NHK大河ドラマ「光る君へ」特集

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鞍馬天狗(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
大仏次郎の連作時代小説の主人公。『鬼面の老女』(一九二四)から『西海道中記』(一九五九)まで三六編の作品があり、いずれも鞍馬天狗を主人公としている。『御用盗異聞』『角兵衛獅子』『天狗廻状』『宗十郎頭巾』『江戸日記』『雁のたより』などがとくに名高い
一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大久保彦左衛門に愛されたと伝えられる魚商。生没年不詳。侠勇あって「一心」の名は首(または腕ともいう)に「一心白道」の四字を入墨したところから呼ばれたとされる。実録本『大久保武蔵鐙(あぶみ)』によって大久保政談にからんで登場、浅草茅町の穀商松前屋
水戸黄門(日本架空伝承人名事典)
徳川光圀。江戸中期の大名。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男として水戸に生まれる。母は頼房の側室谷久子。家臣の屋敷で養われた。幼名は長丸、のち千代松、九歳で元服のとき三代将軍徳川家光の一字を与えられて光国と名のる。のち五〇歳代に国を圀に改めた。字ははじめ
小栗忠順(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の幕臣。慶応(けいおう)期の徳川幕府を支えた中心人物の一人。江戸の生まれ。幼名を剛太郎、また襲名を又一ともいう。のち豊後守(ぶんごのかみ)、さらに上野介(こうずけのすけ)と改めた。1859年(安政6)目付となり、1860年(万延1)には日米修好通
山内豊信(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末期の土佐藩主。文政(ぶんせい)10年10月9日生まれ。分家山内豊著(とよあきら)の長男、宗家豊惇(とよあつ)の養子。1848年(嘉永1)15代目の藩主となり、隠居後、容堂(ようどう)と号す。分家出身のため苦労したが、ペリー来航後の対外的危機の緊迫
鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊とし
塚原卜伝(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじょう)鹿島家の四宿老(しゅくろう)の一つで、鹿島社(鹿島神宮)の祠官(しか
渋沢喜作(国史大辞典・日本人名大辞典)
一八三八-一九一二明治時代の実業家。渋沢栄一の従兄で、栄一より二歳年長。天保九年(一八三八)六月十日、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)に渋沢文平の子として生まれる。文久三年(一八六三)栄一らとともに攘夷を決行しようとしたが中止した。翌元治元年
五代友厚(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
実業家、政商。薩摩(さつま)藩士で儒者兼町奉行(まちぶぎょう)の五代直左衛門秀堯(ひでたか)の次男として生まれる。幼名を徳助、才助といい、松蔭と号す。長崎で航海、砲術、測量などの技術を習得、薩英戦争(1863)に参加し捕虜となるが脱出した
安倍晋三(日本大百科全書・日本人名大辞典)
政治家。東京都生まれ。父親は元外務大臣安倍晋太郎(1924―1991)、祖父が元首相岸信介(きしのぶすけ)、大叔父が元首相佐藤栄作(さとうえいさく)という政治家一族に生まれる。小学校から大学までを東京都武蔵野市にある成蹊(せいけい)学園で学び
赤穂浪士(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一七〇一年(元禄一四)三月一四日に、江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(五万三五〇〇石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼
松平慶永(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末期の越前国 (えちぜんのくに)福井藩主、幕府の政事総裁。元服のときにつけた雅号春嶽 (しゅんがく)が通称となる。田安 (たやす)家徳川斉匡 (とくがわなりまさ)の八男で、1838年(天保9)11歳のとき、越前家を継ぎ、第16代藩主となった
徳川家茂(日本大百科全書)
江戸幕府第14代将軍。紀州11代藩主徳川斉順 (なりゆき)(将軍家斉の子)の長子。弘化 (こうか)3年閏 (うるう)5月24日、赤坂の江戸藩邸に生まれる。幼名菊千代、のち慶福 (よしとみ)と称す。12代藩主斉彊 (なりかつ)(斉順の弟)の養
川路聖謨(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸末期の政治家。幕府の徒士 (かち)内藤吉兵衛 (きちべえ)の子として豊後 (ぶんご)国(大分県)日田に生まれ、小普請 (こぶしん)組川路三左衛門光房 (さんざえもんみつふさ)の養子となる。通称弥吉 (やきち)、のち三左衛門。18歳のと
バイデン(日本大百科全書)
アメリカ合衆国第46代大統領。ペンシルベニア州生まれ。1953年、父の仕事のため、デラウェア州に転居し、1965年デラウェア大学卒業、その後シラキュース大学法科大学院に進む。デラウェア州を長年拠点に活動し、弁護士や地方政治家を経て、1972年11月に
サン・テグジュペリ(集英社世界文学大事典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
