初診料・再診料は、医療にかかるときの基本料金で、次のようになっている。

●初診料
 その病気で初めて医療機関を受診するときにかかるもので、診療所でも病院でも一律2700円。
●再診料
 その病気で2回目以降に受診するときにかかるもので、診療所と入院用のベッド数が200床未満の病院は690円。ベッド数200床以上の病院は700円。

 国民皆保険の日本では、健康保険証1枚あれば、全国一律どこの医療機関でも同じ価格で医療を受けられる。原則的には初・再診料も全額に健康保険が適用されるので、患者は年齢や所得に応じて上記の金額の1~3割を自己負担すればよい。

 しかし、国は高齢化社会に対応できる医療体制を整えるために、大病院は高度な医療を行ない、診療所や中小病院では慢性期の治療や在宅医療を担うなど、医療機関の機能分化を急いでいる。

 そのため、今年4月から、緊急性や必要性が低いのに個人の都合で大病院に通う患者には、初・再診料の健康保険の適用範囲を狭めて、特別料金を徴収してもよいことにしたのだ。

 対象になるのは、近隣の診療所や中小病院との連携が取れておらず、ほかの医療機関から紹介されてくる患者が少ないなどの大学病院や国立病院機構、入院用ベッド数500床以上の大病院だ。

 こうした医療機関を、診療所などの医師の紹介状を持たずに受診すると、初診料2700円のうち、健康保険が適用されるのは2000円まで。700円は全額自己負担しなければならないので、通常なら810円でよい窓口負担が1300円になる(3割負担の場合、以下同)。

 また、治療が終わって近隣の診療所などを紹介されたのに個人の都合で大病院に通う患者は、再診料700円のうち健康保険がきくのは520円。180円は全額自己負担になるので、通常なら210円でよい窓口負担は340円になる。

 このほかにも、ベッド数200床以上の病院を緊急性が低いのに医師の紹介状なしで受診すると、3000~8000円ほどの特別料金が加算されることもある。こうした医療費の仕組みを知らずに、初診で大病院にかかると自己負担が割高になってしまうので注意が必要だ。

 ただし、診療所などの医師に書いてもらった紹介状を持参すれば、大病院でも通常通り健康保険は適用される。普段から信頼できるかかりつけの診療所を見つけておいて、上手に医療機関を使い分けるようにしよう。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 「リボン宿ネット」は略称で、正しくは「ピンクリボンのお宿ネットワーク」。2012年7月に発足した。「ピンクリボン」とは、乳がん検診の早期受診などを啓発するキャンペーンのシンボルである。日本では毎年5万人以上の女性が乳ガンになるといわれている。残念ながら切除に至った場合、手術に成功しても、乳房再建を選ぶのは少数派だ。高額の治療費を払うのは、ほとんどの女性にとって現実的ではない。

 そんな現状の中、術後の傷を気にして旅行に行かなくなった女性たちに、ホテルや温泉宿を楽しんでほしいという取り組みが「リボン宿ネット」。加盟する宿では、浴場の脱衣所や洗い場に仕切りを設けるなど、気兼ねのない入浴に配慮する。宿の情報をまとめた冊子は全国の病院などで手に入り、希望者には送料だけで送ってもらえる。湯の癒やしをあまねく女性たちに楽しんでほしいという思いがこもった、おもてなしの国であるニッポンらしいニュースだ。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 政府が6月に閣議決定した成長戦略で、一般用医薬品(市販薬)のインターネット販売が原則解禁されることになった。市販薬約1万1400品目のうち、そのほとんどがネットで買えるようになるわけだ。健康・医療分野を重点政策に掲げる安倍政権にとっては、いわば肝いりの政策である。

 そのきっかけは2013年1月の最高裁判決。一部の薬品を除いてネット販売を規制してきた厚生労働省の省令を「違法で無効」と断じたからだ。

 ネット販売で便利になるのは、離島や山間部の僻地に住んでいる人、病気やけがで外出が困難なお年寄りなど。最近は都市部にも増えているという「買い物難民」にとっても朗報だろう。

 一方で、街のドラッグストアなどは売り上げが減る。これまで薬剤師による店頭での「対面販売の義務づけ」で優位に立ってきたが、薬剤師の団体などは「直接、服用方法などの情報を伝えられないため、安全性が損なわれる」と反発している。

