過去最低の投票率だった昨年12月16日の衆院選。
無効票も多く、比例区、小選挙区合わせて約352万票が、投票用紙に何も書かれていない白票であったり、別の候補者の名前が書かれていたという。無効票の割合が最も高かった高知県は、1万7000票の無効票のうち半数以上が白票だったという。
昨年末の衆院選は政党が乱立して、入れたい政党があっても、その党の候補者が選挙区にいないケースもあった。そのため、投票所に足を運んだものの、投票する候補者が見つからず白票を投じた人もいるだろう。
しかし、ここで考えたいのが選挙の意味だ。国政選挙は、国の行く末を話し合うための私たちの代表を決めるもので、自分の意見を代弁してくれる人を選ぶものだ。
結婚相手を選ぶわけでもなく、恋人選びでもない。共感できる人がいなければ誰にも投票しないとなると、自分の意見を代弁してくれる人を話し合いの場に送ることはできず、自分の意見を何ひとつ政治に反映させることはできなくなる。政治はゼロか百かではなく、それぞれの利害を持つ人が調整を重ねながら、ある意味では妥協を繰り返しながら、ひとつの方向性を作り出していくものだ。
たとえ自分の思い通りの政策にならなかったとしても、最初からそこに絡むことを諦めてしまうと、自分の言いたいことは何一つ政策には取り入れてもらえなくなる。白票を投じることは、政治批判にはなっても、残念ながらそれで政治を変えることはできないのだ。
たとえ自分の選挙区に入れたい政党の候補者がいなくても、選挙の情勢をみながら、「Aという政党が政権をとると、自分の生活が破壊される」と思うなら、そのやり方に歯止めをかけてくれる対立候補に投票するという方法でも自分の意見は反映できるものだ。
政治が国民の生存権を無視するような方向に歩き出している今、私たちが持つ一票の重みを真剣に考えるべきだろう。