フランスの飛行家,作家。古い貴族の家系の長男としてリヨンに生まれる。4歳で父を失うが,母方の城館で幸福な子供時代を過ごす。カトリック系の学校で中等教育を受けたのち,パリに出て海軍兵学校を目指すが入試に失敗。1921年兵役に服し,飛行操縦生となり,予備
ルイス・キャロル(集英社世界文学大事典・日本大百科全書)
イギリスの作家,数学者。本名チャールズ・ラトウィジ・ドジソンCharles Lutwidge Dodgson。童話『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(解説後出)の作者。牧師の長男としてチェシャーに生まれ,多くの弟妹に囲まれて,家族回覧雑誌を作り
丹下左膳(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典)
林不忘が一九二七年(昭和二)から翌年まで新聞に連載した長編小説『新版大岡政談‐鈴川源十郎の巻』に登場してくる、痩せさらばえた隻眼隻手の怪剣士。奥州中村藩六万石の藩主相馬大膳亮の家臣で、乾雲(けんうん)・坤竜(こんりゅう)の名刀をめぐる争いに藩主の密命
蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂
銭形平次(日本架空伝承人名事典)
野村胡堂が一九三一年(昭和六)から五七年まで書き継いだ『銭形平次捕物控』シリーズ(長・短編合わせて総計三八三編)の主人公。江戸神田明神下の長屋に住む「江戸一番の捕物名人」の御用聞(岡っ引き)。犯罪者の捕縛に際して、投げ銭の特技を見せるところから、銭形
高島秋帆(世界大百科事典・国史大辞典)
幕末の長崎会所調役頭取で砲術家。名は茂敦,通称は四郎太夫,秋帆は号。長崎防備のため,はじめ荻野流砲術を学び,のち出島のオランダ人から西洋砲術を学んで,これを高島流砲術と名づけた。西洋近代砲術を最初に紹介したものといえる。アヘン戦争が起こった1840年
石川丈山(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸初期の漢詩人。名は凹 (おう)。丈山は字 (あざな)。六六山人、四明山人、凹凸窠 (おうとつか)などと号した。代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、大坂夏の陣のとき軍律を犯してとがめを受けたため武士を捨て、藤原惺窩 (せいか)に入門
清水次郎長(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・国史大辞典)
江戸後期・維新期の侠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ、のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。一八三五年(天保六)に養父が死去し、家業を相続した。四一年に博徒
安倍晴明(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の陰陽家。系図類によれば、八世紀はじめの右大臣阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引き、益材の子とされる。九六〇年(天徳四)に天文得業生として歴史に姿をあらわし、以後、天文博士・主計権助などを歴任して、大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位
芳沢あやめ(歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典)
歌舞伎役者。【初世】1673‐1729 前名吉沢あやめ。元禄初年には若女方で出演の記録が見え、以後京・大坂の舞台で次第に認められ、元禄一一(1698)年《傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)》の傾城三浦の好演で、この年若女方上上吉に進む。上方の
坂田藤十郎(歌舞伎事典・日本大百科全書・国史大辞典)
歌舞伎役者。【初世】1647‐1709 延宝四(1676)年には立役で京の都万太夫座四天王の一人とされ、二年後大坂で演じた《夕霧名残の正月》の伊左衛門はその名声を高めた。以来夕霧狂言の伊左衛門は生涯の当り芸として繰り返された。主として京都で活躍し
以心崇伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五六九 - 一六三三 江戸時代前期の臨済宗の僧侶。金地院崇伝・伝長老ともいわれる。足利義輝の臣一色秀勝の子で、足利氏が滅亡したのち、南禅寺に赴いて玄圃霊三に師事した。醍醐の三宝院に学んだこともあるが、のちに南禅寺金地院の靖叔徳林についてその法をついだ
徳川斉昭(国史大辞典・世界大百科事典)
一八〇〇 - 六〇 江戸時代末期の常陸国水戸藩主。第七代治紀(武公)の三男。母は烏丸資補の女。幼名敬三郎。はじめ紀教(のりたか)のちに斉昭。兄の第八代藩主斉脩(なりのぶ、哀公)の嗣子となる。字は子信、号は景山・潜竜閣。夫人は有栖川宮織仁親王女吉子
徽宗(世界大百科事典)
中国,北宋第8代の皇帝。在位1100-25年。姓名は趙佶(ちようきつ)。第6代皇帝神宗の第11子。母はその侍御陳氏。兄の第7代皇帝哲宗の病死後,向太后(しようたいこう)(神宗の皇后)の支持をうけて帝位についた。太后摂政中は,新(革新政策)
王羲之(日本大百科全書・世界文学大事典・世界人名大辞典)
中国、東晋 (とうしん)時代の能書家。中国、日本において書聖として尊重される。東晋の建国に功労のあった王導 (おうどう)の従弟 (いとこ)王曠 (おうこう)の子。字 (あざな)は逸少 (いっしょう)。琅邪 (ろうや)臨沂 (りんぎ)
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