 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 虫干しは夏干しや虫払いともいわれ、夏の土用(2013年7月19日から8月6日まで)のころ、黴(かび)や虫害を防ぐために衣類や書物、掛け軸などを日に干したり、風通しをよくしたりすることをいう。例年、京都はちょうど梅雨が明け、暑さが極まってくる時期である。寺院が蔵を開けて寺宝の虫干しをするときは、普段では目にすることができないような貴重な掛け軸や書物を間近に拝観できるので、つい出かけていくことになる。一昔前であれば、かごや張りかご(京都では「ぼて」と呼ぶ)などの道具類に渋塗りをする時期と重なっていたので、「三日三晩の土用干し」と呼ばれ、町中が大わらわだったそうである。

 小林一茶はそのような町の様子を、「虫干しに猫も干されて居たりけり」と、おもしろおかしく句を詠んでいる。

 虫干しはすでに平安時代には宮中で行なわれていた記録が残っている。当時は陰暦7月7日に乞巧奠(きっこうでん)という行事と一緒に行なわれていた。『国史大辞典』(吉川弘文館)によれば、乞巧奠は七夕の元になったとされる行事で、女子の手芸や裁縫の上達を祈るものであったという。経書や衣装の虫干しが7月7日に行なわれていたのは、虫干しにも裁縫や書の上達を願おうとする気持ちがあったからではないか、と推察される。

   

   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 元東京電力福島第一原子力発電所所長。原発事故の現場で指揮を執ったが7月9日、食道がんのために死去。58歳。

 『週刊現代』(7/27・8/3号)で、生前の吉田氏にインタビューしたジャーナリスト門田隆将(かどた・りゅうしょう)氏がこう書いている。食道がんの手術をし、抗がん剤治療を終えた吉田氏と彼が会ったのは2012年7月。184センチの長身でやや猫背気味の吉田氏の容貌が、ニュース映像とはまったく違っていたという。

 だが、吉田氏は人なつっこい顔で「私は何も隠すことはありません」と言い、ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と質問すると 「チェルノブイリの10倍です」と続けた。

 「福島第1には、6基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉がやられて、当然、(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。ここにも4基の原子炉がありますから、これもやられて10基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう」

 門田氏はこう書いている。

 「吉田さんたち現場の人間が立っていたのは、自分だけの『死の淵』ではなく、日本という国の『死の淵』だったのである」

 吉田氏は、全電源喪失の中で暴走しようとする原子炉を冷却するには海水を使うしかないと決断、すぐに自衛隊に消防車の出動を要請し、原子炉への水の注入ラインの構築に着手した。

 吉田氏らしさが最も出たのは、官邸に詰めていた東電の武黒(たけくろ)一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来たが、敢然と拒絶したときである。

 東電本社からも中止命令が来ることを予想した吉田氏は、あらかじめ担当の班長にこう言った。

 「テレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令を聞く必要はない。そのまま注入を続けろ」

 この機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行され、なんとか最悪の格納容器爆発という事態は回避されたのである。

 私は吉田氏の名前を聞くたびに忸怩(じくじ)たる思いがする。私事で恐縮だが、お付き合いいただきたい。2012年9月7日付朝日新聞夕刊の連載「原発とメディア」にこういう記述がある。

 「2011年3月11日。iPadの画面上のニュースが大地震発生を伝えていた。週刊現代の元編集長・元木昌彦(66)はiPadをバス最後部の(当時の)東京電力会長・勝俣恒久(72)と副社長・皷(つづみ)紀男(66)に渡した。2人は『じーと見ていた』という。
 この日。『愛華訪中団』と称する電力会社幹部とマスコミ人ら約20人は北京市内を移動していた。この時で10回目。旅程は6~12日で、団長の勝俣は10日に合流。勝俣は震災を受けてすぐに帰国しようとしたが、飛行機に乗れたのは翌12日早朝だった」

 この訪中団は「東電の丸抱え」だと批判されたが、ここでは、それは事実と違うとだけ言っておきたい。帰国した翌日、旧知の大新聞社長と会い、原発事故の深刻なことを聞かされ、私は勝俣会長と北京で一緒だったと話した。真意は、最高責任者が日本にいなかったことで事故処理が丸1日遅れた可能性がある。そのことが致命的な事故に繋がる恐れがあるから、調べてくれということであった。

