6月4日の衆議院憲法審査会で、審議中の安全保障関連法案について、参考人招致された3人の憲法学者すべてが「違憲」だと指摘。
憲法学者による痛烈な政権批判が注目をあびるなか、膠着する沖縄の米軍基地移設問題についても「住民の同意なしに基地建設を行なうのは憲法違反」という議論が起きている。
1995年、沖縄に駐留していた海兵隊員など3人の米軍兵士が、小学生の少女を集団で強姦する事件が発生した。この事件を機に、くすぶっていた米軍基地への反発が一気に高まり、大規模な反基地運動が展開されることになった。
危機感を強めた日米両政府は、翌96年に代替えのヘリポートをつくることを条件に、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市にある米軍の普天間飛行場の返還に合意。その移転先として、国が選んだのが同じ沖縄の名護市辺野古(へのこ)地区だったのだ。
しかし、辺野古移設には「なぜ沖縄一県で、75%もの米軍基地を押し付けられなければいけないのか」「基地建設によって豊かな生態系が破壊される」など、地元住民の強い反発がある。
2014年11月の沖縄県知事選でも、辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志(おなが・たけし)氏が、前知事の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏に大差をつけて当選。これで基地建設には「待った」がかけられるはずだったが、国は「民意」を無視して、海岸の埋め立て工事を「粛々と」進めている。
だが、地元の声を反映させる秘策が憲法にあった。
首都大学東京准教授の木村草太(きむら・そうた)氏は、ニュース専門ネット番組「ビデオニュース・ドットコム」で、「憲法95条による住民投票を行なうべき」との提案をしているのだ。
国内に、外国の基地がつくられるということは「国政の重要事項」だ。その地方自治体の権限は著しく制限されるだけではなく、主権が失われて国家直轄地になるに等しい。
国政の重要事項は、国会(立法府)で法律を制定して対応すべきものだが、現状では基地建設問題については内閣(行政府)に丸投げされている。言い換えれば、政府与党がその権限を超えて、自分たちの都合のよいように基地移設を進めているともとれる。
4月に行なわれた参議院予算委員会で、松田公太議員の質問に対して、安倍晋三首相は、「米軍基地移設は国政の重要事項だ」と認めながらも、「行政の責任において、すでにある法律のもとで粛々と進める」と辻褄の合わないことを言っている。
だが、憲法41条には、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定められている。
本来なら、国政の重要事項である基地移設は、国民の代表である国会議員が話し合い、国会(立法府)で辺野古に新基地を設置するための根拠法を作る必要があるのだ。
では、仮に「辺野古新基地建設法」なるものを作るには、どのような手続きが必要になるのか。
特定の地域のみに適用される特別な法律を作るには、憲法95条で「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定められている。
「辺野古新基地建設法」は、名護市の地域限定の法律になるので、憲法95条による名護市の住民投票を行なう必要がある。
住民投票には、その結果を尊重する「諮問型」と、その意思決定に従う「拘束型」があるが、憲法95条による住民投票は後者。
法律を制定するには、過半数の同意を得なければならないのだ。
さて、憲法に則って「粛々と」手続きを進めると、果たして「辺野古新基地建設法」は成立するのか。それは、沖縄の人々が決めることだ。
戦後70年間、米軍基地の場所を決めるための具体的な根拠法もないまま、なぜか沖縄一県に重い負担が強いられてきた。日本が本当に民主主義国家であるというなら、憲法の定めに従って手続きを行ない、その上で基地建設の場所を定めるのが筋というものだろう。
太平洋戦争で国内唯一の地上戦を経験した沖縄は、20万人を超える戦死者を出している。そのうちの約半分は、兵士ではない一般市民や子どもたちだ。その沖縄戦が終結したのが1945(昭和20)年6月23日だ。
沖縄では、この日を「慰霊の日」と定め、戦没者の霊を慰め、恒久の平和を祈っている。沖縄県民にとって、忘れられない特別な一日だ。
