人種や民族、宗教、性的指向、障害など、特定の属性をもつ人々に対して、憎しみや偏見の言葉を投げかけたり、差別的な表現を行なったりすることをヘイトスピーチ(憎悪表現)という。
こうした憎悪表現を規制するために、人種差別撤廃条約第4条(b)では、人種差別を助長し扇動する団体・組織の宣伝活動を禁止し、「このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認める」ように加盟国に義務づけている。
この条文に基づき、イギリス、フランス、ドイツなどでは、憎悪表現を法規制している。日本は、この条約に加盟しているものの、憲法が保障する集会、結社、表現の自由等を不当に制約する恐れもあるため、第4条には「憲法に抵触しない限度において履行する」といった留保をつけている。
だが、ここにきて、日本でもヘイトスピーチになんらかの法規制が必要ではないかといった議論が生まれている。きっかけは、排外主義的な市民団体が、東京・新大久保で在日韓国人や朝鮮人などに対して行なったデモだ。
「殺せ」「レイプしろ」。聞くに堪えない差別や暴力をあおるヘイトスピーチは、新聞やテレビでも報道され、多くの人が知るところとなった。
歴史問題での日韓の対立もありヘイトスピーチは過激化しており、「表現の自由を超えている」「法規制すべき」といった声も聞かれるようになったのだ。
20世紀半ば以降に人種差別思想が巻き起こった欧州諸国などと異なり、日本はあからさまな憎悪表現はマナーとして慎む習慣があった。そのマナーを守れない人々が増えてくると、なんらかのルールが必要になる。
だが、ヘイトスピーチの規制は、政府にとって都合の悪い言論を規制し、表現の自由を制約することにもなりかねないため、慎重に判断する必要があるだろう。
一方で法規制に頼らずに、ヘイトスピーチの反対を訴える市民の活動も出てきている。「仲良くしよう」といったプラカードを掲げ、排外主義的な団体のデモ隊の声を歩道からのアピールがかき消したのだ。
こうした良識のある市民との対話によって、ヘイトスピーチが行なわれない節度のある社会になることを望みたい。