理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB、神戸市)副センター長。8月5日に自殺。享年52。
2014年はSTAP細胞騒動の年として記憶されるかもしれない。1月28日に報道発表されるや、生命科学の常識を覆す大発見、
ノーベル賞ものだとメディアが大騒ぎし、割烹着姿で顕微鏡を覗く小保方晴子氏(30)の可愛い横顔が日本中に溢れた。
だが、英科学誌『ネイチャー』に小保方氏の論文が掲載されると、すぐにネットの力が発揮される。STAP細胞の再現ができないことや画像の改ざんなどが世界中から指摘されたのだ。共著者である若山照彦山梨大学教授もその存在を否定するに至って、STAP細胞は小保方氏が人為的に作り出した
“捏造”ではないかという疑惑が噴出した。
小保方氏は記者会見し
「STAP細胞はあります」と抗弁したが、理研側は調査委員会を設置して「不正あり」という結論を下した。
四面楚歌の中、小保方氏を支え続けてきたのが上司の笹井氏であった。そのため週刊誌では小保方氏と笹井氏が男女の仲ではないかと疑う報道が相次ぎ、笹井氏が周囲に「映画『ボディガード』のケビン・コスナーのように彼女を守り抜く」といったなどとも報じられた。
笹井氏自身も4月に会見を開きSTAP細胞の可能性を強調していたが、その後は心身ともに疲労していったようだ。
笹井氏は兵庫県出身。幼い頃名古屋市内に転居し、県立旭丘高校から京大医学部に進学。卒業後、米国留学を経て36歳という若さで京大教授に就任し、2000年から理研CDBに在籍していた。ES細胞から脳の一部や網膜を作製する実験に成功し、iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥氏とともに再生医療分野のトップランナーとして活躍してきた。
輝かしい経歴を見る限り、これまでの人生で大きな挫折は味わっていないようだ。そのためSTAP細胞論文問題に巻き込まれ、初めて味わう蹉跌を乗り切る術がわからず、懊悩するうちに発作的に死を選んでしまったのではないだろうか。
『週刊朝日』(8/22号、以下『朝日』)で、大阪府内に住む笹井氏の母親と話した知人女性がこう明かしている。
「芳樹君が亡くなる3日前、お母様と電話でお話ししました。その時、『芳樹がどこにいるか、居場所がわからなくなっていて、家族で捜し回っていた』と困惑されていました。 大丈夫ですか、と尋ねると、お母様は『(医師の)兄さんが“無事か”と出したメールに芳樹から“元気ではないけど、生きています”という返事がとりあえず来たので安心した』と。(中略)
あの子は、週刊誌などに書かれた小保方さんとの仲などについて、『あんなことは絶対ないから信じてほしい』と言っていた。理研について、『クビにするならしてくれればいいのに。アメリカで研究したいのに、なかなか切ってくれない』と愚痴をこぼしていた」
また、笹井氏の遺書の内容について理研関係者がこう語る。
「『小保方さん』と手書きされた封筒入りで、パソコンで作成された文書でした。『1人闘っている小保方さんを置いて、先立つのは、私の弱さと甘さのせいです。あなたのせいではありません。自分のことを責めないでください。絶対、STAP細胞を再現してください。それが済んだら新しい人生を一歩ずつ歩みなおしてください』などと、彼女を気遣うような内容でした」
笹井氏は
最後までSTAP細胞の存在を信じていたのか、それとも小保方氏への思いやりからだったのだろうか。
『朝日』によれば、笹井氏を最後に追い詰めたのは、7月27日に放送されたNHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」だったという指摘もあるようだ。
そのなかで2人のメールが読み上げられている。
「小保方さん 本日なのですが、東京は雪で、寒々しております。そんなこんなで、残念ん(ママ)ながら、早くラボに帰るのが難しい可能性があり、直帰になるかもしれません。(中略)2回目の樹立のライブイメージングは、ムービーにしてみたら、どんな感じでしたでしょうか? では、また明日にでも見せてくださいね。小保方さんとこうして論文準備が出来るのをとてもうれしく、楽しく思っており、感謝しています。 笹井」
「笹井先生 いつも大変お世話になっております。寒い日が続いておりますが、お体いかがでしょうか? 小保方」(『週刊新潮』8/14・21号)
このメールは理研が調査のために集めた資料の中にあったもので、それをNHKが入手して放送したのだそうだ。
私信まで公表して2人の親密さを暗示したかったのかもしれないが、事務連絡のメールにしては感情表現が豊かではある。
理研内部からメディアにリークする人間が出たことも笹井氏にはショックだったのであろう。彼は放送後、かなり滅入っていたという。
『ネイチャー』や世界最高峰の学術雑誌『セル』は相次いで笹井氏の死を悼む声明を発表した。日本科学界の寵児の死が計り知れない損失を与えたことは間違いない。
元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
台風一過。やや秋の気配が忍び寄ってきている気もしますが、まだまだ油断してはいけません。今週は他のメディアが取り上げない、取り上げられないネタを3本集めてみました。楽しんでください。
第1位「村上春樹が酩酊した『ドイツ大麻パーティ』の一部始終」(『アサヒ芸能』8/14・21号)
第2位「氷川きよし“ホモセクハラ暴行”元マネジャーとの示談のお値段」(『週刊文春』8/14・21号)
