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2年ぶりの、がまだせ、熊本!

2018-04-20

「図書館員が気になる図書館」という記事を書いている。そこでは月に一館、図書館員さんから推薦を受けた図書館を紹介している。4月は熊本地震から2年ということで、防災専門図書館さんから推薦をいただいた益城町図書館を取り上げている。熊本地震の際、前震、本震の2回にわたり、最大震度7を記録したあの益城町である。

以前、ここにも書いたのだが、私は地震から1か月後に熊本を訪れている。その際、被害が大きかった阿蘇にも行った。いたるところで石垣が崩れていた熊本城にも行った。しかし、空港近くの益城町はバスから眺めるしかなかった。市内から益城町へと景色が移るとき、ブルーシートに敷かれた屋根がどんどん多くなっていった。そのギャップになんだかとても哀しくなったことを記憶している。阪神・淡路大震災のとき、神戸の友達が「なんで大阪は、京都は、こんなに普段通りなんだ!」と言っていたことを思い出した。

さて2年後、町はどうなっているのか? 熊本駅から路線バスに揺られ、約1時間かけて益城町木山地区へ向かう。町に入った。そこには穏やかな田園風景が広がっていた。新築の家もたくさん見受けられた。町は着実に復興しているかに思えた。

図書館は総合運動公園に建つ益城町交流センターの中にある。最寄りの停留所でバスを降り歩いていくと、まず公園内にある陸上競技場が見えてきた。地震後、テントを張って600人が避難していた競技場は地面が波打っていた。大きな水たまりができていて、まったく使われている感じがしなかった。その隣に交流センターがあったが、あれ?その先にあるはずの体育館がない。センターに着くと、ちょうど確定申告の時期だったので、町民の方で結構にぎわっていた。

交流センターも地震時は避難所となった。西山館長は避難所運営の仕事で3か月、家族に会わずにセンターで寝泊まりした。司書たちは被災しながらも本の片づけをし、不安がる子どもたちのために読み聞かせをし、図書館が再開するまで臨時の図書館をもうけ、震災関連の資料を求めて東へ西へ町を駆けずり回った。 ※地震から今までのことは、記事を読んでいただければ幸いです(2回目は4/25(水)ごろ公開予定)。https://japanknowledge.com/articles/libguide/

司書の西村さんの家は全壊状態。しかし区画整理の地域にひっかかっているので、壁と屋根を修理していまだそのまま住んでいるそうだ。メインの避難所として、テレビでもよく中継された体育館は地下の杭が全部折れていて、昨年末ようやく再建に向け解体され更地になった。交流センターも7月から修繕工事に入る。見れば、総合運動公園の脇の道路も割れたままだ。

世間はこのごろ改ざんやらセクハラやらモリカケやらで持ち切りだ。それはそれで絶対関心を持たなきゃならない大事なことなのである。

でも一方で忘れてはならないのは被災地のことだ。熊本地震ではいまだ3万8000人あまりの方が避難生活を強いられている。熊本城は再建に20年かかるそうだ。7年経った東日本大震災の避難者はいまだ約7万3000人。福島第一原発の事故はいつになったら終息するのだろう……。

4月14日と16日の熊本地震、3月11日の東日本大震災。あの春の日のこと、忘れてはならない。決して他人事ではないのだから。

2018-04-20 written by かおるん
熊本へは別府温泉の旅を一日返上して行きました。隣の県だからすぐだろう、って甘い考えを抱いていたら、雪なんぞ降ってしまったため、なんと小倉経由でグルーっと回って行くしか方法がなくて。でもそのおかげで九州新幹線とソニックが乗れたのはよかったかも! はい!私、わりと鉄道好きです。