この氏の出自については『新撰姓氏録』左京皇別では敏達天皇の孫百済王から出たとし、『本朝皇胤紹運録』では天武天皇の子長親王の孫に高安王らをおいているが、いず ...
18. かいじょう【開成】
国史大辞典
寺蔵の『応頂山勝尾寺古流記』(寛元元年(一二四三))などが同じく奈良時代開成皇子開基とする伝承や、『本朝皇胤紹運録』に文武天皇の子の開成王を勝尾寺本願とする異伝 ...
19. きびつひめのおおきみ【吉備姫王】
国史大辞典
『日本書紀』の皇極・孝徳両天皇の即位前紀によれば、茅渟王に嫁して両天皇を生んだという。『本朝皇胤紹運録』では欽明天皇の孫、桜井皇子の女とする。『日本書紀』皇極天 ...
20. 清原氏
日本大百科全書
)を被り、従二位(じゅにい)右大臣兼左大将となっている。清原氏の出自、系図を示すものに『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』「清原氏系図」および ...
21. 空也
世界大百科事典
た。その出生については,醍醐天皇の皇子(《帝王編年記》),仁明天皇の皇子常康親王の子(《本朝皇胤紹運録》)というように貴種として伝えられ,さらには水の流れから生 ...
22. くうや【空也】
日本架空伝承人名事典
た。その出生については、醍醐天皇の皇子(『帝王編年記』)、仁明天皇の皇子常康親王の子(『本朝皇胤紹運録』)というように貴種として伝えられ、さらには水の流れから生 ...
23. くりくまおう【栗隈王】
国史大辞典
栗前王とも書く。『新撰姓氏録』左京皇別、橘朝臣条には敏達天皇の皇子難波皇子の男とあり、『本朝皇胤紹運録』や『尊卑分脈』には皇子の孫で大俣王の子とある。天智天皇七 ...
24. ぐんしょるいじゅう【群書類従】
国史大辞典
天台座主記 五八 東寺長者補任 五九 仁和寺諸院家記 5 系譜部・伝部・官職部 系譜部 六〇 本朝皇胤紹運録 六一 諸門跡譜 六二 中臣氏系図 六三 菅原氏系図 ...
25. けいず【系図】
国史大辞典
まり、蘇我氏に終る公家・武家系図であるが、当代の皇室系図には、公定の猶子満季が作成した『本朝皇胤紹運録』がある。中世の武家系図であり、為世なる人物を始祖とする『 ...
26. 源威集 26ページ
東洋文庫
(練)抄・元亨釈書・尊卑分脈 群書類従本 陸奥話記・奥州後三年記・本朝皇胤紹運録・続本朝往生伝・ 江談抄・職原紗・ ...
27. こういんじょううんろく【皇胤紹運録】
国史大辞典
⇒本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく) ...
28. こうがくそうしょ【皇学叢書】
国史大辞典
国風土記・豊後国風土記)・古風土記逸文 2令集解(惟宗直本) 3延喜式(藤原時平他) 4本朝皇胤紹運録(中御門宣胤)・新撰姓氏録(万多親王他)・(標注)職原抄校 ...
29. こうぎょくてんのう【皇極天皇】
国史大辞典
百済救援のため中大兄皇子らと筑紫にゆき、七月二十四日朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉郡)で急死した。年六十八(『本朝皇胤紹運録』)。奈良県高市郡の越智崗上陵に葬られた。 ...
30. 光明皇后
世界大百科事典
々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む。首皇子の即位により夫人となり,727年(神亀4)皇子(《本朝皇胤紹運録》は基王)を生み,直ちに皇太子に立てたが翌年夭死した。同じ ...
31. こうみょうこうごう【光明皇后】
日本架空伝承人名事典
翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む。首皇子の即位により夫人となり、七二七年(神亀四)皇子(『本朝皇胤紹運録』は基王)を生み、直ちに皇太子に立てたが翌年夭死した。同 ...
32. 幸若舞 1 百合若大臣(ゆりわかだいじん)他 265ページ
東洋文庫
清和天皇第四皇子。『尊卑分脈』貞平親王の添書に、「神祇伯、三品、母神祇伯〔藤〕良近女」 とある。『本朝皇胤紹運録』(『類従』六〇)によ れば、延喜十三(九=二) ...
33. 今昔物語集 505ページ
日本古典文学全集
→旧国名。惟喬親王は上野太守であったことがある(三代実録・貞観十四年(八七二)二月二十九日、本朝皇胤紹運録)。→地名。上野国をさす。「不審イフカシ フシン」。連 ...
34. さがてんのう【嵯峨天皇】
国史大辞典
宮殿・諸門の名を唐風に改めたことなども、嵯峨天皇の意向によるものであろう。後宮も繁栄し、『本朝皇胤紹運録』には五十名の皇子女がみえる。弘仁五年その一部は源朝臣の ...
35. さんざん‐けんぎょう[‥ケンゲウ]【三山検校】
日本国語大辞典
〔名〕熊野三山の僧職で、三山の事務を監督するもの。多く聖護院の宮が兼職した。*本朝皇胤紹運録〔1426〕「覚仁法親王〈三山検校長吏。桜井母舞女滝〉」 ...
36. さんしゅうごけいず【纂輯御系図】
国史大辞典
以て付記し、捜索の便を図っている。なお、皇子女の排行不明の者は、藍本とした『群書類従』所収の『本朝皇胤紹運録』によることとし、後陽成天皇以後はその次序が明らかな ...
37. 将門記 19ページ
日本古典文学全集
「天国押撥御宇」は不明。子孫。将門は桓武天皇の皇子葛原親王から五代目に当たる。高見王の子。『
本朝皇胤紹運録』に「従五下、上総介、初賜