 後から清水正孝社長も妻を連れて関西に行っていたことが報じられたが、東電の原発安全ボケによる危機管理の無さは、徹底的に責められるべきだ。

 だが、そのことで吉田所長は海水注入を決断できたのかもしれない。海水を入れれば原発は廃炉にするしかなくなる。勝俣、清水は経営的観点から、それを避けたいと考えたに違いない。後から海水注入を止めろと吉田所長に命じてもいる。吉田所長が“社畜”のようなサラリーマンだったらと思うと、恐ろしさに体が震える。

 禍福は糾(あざな)える縄のごとし。トップ2人の不在と吉田氏の獅子奮迅の働きで、かろうじて最悪の事態を回避できた。刑事責任を免れないと思われる勝俣、清水は、その座を追われてものうのうと生き続け、吉田氏は想像を絶するストレスのためであろう、がんを発症し、惜しまれてこの世を去ってしまった。

 日本人は福島第一原発事故と吉田昌郎の名を永遠に忘れてはいけない。二度とこのような悲惨な事故を起こさないために。

 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 ウナギ養殖は、ニホンウナギの稚魚「シラスウナギ」を得ることから始まる。最近のウナギ価格の高騰は、この稚魚が記録的な不漁に陥ったことによるものだ。環境省は、2013年2月にニホンウナギを絶滅のおそれがある「絶滅危惧種」に指定した。水産庁によれば、シラスウナギの漁獲量は1960年代に約230トンでピークを迎えて以来、現在約10トンにまで落ち込んでいる。もちろん親ウナギも同様だ。

 であるならば、残念だが今年の土用の丑の日はウナギをガマン……とはなかなかいかないようだ。食の楽しみは人間の業といえる。この状況で注目されているのが、インドネシアなど東南アジアに棲息するウナギ「ビカーラ」。日本経済新聞に「業界関係者」の声が紹介されていたが、「ヨーロッパウナギほどではないが、北米のロストラータなどに比べるとニホンウナギに似て」いるとのこと。要するに、妥協しうる種類ということらしい。「新顔」なだけに養殖技術の確立はまだこれからだが、ニホンウナギの半額程度で供給でき、不振にあえぐ業界では期待が寄せられている。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 クラインガルテン(Kleingarten/独)は、ドイツ発祥の市民農園で、直訳すると「小さな庭」という意味だ。

 19世紀、産業革命による都市化が進んだドイツで、労働者の生活環境は日に日に悪化。工場労働者が自然と触れ合って健康を取り戻すために、医師のシュレーバー博士の提案で子どもの遊び場つきの菜園がライプチヒ市に作られるようになった。発案者の名前をとってシュレーバー農園とも呼ばれている。

 また、20世紀初めのベルリンでは、住宅難に悩まされていた労働者が空地を占拠して小屋を建て、その周りで菜園を営むようになる。

 この二つの潮流からできあがったのが、クラインガルテンだ。都市部の労働者が健康を取り戻すための生存戦略から生まれたもので、それが全国的に広がり、ドイツでは市民農園に関する法整備も行なわれるようになる。

 一区画300平方メートルの菜園を家族ごとに借りて、野菜や果物、花などを育てるのに利用できる。ラウベと呼ばれる小屋を建て、そこで農作業の間に休憩したり、食事をとったりすることもできる。地域によっては、ビヤホールなど共同利用できる施設を併設しているところもある。利用期間は無期限の菜園がほとんどで、利用料は年間3万円程度。ただし、所得制限があり、集合住宅で暮らしている人に利用が限定されている。

 日本でも、90年代前半からドイツのクラインガルテンを模した滞在型の市民農園が作られるようになり、田舎暮らしブームも手伝って、ここ数年は利用者が増えている。ただし、利用料は年間数十万円かかるところもあり、利用期間も4~5年単位など、使い勝手は本場ドイツと比べると見劣りする内容のところが多い。ドイツのクラインガルテンが低所得層に配慮したものであるのに対して、日本では富裕層がリゾート感覚で利用するものになっている面が否めない。

 そもそも「庭」とは、人々の生存を支えるために不可欠な農的な暮らしの拠点となる場所だ。真の意味でのクラインガルテンが日本に根付くまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


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