公的な健康保険制度が整備され「いつでも、どこでも、誰でも」必要な医療を受けられる日本では一般的ではないが、世界では医療を受けるために外国に出かける人が増えている。
理由は、その国独自の豪華な医療サービスを受けたいといった患者の個人的な好みもあるが、自国では受けられない高度な医療技術や質の高い医療を求めて渡航するのが大半だ。しかし、国内の医療水準は決して低くないのに、待機患者が多いイギリスや医療費が高すぎるアメリカでは、母国ではなかなか医療が受けられないといった理由で海外に出かける傾向が強いようだ。
2008年は世界で600万人が医療目的で渡航されたと推計されているが、その半分を受け入れているのがアジアの国々だ。とくにタイやシンガポールなどは2000年代前半から外国人患者を受け入れる環境を整えており、医療ツーリズムが外貨獲得のため一大産業となっている。2012年の世界の医療ツーリズムの市場規模は1000億ドルと推計されており、今後ますます増えることが予想される。
こうした世界の流れを受けて、日本でも民主党政権下の2010年に医療ツーリズム受け入れのための具体的な政策が出され、医療滞在ビザの発給などの環境整備が始まっている。日本政策投資銀行のレポート「進む医療の国際化~医療ツーリズムの動向~」では2020年時点の日本への医療ツーリズムの潜在的な需要は約43万人、市場規模は5500億円(純粋な医療費は1681億円)と推計されている。しかし、この数字は、推計値を出すための仮定が甘く過大表示だと疑問を呈する声もある。
また、日本では深刻な医師不足が続いており、2010年に行なわれた厚生労働省の「必要医師数実態調査」では、全国の病院で約2万4000人の医師の補充が必要と報告されている。こうした実態を無視して医療ツーリズムを受け入れると、勤務医がさらに過重労働を強いられるだけではなく、お金が儲かる外国人患者の治療が優先されて国民医療が後回しになることが懸念される。医療の産業化を推進する一部の医療機関、経済界などは医療ツーリズムに期待を寄せるが、厚生労働省は国民医療が阻害されないことを前提に取り組むとしており、慎重な姿勢を見せている。