1年の終わりの月である12月を、「果ての月」という。果ての二十日とは12月20日のことである。歳暮の挨拶、大掃除や正月用意と、忙しさの極まる時期であるが、この日は、一切の仕事をやめて外出を避け、静かに過ごす日であると伝えられている。
東海道から来た人が京の都に入る時、その入り口となっていた粟田口(あわたぐち、左京区)は、江戸時代には刑場が設けられていた。罪人は都の中を引き回された後、この粟田刑場で果ての二十日に首を斬られていたという。その命を忌み慎むという意味から、この日の過ごし方が守られてきた。罪人は首を斬られる前に一つだけ最後の願いが聞き入れられた。町衆はそれを恐れ、家族が目を付けられないように、特に女の子の外出は控えられていたという話もある。現在の粟田口周辺は、いくつかの地名としてその名残りをとどめている程度で、実際の面影はなにもない。
一方、奈良県の山中には、果ての二十日に「一本足」という妖怪が出没し、一年に一度、この日だけは人間の命をとるという伝説が残っている。現在も西日本では、12月20日に山仕事へ出かけることを避けるという風習を受け継いでいる地域がある。
京都と奈良山中の習俗との間に関連性はないようであるが、一年の精算をする日でもある大晦日を間近にひかえ、身を慎み、災いを避けるべき忌み日があることは、とても意味深く感じられはしないだろうか。