大隈重信が1882(明治15)年に創設した大学(当初は東京専門学校)。慶應義塾大学とともに私学の雄として存在感を示してきた。
だが、『AERA』(12/17号)は「60大学×人気100社就職調査」の中で「早稲田より学生数の少ない慶應が、金融や商社で前年以上に『強さ』を見せた」と書いている。早稲田の学生数は約45,000人、慶應は約37,000人である。
たしかに2012年3月に卒業した学生の就職先を見てみると、三菱東京UFJ銀行は慶應124人に対して早稲田は116人。みずほFGは慶應84人で早稲田が65人。三菱商事は慶應50人で早稲田は29人。三井物産でも慶應32人に対して早稲田は27人である。
NHKや朝日新聞社などマスコミは早稲田が強いが、これは慶應生があまり志望しないからである。私がいた講談社も、かつては採用されたうちの半分以上を早稲田出身者が占めていたが、昨年は15名の採用枠でわずか2人になっている。
落ち込んでいるのは就職ばかりではない。志願者数も明治大学に抜かれ、公認会計士試験合格者(2010年度)でも慶應が1位で251名に対して2位の早稲田は221名。同じ年の司法試験の合格者数でも慶應が3位の179名なのに、早稲田は5位で130名である。
スポーツでもやや精彩に欠ける。六大学野球はこの5年間で春秋あわせて10回のうち優勝したのは3回。常勝を誇ったラグビーも、ここ5年で優勝は2回、3年連続で優勝を逃がしている。
雑誌にとって「早稲田の凋落」は部数を稼げるありがたいテーマである。「慶應の凋落」では売れないのだ。早稲田OBは群れることはないが、悪口を言われると愛校精神に火がつくようである。
『週刊現代』(1997年9/13号、以下『現代』)で「早稲田大学はついに三流大学に成り下がった!?」という記事をやったことがある。
志願者数の大幅な減少。慶應と早稲田に受かった場合、慶應を選ぶ学生が82%にもなる。事業拡大路線を突き進んできたため財務状況が悪化していることなどについて書いたのだが、この号が発売されると早稲田側が記者会見を開き、『現代』を告訴すると発表したのだ。
結局、告訴には至らなかったが、当時の奥島孝康総長が『文藝春秋』(98年1月号)で「早稲田は三流大学ではない」と反論した。その中で奥島総長は、私の名前を3度もあげて糾弾したのである。
母校に弓を引く者として卒業名簿から抹消されるのではないかと心配した。
これには後日談がある。いまから5年ほど前になるが、早稲田の学生が私と奥島さん(当時は早稲田の教授)との対談を企画し、会ったことがある。お互い恩讐を超えて2時間ほど早稲田について語り合った。奥島さんは話のわかる豪快な人物だった。