布団のど真ん中に陣取る乳幼児の寝相。ときに驚くほどアクロバティックなポーズもあって、あどけない寝顔とともに、子育て疲れの親を癒してくれる。そんな睡眠中の姿を生かし、タオル・おもちゃなどで「背景」をつくり、絵本のような世界を演出して撮る写真が密かなブームを呼んでいるという。火付け役は主婦業と漫画家を両立させている小出真朱(こいで・まみ)氏。夜、仕事中の夫に娘の画像を送るために始めたそうだ。あくまで子どもの安眠を優先させるのが鉄則、とか。
 その「作品」群はネット上で注目を集め、写真集『ねぞうアートの本―寝ている間にHAPPY赤ちゃん写真』(ぶんか社)も出版された。版元と出版取次トーハンによって「ねぞうアートコンテスト」も開催され、同好の士(母?)も増えているようだ。乳幼児の子育ては孤独感に陥りやすいもの。遊び心がアートに昇華したアイデアは、なかなか秀逸である。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 半農半Xとは、暮らしのなかに農業を取り入れながら、自分が得意な仕事をしたり、社会のために活動したりする人々のライフスタイル。農業収入では食べていかれないので、足りない分を賃金労働で補うという兼業農家のイメージとはちょっと違う。
 半農半Xの提唱者である塩見直紀(しおみ・なおき)氏は、その著書『綾部発 半農半Xな人生の歩き方88』(遊タイム出版)の中で、「持続可能な農ある小さな暮らしをベースに、天与の才を活かし、社会的な使命を遂行し、持続可能な社会のための問題解決をし、新しい文化創造をめざす生き方」と定義づけている。
 Xの部分には、たんに所得を得るための労働にとどまらず、その仕事や活動を通じて環境問題に取り組んだり、地域の伝統文化を紹介したりして、社会のために積極的に自分の能力を活用していくことが求められる。
 地方で大規模な農業をしていなくても、都会の片隅の市民農園や家庭菜園でも半農半Xは可能。規模に関係なく、土や生き物などと触れ合いながら、その人らしくていねいに暮らしていくのが半農半Xのコンセプトだ。
 たとえば、歌手の加藤登紀子の長女、Yaeは、千葉県・鴨川で無農薬の野菜やコメを自給しながら歌手として活動している。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 以前に「キモかわ=キモチ悪いがかわいい」という言葉が流行(はや)ったが、「ぶそかわ」は「物騒だがかわいい」という意味。女性が好む少々グロテスクなセンスの雑貨に対して使われる呼称だ。たとえば、手榴弾のかたちをしたドライバー。これぐらいならシンプルにおもしろいが、人体型をした爪楊枝ホルダーやナイフスタンドなどにいたっては、ぶすりと刺していく趣向がなかなかきわどい。
 もともとインテリアという分野において、ブラックな表現は欧米で一定数の支持があるそうだ。たしかに、玩具店のハロウィングッズを見るにつけ、海外のホラー感覚はある種のポップさをともなっている。感性として万人に受け入れられないかもしれないが、いま、テレビなどメジャーなメディアで「不謹慎なもの」が過剰に避けられてはいないか。「雑貨」という、メーカーと使い手がアート感覚を共有できる分野で、個人として楽しむ「物騒」が支持を受けるのは興味深い。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 ひと言で言えば「大衆迎合的な政治」。もう少しくだいて説明すると、国民に心地よいスローガンを唱えて、大衆の支持を得ようとする政治手法のことだ。大衆のなかに漠として存在する閉塞感、鬱積(うっせき)した感情に煽動(せんどう)的に訴え、政治のエナジーにしてしまうこともある。
 いまの日本はポピュリズム政治が生まれやすい状況といえる。長引く不況の下、衆参両院で与野党の勢力がねじれて、永田町は「何も決められない政治」に陥っており、国民の間に強い不満が漂っているからだ。「心地よいスローガン」とはさしずめ、「消費税増税の前にやることがある」「いますぐ脱原発だ」といったところだろうか。
 そうした状況のなか、ポピュリズム政治との関連で、メディアは橋下徹大阪市長(日本維新の会代表)の存在を指摘している。
 確かにその政治手法には、ポピュリズムの臭いがプンプンする。しかも「橋下現象」の場合は、「テレポリティクス」(テレビを意識した政治)、「ネット政治」(ネットを活用した政治)の要素も加味されており、より進化した形のポピュリズム政治といえる。
 遅くとも来年夏までに衆院解散・総選挙が行なわれる。今後、選挙を意識した言説が政党や政治家から発せられそうだ。欧州危機の引き金となったのはギリシャの放漫財政だが、これも「甘い汁」を吸わせるままにしたポピュリズム政治の弊害といえる。日本の借金財政も然り。世論におもねるポピュリズム政治では、日本が直面する危機的な状況を乗り切れないことだけは確かだ。