第3位「安室奈美恵『これでは奴隷契約です』育ての親から独立へ」(『週刊文春』8/14・21号)
第3位。波瀾万丈、ジェットコースターのような人生を歩んでいるのが歌手・安室奈美恵(36)である。
ダンサーのSAMとのできちゃった婚。母親がひき殺されるという痛ましい事件。彼女を発掘して育ててくれたライジングプロが3年間で25億円の所得隠しをしていたことが発覚、平(たいら)社長は逮捕されて2年あまりの実刑。そしてSAMとの離婚。
その安室が今度は所属しているライジングプロからの独立を発表し、平氏らとの間で揉めているというのである。
この独立騒動の裏には男の影があると『文春』は書いているが、それはともかく、松田聖子もそうだが
歌姫たちの人生は誰も順風満帆とはいかないようだ。
第2位は、『フライデー』が報じ『文春』も報じた氷川きよしのホモ疑惑報道だが、この影響は大きかったようだと『文春』が書いている。
10月に日本武道館で「デビュー十五周年記念コンサート」をやるそうだが、チケットの売り行きが芳しくないという。女性ファンの「理想の息子」がホモセクハラではね……。
堂々の第1位はノーベル賞候補のず~っと昔のオイタのお話。
世界的にマリファナを解禁せよという声が強くなっているようだ。そう思っていたら作家の村上春樹氏が『アサヒ芸能』(以下『アサ芸』)の「袋とじ」になっているではないか。表紙にはだいぶ若い村上氏がややトロンとした表情で写り、その下に「『ノルウェイの森』を生んだ『大麻パーティ』を発掘スクープ!」と書いてある。
『アサ芸』と村上春樹という取り合わせは珍しい。世界的に大麻解禁の流れにある中で、いまさら大麻疑惑でもないだろうとも思うが、紹介してみよう。
ときは奇しくも『1Q84』ならぬ1984年。『BRUTUS』(マガジンハウス)の取材のために訪れたドイツ・ハンブルクでのことだそうである。
撮影兼案内係を務めたのがドイツ人元フォト・ジャーナリストのペーター・シュナイダー氏で、取材は1か月ほどだったという。
某日、村上氏たちはハンブルクの郊外にある廃駅を利用したクラブを取材することになった。現地のコーディネーターがアレンジしたもので当初はカメラマンだけが出向くという話だったが、村上氏も同行したいといい出した。
しかし、現地へ行ってみると運悪くリニューアル中で休業。店内だけ見学させてもらい帰ろうとしたところ、クラブのオーナーであるドイツ人夫妻が、自分の家によっていかないかといってくれたので、よせてもらったという。
最初はビールで乾杯し、当初はクラブ経営のことなどが話題に上っていたが、やがてオーナーがこう切り出した。
「よかったら一服やらないか?」
この
一服はタバコではなくマリファナのことである。当時ドイツでも大麻は違法だったが、クラブ経営者など業界人が自宅でマリファナやハッシシ(大麻を固めた合成樹脂)をプライベートに楽しむのは日常茶飯事だったという。
通訳が村上氏に伝えると、村上氏は事もなげにこう答えた。
「ええ、大麻なら、僕は好きですよ」
そのときシュナイダー氏が撮影した何点かの写真が「袋とじ」の中にある。
彼がフイルムを整理していたところ出てきたのだそうだ。それまで、その日本人がノーベル文学賞候補にまでなった村上春樹と同一人物だったとは気がつかなかったという。
シュナイダー氏はなぜ今、このことを公表しようと思ったのか。
「別に彼を落としめようとか、批判しようとかという気持ちはない。彼の作品にはマリファナを扱う描写も出てくるし、本人もマリファナ好きを公言しているのはファンなら知っている。その彼が若い時にこのようにマリファナを楽しんだということを彼の“ファン”も知りたいと思ったからだ」
たしかに、その経験は彼の作品に存分に生かされている。10年に発表された『1Q84』の中で、主人公・天吾は父の入院先である病院の看護師たちとパーティーをやった後、その中でいちばん若い女性である安達クミにマリファナを勧められる。その感覚をこう表現している。
「秘密のスイッチをオンにするようなかちんという音が耳元で聞こえ、それから天吾の頭の中でなにかがとろりと揺れた。まるで粥を入れたお椀を斜めに傾けたときのような感じだ。脳みそが揺れているんだ、と天吾は思った。それは天吾にとって初めての体験だった~脳みそをひとつの物質として感じること。その粘度を体感すること。フクロウの深い声が耳から入って、その粥の中に混じり、隙間なく溶け込んでいった」
99年に発表されたエッセイ集『うずまき猫のみつけかた』の中でも村上氏はマリファナについてこう書いている。
「経験的に言って、マリファナというのは煙草なんかよりも遙かに害が少ない。煙草と違って中毒性もない。だからマリファナをちょっと吸ったくらいで、まるで犯罪者みたいに袋叩きにあうなんていう日本の社会的風潮は、まったく筋が通らないのではないか」
これだけマリファナ擁護論を展開しているのに、『アサ芸』が村上春樹事務所に事実関係を確認すると、事務所から連絡を受けたという都築響一という編集者が出てきて、
「取材旅行中、僕は常に村上さんと一緒に行動していたので、こちらの知らない場所で大麻、というのは、写真も含めてありえないかと思います」
と答えている。
常にいたという都築氏の姿はシュナイダー氏の写真の中には発見できなかったと、『アサ芸』は書いている。
われわれが若い時はマリファナやハッシシ、LSDなどは簡単に手に入り、新宿の喫茶「風月堂」はそうした連中の溜まり場であったし、罪悪感などなかった。
だから大麻を解禁してもいいとは、私は思わないが、大作家になると、こうした過去の微笑ましい外国での経験でも、認めるわけにはいかないのだろうか。