愛宕(おたぎ)の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや 実(げ)に恐ろしやこの道は 冥途(めいど)に通ふなるものを 心ぼそ鳥辺山(とりべやま) 煙の末も うす霞(かす)む……。

 この謡曲「熊野(ゆや)」は、平安末期の武将、平宗盛の寵愛を受けた「熊野」のことをうたった詞章で、この一節ではずいぶん怪しげな雰囲気が醸し出されている。その訳は、清水寺(東山)から北西方向に延びる参道「清水道(松原通)」を下った「ある範囲」のことをうたっているからだ。古くから死者やその魂が行き来する、あの世とこの世の境目のある場所といわれてきた。詞章にある「六道の辻」というのは、死んだ者が六種類ある死後の世界に行くため通らなければならない冥界の入り口のこと。それが六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、東山区)の境内にあると信じられてきた。

 この寺であるが、普段は観光客も少なく、比較的ひっそりとしている。しかし、一年のうちで8月7日から10日までの4日間は、「六道まいり」に約10万人もの参拝者が訪れ、迎え鐘の音が鳴り続ける。いまは亡き人の御魂(みたま)が、この世に迎えられる年に一度のときなのである。

 参拝者は、山門に店を出した花屋で高野槙(こうやまき)を買い、「おじいさん、今年も迎えにきたえー」などと呼びかけながら綱を引いて迎え鐘を鳴らす。続いて、買った高野槙に水を手向け、御魂の法名を水塔婆(みずとうば)に書いて供える。水向け(槙の葉で水塔婆を清めるために水をかけること)に使った高野槙は家に持ち帰り、井戸に吊しておくというのが本来の習わしだった。そうすると、井戸が冥府をつなぐ道となり、精霊が槙の葉に乗り、その道から帰ってくるのだそうだ。この言い伝えは、平安初期の公卿で漢学者であった小野篁(おののたかむら)が、この寺の境内にある槙の枝をつたって井戸に降り、あの世とこの世を行き来したという伝説に由来している。

 「珍皇寺の迎え鐘」と呼ばれる鐘は、撞木(しゅもく)で突く一般的な梵鐘とは異なり、鐘楼の壁から出ている綱を引くことで鳴らす独特の鐘だ。この鐘を鋳たのは珍皇寺を開いた慶俊(きょうしゅん)である。慶俊は鐘が自ら音を鳴らす霊鐘をつくるため、自ら鋳た鐘を土に埋め、三年後に掘り出すようにいいつけて遣唐使として旅立った。だが、その約束は守られず、二年後に寺僧が掘りだして鐘を鳴らしてしまう。慶俊はその音を唐で聞き、「あと一年経てば、人手を要せず、ひとりでに鳴るものを」と嘆いたと伝えられている。この伝説が「唐にまで届くなら、あの世にまで届く」とお盆に鐘を撞く「迎え鐘信仰」の起源だといわれている。


写真は2005年撮影。鐘楼は2017年に建て替えられ、今年は初めてのお盆を迎える。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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