 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 白身魚や蒲鉾(かまぼこ)、海老(えび)、銀杏(ぎんなん)、茸(きのこ)などを器に盛り、そのうえにすり下ろした蕪(かぶ)をかけて蒸した後、別につくっておいた、くずあんやすまし汁をかけて食べる料理である。江戸時代の天保5(1834)年の『早見献立帳』(池田東籬亭(とうりてい)著)にはこのように書かれている。
 「かぶらむしは、かやくを入、うへへかぶらのおろしをたくさんに入てむし、くずあんをかけいだす。但しくずあんすこしからめにすべし」(『日本国語大辞典』より)
 京都のかぶら蒸しは、薄く塩を当てて湯通ししたぐじ(甘鯛)、穴子や鰻(うなぎ)の蒲(かば)焼き、百合根(ゆりね)、銀杏、椎茸(しいたけ)、生麩(なまふ)などを具に使う。蕪は4~5キログラムもある大きな聖護院(しょうごいん)蕪がよい。蕪は厚くむいておろし、つなぎのくず粉や卵白を混ぜ合わせるほうがおいしい。くずあんは、一番だしを醤油や塩でやや濃いめに味付けしてつくる。蕪と具を器に入れて蒸し上げたら、くずあんをかけ、仕上げに溶きわさびを添えてできあがり。寒い日にはなによりのごちそうである。


協力/割烹・和喜(やわらぎ、京都市左京区一乗寺)


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 日本を代表する大女優、67歳。11月3日公開の東映創立60周年記念映画『北のカナリアたち』に主演。
 私事で恐縮だが、生まれが同年ということもあり、私は由緒正しいサユリストである。彼女がデビューした連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』(1957年1月~59年2月、ラジオ東京=現TBSラジオ)から彼女のファンになり、映画『キューポラのある街』(1962)や『泥だらけの純情』(1963)、ちょい役だったが赤木圭一郎の『霧笛が俺を呼んでいる』(1960)の小百合に胸をときめかせた。
 東京オリンピックの1964年に、病気で大学受験を断念した私は『愛と死をみつめて』を5回観て、ミコの不治の病に比べれば己の病気などと、心を鼓舞した。橋幸夫とのデュエット曲『いつでも夢を』で第4回レコード大賞も受賞したが、私の愛唱歌は『寒い朝』である。
 映画女優としては順調だったが、私生活では父親との確執や渡哲也との悲恋、15歳も年上のテレビプロデューサー岡田太郎氏との結婚、と波乱に富んでいる。『週刊アサヒ芸能』(以下『アサ芸』)は10/11号から「永遠のマドンナ 吉永小百合の神秘」を連載しているが、岡田の同僚だった千秋与四夫(せんしゅう・よしお)氏が、彼に頼まれて自宅で結婚式を挙げたときの写真を公開している。吉永の両親は猛烈に反対して出席せず、たった5人だけの式だった。
 結婚に悩んでいるころ、寅さんの『男はつらいよ 柴又慕情』(1972)に出て、渥美清に言われた言葉で結婚を決意した。結婚後休業期間を経て銀幕に戻ったが、清純派から脱しきれない彼女への評価は高くなかった。
 その流れが変わったのは早坂暁(あきら)の脚本で始まったNHKのテレビドラマ『夢千代日記』(1981~84)である。原爆二世で余命2年と宣告された芸者置屋の女将を演じ、浦山桐郎(きりお)監督によって85年に映画化もされる。
 『アサ芸』にはこんなエピソードが紹介されている。浦山が、夢千代が死ぬ間際に「原爆が憎い!」と叫んでくれと要求したが、吉永は「私はそのセリフはいえません」と断ったというのだ。自分の短い余命を受け入れていた夢千代が、最後になって取り乱すようなセリフは言えなかったのではないかと、早坂は彼女の気持ちを忖度(そんたく)している。
 朝日新聞(2011年5月15日付)で吉永は、自分の性格を将棋の「香車(きょうしゃ)」に似ている、右にも左にも動けず、後戻りもできないと語っているが、外見とは違って芯の強い女性である。
 反戦・非核を訴え、原爆の詩を朗読する活動に熱心なのは、東京大空襲のころに生まれ、戦後民主主義とともに育ってきたからであろう。
 私が『フライデー』編集長の時、堤義明氏や清原和博選手、岡田裕介氏との不倫の噂があり、張り込ませたことがあったが、確証はつかめなかった。『天国の駅』(1984)で性の渇きのために2人の男を殺してしまう女死刑囚を体当たりで演じ、初めて日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞(以降3度受賞する)を獲得したが、そうした激情が彼女の内にも流れているのかもしれない。

 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 デンマークの企業ゼブラが展開している激安の雑貨チェーン。1995年、「100円均一」ならぬ「10クローネ均一」を引っさげてコペンハーゲンに開店、またたく間に成功を収めた。現在ではヨーロッパ中に店舗がある。ちなみに、10クローネ(約140円)を意味する「tier」と「tiger」は、ともに現地で「ティアー」と発音する。店名の由来はこのことに加えて、動物が好きな創業者レナート・ライボシツらのセンスを反映したものだとか。
 2012年7月には日本に進出、東京での競争を避け、1号店に大阪・心斎橋を選ぶ。宣伝に注力しない控えめな戦略ながら、オープン前からマスコミが「北欧の100円ショップ」(確かに100~200円の商品が充実しているが、実際の価格帯は幅がある)として注目した。いざフタを開けてみれば、あまりの集客に品薄状態となり二度にわたる休業。激安好きの日本の消費者おそるべし、といったところだろう。また、北欧デザインの訴求力もまだまだ健在といえそうだ。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   


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