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服部半蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
徳川氏の部将。半三とも書く。石見守,名は正成(まさなり)。父保長(石見守),子の正就(まさなり)(石見守)・正重(伊豆守)兄弟も半蔵(半三)を通称とする。服部氏は伊賀を本国とし,保長のときに三河国に至り徳川(松平)氏の家臣となった
石川五右衛門(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
安土桃山時代の盗賊の頭目。豊臣政権に反発する義賊というのは江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎において粉飾された説で,《言経卿記》《豊臣秀吉譜》,アビラ・ヒロン《日本王国記》などによれば凶悪な窃盗である。1594年8月23日親子党類ともに京都三条河原で極刑に
与謝野晶子(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七八 - 一九四二 明治から昭和時代にかけての歌人・詩人。本名しよう。明治十一年(一八七八)十二月八日、堺県甲斐町(大阪府堺市甲斐町)に生まれる。生家は菓子商駿河屋。父鳳(ほう)宗七・母つねの三女。堺女学校補修科卒。はやくから古典に親しみ
横山大観(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六八 - 一九五八 明治から昭和時代にかけての日本画家。明治元年(一八六八)九月十八日、水戸城下三ノ町(水戸市城東二丁目)に酒井捨彦の長男として生まれる。幼名秀蔵、秀磨。のち母方の横山家を継ぐ。明治二十二年新設の東京美術学校に入学
山県有朋(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八三八 - 一九二二 明治・大正時代の政治的、軍事的最高指導者の一人。号、含雪。天保九年(一八三八)閏四月二十二日長州萩城下川島村(山口県萩市川島)の下級武士の家に生まれる。父は有稔、母は松子。幼名は辰之助、小助、小輔。少年期から槍術に励んだ
武者小路実篤(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八八五 - 一九七六 大正・昭和時代の小説家、劇作家、詩人、画家。明治十八年(一八八五)五月十二日東京麹町に、子爵実世・秋子(なるこ)の末子(四男)として生まれた。母は勘解由小路(かでのこうじ)氏の出。二歳のとき父を肺結核で失う
正岡子規(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六七 - 一九〇二 明治時代の俳人、歌人。本名常規(つねのり)。自作墓誌銘には「又ノ名ハ処之助(ところのすけ)又ノ名ハ升(のぼる)又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋(だっさいしょおく)主人又ノ名ハ竹ノ里人」(原文ルビなし)と記し
松平容保(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八三五 - 九三 江戸時代後期の京都守護職。陸奥国会津藩主。諱は容保、通称は之允、叙爵して若狭守・肥後守、号は祐堂・芳山。天保六年(一八三五)十二月二十九日江戸に生まれる。美濃国高須藩主松平義建の六男。母は古森氏。弘化三年(一八四六)
樋口一葉(世界大百科事典・日本大百科全書)
明治時代の小説家。本名奈津(なつ)。東京生れ。15歳のとき中島歌子の萩の舎(はぎのや)塾に入門,桂園派の和歌を学んだが,1889年に父が死去,女戸主として一家の生計を支えてゆくために,職業作家となる決意をかためた。同門の田辺花圃(かほ)が
中岡慎太郎(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の討幕派志士。土佐国安芸(あき)郡北川郷(高知県北川村)の大庄屋(おおじょうや)小伝次(こでんじ)の長男。名は道正、初め光次と称し、のち慎太郎と改めた。学問を間崎滄浪(まさきそうろう)に、剣を武市瑞山(たけちずいざん)に学び
高村光雲(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八五二 - 一九三四 明治から昭和時代前期にかけての彫刻家。嘉永五年(一八五二)二月十八日、江戸下谷北清島町(東京都台東区東上野)に生まれる。旧姓は中島、父は兼松。幼名を光蔵といった。文久三年(一八六三)十二歳のとき
高杉晋作(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八三九 - 六七 幕末の長州藩士。尊攘倒幕運動における討幕派の中心人物。奇兵隊の結成で知られる。長門国萩菊屋横丁で萩藩大組(八組)士高杉小忠太春樹(高二百石)の嫡子として天保十年(一八三九)八月二十日に生まれ、母は同藩士大西将曹
志賀直哉(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八八三 - 一九七一 大正・昭和時代の小説家。明治十六年(一八八三)二月二十日、宮城県牡鹿郡石巻村(石巻市住吉町一丁目)に生まれた。父直温(なおはる)・母銀の次男だが、兄が前年早世したため、実質上の長子。二歳のとき父母と上京
島村抱月(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
評論家、演出家、初期新劇運動の指導者。明治4年1月10日島根県に生まれる。旧姓佐々山、本名滝太郎。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)文学科卒業。在学中、坪内逍遙(しょうよう)、大西祝(はじめ)の指導を受け、文学、美学に強くひかれ
島崎藤村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八七二 - 一九四三 明治から昭和時代前期にかけての詩人・小説家。本名春樹。明治五年(一八七二)二月十七日、筑摩県筑摩郡馬籠村(長野県木曾郡山口村)に生まれた。生家は木曾街道馬籠宿の本陣・問屋・庄屋を兼ねる旧家
