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平城天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に座して廃されたあと、皇太子となり、806年(大同1)即位
桓武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七八一―八〇六在位。天平九年(七三七)天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)の長子として誕生。母は高野新笠。諱は山部。乳母の山部子虫の姓氏によったと考えられる。天平宝字八年(七六四)十月、従五位下を授けられ、天平神護二年(七六六)十一月
光仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七七〇―七八一在位。和銅二年(七〇九)十月十三日、天智天皇の皇子施基(しき)親王の第六子として誕生。母は贈太政大臣紀諸人の女橡(とち)姫。諱は白壁。天平九年(七三七)九月無位より従四位下、同十八年四月従四位上、天平宝字元年(七五七)
称徳天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第48代とされる天皇(在位764~770)。第46代とされる孝謙(こうけん)天皇(在位749~758)が再即位して称徳という。女帝。高野(たかの)天皇とも称せられる。名は阿倍(あべ)。聖武(しょうむ)天皇の皇女。母は光明(こうみょう)皇后
淳仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七五八―六四在位。諱は大炊(おおい)。天武天皇の孫、舎人親王の第七子。母は当麻山背。天平五年(七三三)生まれる。藤原仲麻呂の男真従の未亡人粟田諸姉を娶って仲麻呂の田村第に住んだが、天平勝宝八歳(七五六)聖武上皇が崩ずると
聖武天皇(日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典)
第45代とされる天皇(在位724~749)。名は首(おびと)、法号勝満(しょうまん)。文武(もんむ)天皇の第1皇子、母は藤原不比等(ふじわらのふひと)の女(むすめ)宮子(みやこ)。文武が崩じたとき幼少で即位できず、祖母元明(げんめい)
文武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六九七―七〇七在位。諱は軽(珂瑠)。諡は天之真宗豊祖父(あまのまむねとよおおじ)天皇。天武天皇の孫、草壁皇子の子。母は阿閇皇女(天智天皇の娘、のちの元明天皇)。天武天皇十二年(六八三)生まれる。持統天皇三年(六八九)、七歳のとき父を失う
天武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六七三―八六在位。父は舒明、母は皇極(斉明)天皇で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母弟。幼名を大海人(おおしあま・おおあま)皇子といい、諡号を天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。『一代要記』などに
弘文天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第39代に数えられる天皇(在位671~672)。大友皇子、伊賀皇子ともいう。天智(てんじ)天皇の嫡皇子。母は伊賀采女宅子娘(うねめやかこのいらつめ)。皇后は天武(てんむ)天皇の皇女十市(といち)皇女で、葛野(かどの)王を生む
天智天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六六一―六八称制、六八―七一在位。大化改新の中心人物。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)。淡海(近江)大津宮天皇とも。推古天皇三十四年(六二六)の生。父は田村皇子(舒明天皇)、母は宝皇女(舒明皇后、皇極・斉明天皇)
斉明天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
女帝。第35代とされる皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645)が重祚(ちょうそ)して第37代とされる斉明天皇(在位655~661)と諡(おくりな)される。名は宝(たから)。和風諡号(しごう)は天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)天皇
舒明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六二九―四一在位。和風諡号は息長足日広額天皇。父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女、またの名は田村皇女で、天皇の諱田村はこれに因む。推古天皇三十六年(六二八)推古天皇の没後、田村皇子を推す大臣蘇我蝦夷は
崇峻天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によると五八七―九二在位。諱は泊瀬部、また長谷部若雀命という。欽明天皇の皇子、母は大臣蘇我稲目の娘小姉君。同母兄に穴穂部皇子、異母兄に敏達・用明天皇、異母姉に推古天皇らがいる。五八七年用明天皇の崩後、蘇我馬子と物部守屋が戦端を開くと
用明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六世紀末の天皇。『日本書紀』によれば五八五―八七年在位。異母兄敏達天皇の死去をうけて即位。橘豊日尊、大兄皇子と称す。父は欽明天皇、母は蘇我稲目の女、堅塩媛。異母妹の穴穂部間人皇女(母は堅塩媛の妹、小姉君)を妃として、厩戸・来目・殖栗・茨田の諸皇子を得た
敏達天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。息長真手(おきながまて)王の娘広姫(ひろひめ)
