1922年に『ロンドン・タイムズ』のようなニュース誌と『エコノミスト』のような経済誌、大衆向け情報誌を目指し創刊された朝日新聞社の週刊誌(最初は旬刊)。毎日新聞社の『サンデー毎日』は1か月遅れで創刊されている。
アメリカン・コミックス「ブロンディ」を日米対訳式で載せたり、吉川英治の『新・平家物語』を連載、大家が描く表紙の絵を読者プレゼントにするなどで着実に部数を伸ばした。扇谷正造(おうぎや・しょうぞう)編集長時代の1954年9月に100万部を突破し、1958年新年号は150万部に達した。
だが1956年に初の出版社系週刊誌『週刊新潮』が発売され、『週刊文春』『週刊現代』などが次々に出てくると勢いを失い、現在の実売部数は13万部(2012年上半期、ABC調査より)にまで落ち込んでいる。
2012年10月26日号で、佐野眞一氏と週刊朝日取材班による連載第1回「ハシシタ 奴の本性」を掲載し、橋下徹(はしもと・とおる)大阪市長の父親の出身地を公表したことで、「差別を助長する」と橋下市長などから猛烈な抗議を受け、朝日新聞社が謝罪し、河畠大四(かわばた・だいし)編集長は更迭、発行元の朝日新聞出版神徳(こうとく)英雄社長は辞任に追い込まれてしまった。
立て直しを図るべく小境(こざかい)郁也氏(53)が編集長になったのだが、その小境編集長が「セクハラ常習者」だったというのだから、お粗末すぎて開いた口が塞がらない。
『週刊文春』(10月17 日号、以下『文春』)で朝日新聞出版関係者がこう話している。
「いまは朝日新聞社と朝日新聞出版に分社化されていますが、〇八年までは同じ会社だった。社員の行き来がある二つの会社のなかの何人かの女性が、小境氏と関係を持っていたというのです。小境氏には妻子がいますが、長く別居していて現在は一人暮し。ある女性記者と不倫関係にあったのは社内では有名だし、過去にも別の女性問題が取り沙汰されたこともありました」
別の朝日新聞出版関係者もこう語る。
「気に入っている女性がいると、『○○と飲んでいるからおいでよ』と誘いだし、女性が来ると同席していた人を帰らせて二人っきりになるのが常套パターン。酔った勢いで抱きついたり、いきなり胸を揉んだり無理やりチューしたり。テーブルの下で強引にスカート内に手を入れ、太ももの奥を触りまくることもありました」
今回はセクハラを受けていた女性が周囲の女性に相談し、これまで関係があった女性の名前などを書いた連判状のようなものを作り、朝日新聞本社に報告したという。
だが、文春の取材に対して朝日新聞社側は「現在、事実関係を調査中」と悠長なことをいっていたのだが、文春が発売される前日「週刊朝日編集長を懲戒解雇 重大な就業規則違反」と発表したのである。
後任編集長には朝日新聞東京本社写真部の長友佐波子(ながとも・さはこ)フィーチャー写真担当部長が10月9日付で就いた。女性ならセクハラはないだろうという、朝日新聞らしい姑息な考えのように思えてならない。
長友編集長は『週刊朝日』(10/25号)の新任挨拶でこう書いている。
「前編集長は重大な就業規則違反があり、8日付で懲戒解雇処分となりました。昨年、小誌は橋下大阪市長の差別記事を掲載した反省から『家庭で安心して読めるニュース週刊誌』を目指してスタートしたばかりでした。 1年にも満たない時期での不祥事に読者の皆様の期待と信頼を再度裏切ることになりました。深くお詫びいたします。(中略)
たいへん厳しい状況ではありますが、 1922年発刊、92 年目を迎えた週刊朝日が社会から信頼される雑誌となるために、編集部一同、初心に帰って努力していきたいと思います」
次に何か起こせば確実に休刊となる。長友編集長には相当な覚悟で臨んでもらいたいものだ。それと、もっとおもしろい読みでのある雑誌にしてほしいと、お願いをしておく。なんとか創刊100周年までは頑張ってほしいものである。