佐久間象山(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八一一 - 六四 江戸時代後期の思想家。松代藩士。実名は初め国忠、のちに啓(ひらき)、またの名を大星という。幼名は啓之助、通称は修理(しゅり)、字は初め子迪(してき)、のちに子明、象山はその号である。文化八年(一八一一)
近藤勇(国史大辞典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
一八三四 - 六八 幕末の幕臣。諱は昌宜、通称勝太・勇、変名大久保大和。天保五年(一八三四)十月五日生。武蔵国多摩郡石原村辻(東京都調布市)の農業宮川久次(郎)の三男。母はおえい。四人兄姉の末っ子。嘉永二年(一八四九)十月十九日
コペルニクス(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
ポーランドの聖職者、天文学者。地動説の創設者。ポーランド名Mikołaj Kopernik。トルニの銅卸商の末子に生まれ、10歳で父を失い、兄姉とともに母方の伯父で聖職者のワッツェンローデLucas Waczenrode(1447―1512)に養われた。1491年、聖職を志してクラクフ大学に入学
レオナルド・ダ・ビンチ(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典・世界文学大事典)
イタリア・ルネサンス期の画家、彫刻家、また科学者、技術者、哲学者。したがってルネサンスにおける典型的な「万能の人」(ウォーモ・ウニベルサーレ)と目されている。生涯フィレンツェの近郊ビンチ村に、公証人ピエロと農家の娘カテリーナとの庶子として生まれる
鄭和(日本大百科全書・世界大百科事典)
[1371?―1434?]中国、明朝の宦官で、七度にわたる南海への航海を指揮した。雲南省昆陽(こんよう)州の生まれで、姓は馬氏。代々のイスラム教徒の家系である。雲南が明朝の支配下に入ったとき、捕らえられて宦官にされた。燕(えん)王(永楽帝)に仕え
キング(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカ合衆国のバプティスト派の黒人牧師で、黒人公民権運動の指導者。ジョージア州アトランタに生まれる。バスの座席の人種分離に反対して1955年12月から1年以上にわたって闘われた、アラバマ州モントゴメリーのバス・ボイコット運動の指導者として一躍脚光を浴び
リンカーン(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカ合衆国第16代大統領(在任1861~65)。開拓農民だった父トーマスと母ナンシーの第2子(第1子は長女セラ)として、2月12日にケンタッキー州のホッジェンビル付近の丸太小屋で生まれた。独立戦争が終わったころバージニア州から辺境のこの地方に移住
チャーチル(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
イギリスの政治家。11月30日保守党政治家ランドルフ・チャーチルの長男として、名門貴族マールバラ公爵家に生まれる。サンドハースト陸軍士官学校で学んだのち、陸軍に入り、インドに赴任した。そこでの経験をもとに書いた『マラカンド野戦軍』
コロンブス(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
スペイン語名クリストバル・コロン、イタリア語名クリストフォロ・コロンボ。イタリアのジェノバ生まれといわれる航海者、新大陸の「発見」者。生年月日は明確ではないが、1451年の8月26日から10月末日までの間に生まれたと推定される
近衛文麿(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八九一 - 一九四五 大正・昭和期の政治家。明治二十四年(一八九一)十月十二日公爵近衛篤麿の長男として東京に生まれた。同年実母衍子(前田慶寧三女)を、そして十四歳で父を失った。三十七年一月父の死とともに襲爵し、近衛家の当主となった
岩崎弥太郎(日本大百科全書・世界大百科事典)
[1834―1885]三菱(みつびし)財閥の創設者。号は東山。天保(てんぽう)5年12月11日、土佐国安芸(あき)郡井ノ口村(高知県安芸市)の地下(じげ)浪人で上農の弥次郎の長男として生まれる。1848年(嘉永1)から高知の紅友舎で、さらに1855年(安政2)
井上毅(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八四三 - 九五 明治時代前期の官僚・政治家。明治憲法・教育勅語などの起草者。幼名多久馬。梧陰と号す。天保十四年(一八四三)十二月、熊本城下竹部に生まる。父は熊本藩家老米田家の家臣飯田権五兵衛、慶応元年(一八六五)、同じ家中の井上茂三郎の養子となった
井上馨(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八三五 - 一九一五 明治・大正時代の政治家。幼名勇吉、または友次郎、一時聞多と称した。号は世外。天保六年(一八三五)十一月二十八日、周防国吉敷郡湯田村(山口市湯田)の萩藩の地侍井上光亨の次男に生まれ、農耕に従事しながら幼少時代を過ごした
芥川龍之介(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八九二 - 一九二七 大正時代の小説家。別号柳川隆之介・澄江堂主人。俳号我鬼。明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区(中央区)入船町に生まれた。父新原敏三は酪農業を営む進取の人だったが、生後七ヵ月で実母ふくが発狂したため
イブン・ハルドゥーン(世界大百科事典・世界人名大辞典・世界文学大事典)
イブン・ハルドゥーンIbn Khaldūn1332-1406イスラム世界を代表するアラブの歴史家。チュニス生れ。祖先は南アラブ系でセビリャの支配貴族であったが,13世紀半ばにチュニスに亡命した。幼くして諸学を修めた後,北アフリカ,イベリア半島の諸スルタンに仕え
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