初午とは、新暦2月の最初の午の日(2013年は9日)のこと。全国の稲荷神社では五穀豊穣(ほうじょう)や商売繁盛を願い、初午に参詣する風習がある。「初午詣(もう)で」や「福詣で」という。
 この風習のはじまりとされているのが伏見稲荷大社(京都市伏見区、通称お稲荷さん)の初午大祭である。五穀豊穣を司(つかさど)る祭神が、伏見稲荷のある稲荷山(標高233メートル)にご鎮座したのは、711(和銅4)年の初午のこと。この縁起にちなみ、初午の日に稲荷山山頂の三ケ峰(みつがみね)に登り、ご神木の杉の枝をいただくという習わしが京都にあったという。
 平安中期の初午詣での様子を、清少納言が『枕草子』「うらやましげなるもの」の段に書いている。初午詣でに行ったものの、参詣の登り道がたいへんつらく、巡拝をしていた女性になんども追い抜かれた、というような話である。
 昔の伏見稲荷の参詣は今日の参道とは異なり、現在の京阪電車に沿っている伏見街道を進み、伏見稲荷の北側にある東福寺あたりから山道に入った。その山道を稲荷山の山頂まで登って参拝をしていたそうである。『枕草子』の話からは、山道を心もとなく必死で登り、追い越していく信者の背中を苦々しく思う清少納言の姿が目に浮かぶ。本殿が稲荷山のふもとに移った後も三ケ峰には社があり、信者の方々は「お山(やま)する」と称し、山中に点在する社を一巡する参拝を今日も続けている。
 ところで、町家の通り庭で布袋(ほてい)様の人形がずらりと並んでいるところを見たことはないだろうか。明治期ぐらいまでは、伏見稲荷の門前には土人形の元祖・伏見人形の窯元がたくさんあった。初午詣での帰りには、この人形を買って帰るのが願掛けのようなものだった。家内安全を願い、毎年一回りずつ大きい人形を買い、通り庭の神棚へ並べてお祀りする。合計7体をそろえるのが目標であるが、途中で葬式があるともう一度やり直さなければならなかった。すべてがそろえば、なによりも不幸がなく、とてもめでたいことだったそうである。窯元は数えるほどになったが、いまもこの習わしは続いている。


稲荷山の3つの峰の最高峰である、一ノ峰付近の参道の様子。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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