屋外で茶を入れ、茶会を楽しむこと。茶の湯では、野点(のだて)や野懸茶(のがけちゃ)ともいう。春や秋の心地よい日に屋外でお茶を楽しむ、野懸(のがけ、現代のハイキングの意味)の一種である。山野で薪の柴を集めて穴を掘り、火を焚いて行なう茶会であることから、「柴火の会」ともいわれている。

 江戸末期の大老・井伊直弼(いい・なおすけ)は、『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』の「一期一会」で「柴火会(ふすべ茶)」に触れ、「是は、野懸の茶事也。山野にて土をほり、松などのえだに釜を釣りて、茶を点ずること、定まり足る事はなしと云へども、根元の格は一つにそなはらずしては成しがたし」(灯影撰書「一期一会」より)と言及している。漢字では「燻茶」と書く。こちらは江戸期の色合いの繊細な美意識を表す「四十八茶百鼠」(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)にある色名の一つでもある。

 ふすべ茶の発祥は、1587(天正15)年に豊臣秀吉が九州での島津征伐を終えた帰路のことで、千利休が箱崎松原(福岡市東区)で振る舞った茶会であるとされている。このときの利休は、松の木から下げた鎖に雲龍を模した茶釜をかけ、白砂のうえに積んだ松葉で火をおこして茶を点て、秀吉をもてなしたという。当時はこのような侘数寄(わびすき)が極まりつつあった時期であり、同じ年の秋には、もう一つの興味深い茶会が催されている。それは京都北野天満宮の境内で行なわれた北野大茶会(きたのだいさのえ)でのこと。一風変わった侘数寄の茶人として有名なノ貫(へちかん)が、直径一間半(約2.73メートル)もの大きな朱塗りの傘を茶室に見立てて「ふすべ茶」を演出し、秀吉を驚喜させたと伝えられている。


春はわらび餅とほうじ茶だけで、気軽にふすべ茶気分が楽しめる。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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