平氏姓
...38. 続日本紀 1 318ページ
東洋文庫
唐・新羅との対抗上、日 本に使節を送って修好を求めたのが、この追使 と考えられる。七 皇子 『本朝皇胤紹運録』にはこの皇子を「諦 は基王」と記すが、『帝王編年記 ...
39. 続日本紀 3 295ページ
東洋文庫
孝謙太上天皇のとき、天平宝 字六年(七六二)六月三日に発した宣命で出家 したと言っており(続紀)、『本朝皇胤紹運録』 に法韓(法名)法基尼とある〇六 主神 職員 ...
40. 続日本紀 3 328ページ
東洋文庫
れた山部王・酒人内親王・衣縫女王・難波女 王・坂合部女王・能登女王・弥努摩女王がそれ にあたる。『本朝皇胤紹運録』によれば、その うち山部・酒人・能登・弥努摩が ...
41. 続日本紀 4 59ページ
東洋文庫
同人とも考えられるoこの説では、天平宝字八年の仲麻呂の乱に坐して位を奪われ、ここでふたたび三世王として(『本朝皇胤紹運録』では舎人親王の孫)改めて従五位下に叙せ ...
42. 続日本紀 4 190ページ
東洋文庫
桓武天皇の同母弟。立太子以前は僧籍にあり、 東大寺・大安寺に住して、親王禅師と呼ばれた。 『本朝皇胤紹運録』に天応元年(七八一)皇太 子に立つ時に年三十二とある ...
43. じゅん‐ぼ【准母】
日本国語大辞典
*女院小伝〔1352〜1371か〕「皇嘉門院。〈藤聖子〉。崇徳后。近衛准母。法性寺関白第一女」*本朝皇胤紹運録〔1426〕「春華門院〈昇子。一品。皇后。順徳院准 ...
44. じょめいてんのう【舒明天皇】
国史大辞典
日崩じた。「百済の大殯」と呼ばれる盛大な殯宮儀礼を経て、やがて押坂陵に葬られた。なお、『本朝皇胤紹運録』『一代要記』などには崩年四十九とある。 (黛 弘道) 押 ...
45. そん‐い[‥ヰ]【遜位】
日本国語大辞典
幸九条院

」*
本朝皇胤紹運録〔1426〕「天平勝宝元七二遜位」*名目鈔〔1457頃〕恒例諸公事臨時篇「譲位 又遜位(ソンヰ)有
...46. ぞう‐こうたいごう[‥クヮウタイゴウ]【贈皇太后】
日本国語大辞典
皇太后の身位に昇る前に没したもので、死後にその身位を追贈された場合の称。贈皇太后の宮。*本朝皇胤紹運録(増補)〔1786〜1819〕「正親町院母吉徳門院、贈皇太 ...
47. たいこうじむら【躰光寺村】滋賀県:神崎郡/能登川町
日本歴史地名大系
か、国領に同派永楽寺がある。地内位徳に鎮座の西郡神社は延暦期(七八二―八〇六)河内王(「本朝皇胤紹運録」では川内王)が悪疫を治めるために大穴牟遅命・少彦名命を祀 ...
48. 太平記 27ページ
日本古典文学全集
・上陽白髪人」の文詞を使って、次話の天皇の廉子への愛情を特筆するための作為が見られる。『本朝皇胤紹運録』『増鏡』等によれば、後京極院禧子は皇女宣政門院懽子を生み ...
49. 太平記 30ページ
日本古典文学全集
八字文殊・普賢・延命・金剛童子の法、残 東夷調伏の事 静尊法親王。護良と同母とするが、『
本朝皇胤紹運録』には「聖護院。改メ

専尊ト
...50. 太平記 158ページ
日本古典文学全集
」と弾正尹宮と同一人とする。順徳天皇の孫彦仁王の子忠房親王について『
本朝皇胤紹運録』は「任

中納言中将
...