「かんでんでん」はお囃子を真似た擬音語である。「かんでんでん」や「壬生(みぶ)さんのかんでんでん」といえば、奈良時代の991年(正暦2)三井寺の僧快賢が開いた壬生寺(中京区)で、春(4月)と秋(10月)、節分に行なわれる壬生大念仏狂言のことである。京都三大狂言の一つで、引接寺(いんじょうじ、上京区)の千本閻魔堂狂言、清涼寺(右京区)の嵯峨大念仏狂言を合わせ、このように呼ばれている。
壬生狂言は一般的な能楽の狂言とは違い、お囃子に合わせ、身振りと手振りだけのパントマイムで表現される珍しい無言劇になっている。その理由は、宗教劇としての古い様式を残しているからである。壬生狂言は、鎌倉時代1300年(正安2)に始まったといわれている。当時、壬生寺の円覚(えんかく)上人のもとに、十数万人の群衆が教えを聴きに来ていた。上人はこの大群衆に仏の教えをわかりやすく説くために、無言劇を考え出したという。その無言劇の伝統が現代も守られている。
節分の日に祭が多い京都は、たいへん賑やかだ。けれども厄除けの祈願ならば、壬生寺さんか、吉田さん(吉田神社、左京区)へお詣りする。中でも、男42歳の本厄のお詣りは壬生寺を参拝し、焙烙(ほうらく、「ほうろく」とも)という、素焼きの平たい土鍋に名前を書いて奉納するのが決まりのようなものになっている。この焙烙は、4月の大念仏狂言で演じられる序曲「焙烙割り」の見せ場で、舞台から一斉に落とされ、粉々になる。公演中に割られる焙烙は4000~5000枚にのぼり、きっと、人生最大の厄までも粉砕してくれることだろう。
ついでに付け加えると、この焙烙は京都府内の障害者授産施設の作業所で、信楽(しがらき、滋賀県甲賀市)の粘土を使い、丸一年をかけて一枚一枚丹念につくられている。これを知っていると、ありがたさがさらに増すように感じられるではないか。