欽明天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀に第29代と伝える天皇。継体(けいたい)天皇と手白香(たしらか)皇后(仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ))の嫡子。名は伝わらず、和風諡号(しごう)は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)という
宣化天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は四六七―五三九年、五三六―三九年在位。名は檜隈高田(ひのくまのたかだ)、諡を武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇という。継体天皇の皇子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)、安閑天皇の同母弟
安閑天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は四六六―五三五、五三四―三五在位。名は勾大兄(まがりのおおえ)、おくり名を広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)。同腹の弟に宣化天皇がある
継体天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によれば、生没年は四五〇―五三一、五〇七―三一在位。諱は男大迹(おおど)、袁本杼・乎富等とも書く。応神天皇の五世の孫と伝えられる。父の彦主人(ひこうし)王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ
武烈天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は?―五〇六で、四九八―五〇六在位。名は稚鷦鷯(わかさざき、『古事記』は若雀)。仁賢天皇の皇子で、母は雄略天皇の皇女の春日大娘皇后。仁賢のあとをついで即位。泊瀬列城(奈良県桜井市初瀬の周辺)を都とし、春日娘子を皇后にたて
清寧天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』で第二十二代と伝える天皇。白髪武広国押稚日本根子天皇(記には白髪大倭根子命)・白髪皇子などという。父は雄略天皇、母は葛城円大臣の娘韓媛。雄略天皇二十二年立太子、二十三年雄略天皇崩後、異母弟星川皇子の反乱を討って磐余甕栗宮に即位
雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』では第二十一代で、大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)天皇と表記し、『古事記』では大長谷若建命と表記する。允恭天皇第五子。母は忍坂大中姫命。兄の安康天皇が眉弱(まよわ)王に暗殺されると、王と王を保護した葛城円
安康天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第二十代の天皇。諱は穴穂皇子。允恭天皇第二子。母は忍坂大中姫命。兄の木梨軽皇子を物部大前宿禰の家に殺して即位し、宮を大和山辺郡石上(奈良県天理市)に移して、石上穴穂宮と称した。さらに大草香皇子を殺し、その妻を皇后としたため、皇后が大草香皇子との
允恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第十九代の天皇。諱は雄朝津間稚子宿禰。仁徳天皇皇子。母は磐之媛。履中・反正天皇の同母弟。忍坂大中姫を皇后とし、刑部を定め、木梨軽皇子、安康・雄略両天皇を生み、また皇后の妹衣通郎姫を妃とし、そのため藤原宮をたて、藤原部を定めたという。甘檮岡の盟神探湯により
反正天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年不詳。記紀では第18代の天皇とする。5世紀中葉の天皇で、『日本書紀』には、河内(かわち)の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)(大阪府羽曳野(はびきの)市丹比付近か)で在位5年にして崩ずと記す。「多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)(水歯別)天皇(命(みこと))」ともいう。
仲哀天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十四代の天皇。和風諡号は足仲彦(たらしなかつひこ)尊。景行天皇の皇子日本武尊の子で、母は垂仁天皇の女両道入姫(ふたじのいりびめ)皇女。紀によれば、子に皇后気長足姫尊(神功皇后)の生んだ誉田別皇子(応神天皇)のほか、坂(かごさか)
成務天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十三代の天皇。和風諡号は稚足彦(わかたらしひこ)尊。第十二代景行天皇の第四子で、母は皇后八坂入姫(やさかのいりびめ)命。景行天皇の皇子日本武尊の没後、景行天皇五十一年に立太子し、同六十年に天皇が崩じた後、翌年正月即位したという
景行天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』『古事記』に第十二代と伝える天皇。大足彦忍代別天皇(記には大帯日子淤斯呂和気天皇)・大足日子天皇などという。父は垂仁天皇、母は丹波道主王の女、皇后日葉洲媛命。垂仁天皇三十七年に立太子、同九十九年父天皇の崩後即位し纏向日代宮に都したとされる
垂仁天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』に第十一代と伝える天皇。活目入彦五十狭茅天皇・伊久米天皇などという。父は崇神天皇、母は大彦命の娘、皇后御間城姫。崇神天皇二十九年誕生、四十八年立太子、六十八年崇神天皇が亡くなると翌年纒向珠城宮に即位したという
崇神天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』などの皇室系譜では第十代の天皇。開化天皇の皇子。『日本書紀』によれば母は伊香色謎(いかがしこめ)命(『古事記』では伊迦賀色許売(いかがしこめ)命)と伝える。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇
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