辺野古に米軍新基地が移設されれば、その深い傷をまたもえぐることになる。もうこれ以上、沖縄の人を悲しませるのはやめにしたい。
憲法学者による痛烈な政権批判が注目をあびるなか、膠着する沖縄の米軍基地移設問題についても「住民の同意なしに基地建設を行なうのは憲法違反」という議論が起きている。
1995年、沖縄に駐留していた海兵隊員など3人の米軍兵士が、小学生の少女を集団で強姦する事件が発生した。この事件を機に、くすぶっていた米軍基地への反発が一気に高まり、大規模な反基地運動が展開されることになった。
危機感を強めた日米両政府は、翌96年に代替えのヘリポートをつくることを条件に、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市にある米軍の普天間飛行場の返還に合意。その移転先として、国が選んだのが同じ沖縄の名護市辺野古(へのこ)地区だったのだ。
しかし、辺野古移設には「なぜ沖縄一県で、75%もの米軍基地を押し付けられなければいけないのか」「基地建設によって豊かな生態系が破壊される」など、地元住民の強い反発がある。
2014年11月の沖縄県知事選でも、辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志(おなが・たけし)氏が、前知事の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏に大差をつけて当選。これで基地建設には「待った」がかけられるはずだったが、国は「民意」を無視して、海岸の埋め立て工事を「粛々と」進めている。
だが、地元の声を反映させる秘策が憲法にあった。
首都大学東京准教授の木村草太(きむら・そうた)氏は、ニュース専門ネット番組「ビデオニュース・ドットコム」で、「憲法95条による住民投票を行なうべき」との提案をしているのだ。
国内に、外国の基地がつくられるということは「国政の重要事項」だ。その地方自治体の権限は著しく制限されるだけではなく、主権が失われて国家直轄地になるに等しい。
国政の重要事項は、国会(立法府)で法律を制定して対応すべきものだが、現状では基地建設問題については内閣(行政府)に丸投げされている。言い換えれば、政府与党がその権限を超えて、自分たちの都合のよいように基地移設を進めているともとれる。
4月に行なわれた参議院予算委員会で、松田公太議員の質問に対して、安倍晋三首相は、「米軍基地移設は国政の重要事項だ」と認めながらも、「行政の責任において、すでにある法律のもとで粛々と進める」と辻褄の合わないことを言っている。
だが、憲法41条には、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定められている。
本来なら、国政の重要事項である基地移設は、国民の代表である国会議員が話し合い、国会(立法府)で辺野古に新基地を設置するための根拠法を作る必要があるのだ。
では、仮に「辺野古新基地建設法」なるものを作るには、どのような手続きが必要になるのか。
特定の地域のみに適用される特別な法律を作るには、憲法95条で「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定められている。
「辺野古新基地建設法」は、名護市の地域限定の法律になるので、憲法95条による名護市の住民投票を行なう必要がある。
住民投票には、その結果を尊重する「諮問型」と、その意思決定に従う「拘束型」があるが、憲法95条による住民投票は後者。
法律を制定するには、過半数の同意を得なければならないのだ。
さて、憲法に則って「粛々と」手続きを進めると、果たして「辺野古新基地建設法」は成立するのか。それは、沖縄の人々が決めることだ。
戦後70年間、米軍基地の場所を決めるための具体的な根拠法もないまま、なぜか沖縄一県に重い負担が強いられてきた。日本が本当に民主主義国家であるというなら、憲法の定めに従って手続きを行ない、その上で基地建設の場所を定めるのが筋というものだろう。
太平洋戦争で国内唯一の地上戦を経験した沖縄は、20万人を超える戦死者を出している。そのうちの約半分は、兵士ではない一般市民や子どもたちだ。その沖縄戦が終結したのが1945(昭和20)年6月23日だ。
沖縄では、この日を「慰霊の日」と定め、戦没者の霊を慰め、恒久の平和を祈っている。沖縄県民にとって、忘れられない特別な一日だ。
辺野古に米軍新基地が移設されれば、その深い傷をまたもえぐることになる。もうこれ以上、沖縄の人を悲しませるのはやめにしたい。