『週刊現代』(9/3号、以下『現代』)は東京商工リサーチの協力を得て、一代で年商500億円以上の企業を創業した社長を選び、上位50社に取材を申し込んだという。

 新しい金持ちたちの顔ぶれは、アパレルや量販店、飲食店やドラッグストア、アミューズメント業界など、私たち消費者から近い業態の創業社長が多いのが特徴だそうだ。

 50人のリストの1位はファーストリテイリングの柳井正会長兼社長の1兆6817億円、2位のヤマダ電機・山田昇会長の1兆4645億円から始まり、50位のビッグホリデー社長・岩崎安利氏の628億円と様々である。

 企業には大中小零細とあるようだが、27位の「丸亀製麺」のトリドール(栗田貴也社長・54歳)の売り上げは956億円と、1000億円を切っているから中企業であろう。

 『現代』のインタビューに答えているのは中企業の社長たちであるが、それぞれドラマがある人たちだ。

 『三栄建設設計』の小池信三社長(48歳)は大手住宅販売会社のトップ営業マンの地位を捨てて、93年、25歳の時起業した。

 「'90年、平成バブルの真っ只中に、大手不動産仲介会社『三井のリハウス』(三井不動産リアルティ)に入社しました。地元・福島の商業高校を卒業した後、上京して浪人生活を送っていましたが、将来何をしたいという目標があるわけでもなく、進学を断念してしまったんです。そこで学歴とは関係なく、実力で評価してもらえる仕事に就こうと、不動産業界に興味を抱きました」

 小池氏は入社してすぐに頭角を現したそうだ。初年度から営業成績がトップになり、その後もトップの成績を維持し続ける。

 「20歳そこそこで年収は1500万円くらいあったでしょうか。でも、バブルが崩壊して、会社が海外事業からの撤退を決めたので、会社を辞めることにしました」

 その頃小池氏には疑問に思っていることがあった。東京23区内の戸建てで1億円もの物件でも、住宅に個性がなく、あまりに安普請であることだ。

 個性的な分譲住宅がないのであれば、自分でつくって売ろう、しかも一般のサラリーマンが購入できる価格で。こうして小池氏は起業の道を歩みはじめた。

 「建売住宅をつくっている会社の場合、ほとんどがコスト削減を重要視しているので、間取りやデザインをパターン化しています。手間ひまがかからず、建材を大量購入できるので、コストを抑えられるからです。でもそれがはたして、お客様のニーズに合っているのか。住宅はお客様の『人生の夢』です。それが他人と同じようなものでいいのか。私たちは『同じ家は、つくらない。』を信条にオンリーワンの家づくりを続けてきました」

 三栄建築設計の業績は創業以来ずっと右肩上がりで、リーマン・ショック後の厳しい時期でも増収増益。12年には東証1部に上場を果たすのである。

 しかし好事魔多し。小池社長が株価操作の疑いで、証券取引等監視委員会から強制調査を受けてしまうのだ。

 結局、疑いは晴れたが金融機関からの借り入れがストップしてしまう。

 「資金繰りは厳しかったのですが、増収増益こそストップしたものの売上高はほとんど落ちませんでした。そこで逆に銀行からの借り入れがなくてもやっていけそうだと考え、無借金経営を目指すようになったのです」

 これからは海外進出を本格化させると、小池社長は言う。

 「個性的な家づくりを、アジアなどの海外にも展開していく予定です。2年前には米ロサンゼルスに支店を開きましたが、個性を大切にする米国では当たり前のように受け入れられています」

 愛知県発祥の中古車販売会社『ネクステージ』の広田靖治社長(43歳)も小池社長同様、大学を出ていない。それどころか、定時制高校も中退した中卒経営者だそうだ。

 「よく不良にならなかったなと言われますが、家庭の事情により中学2年生からアルバイトを始め、お金を稼ぐ楽しさを知って夢中になりました。仕事と学業でどちらが楽しいかといえば、その頃は働くほうが圧倒的に楽しかったのです。
 今は学歴や教育の差が格差を拡大させていると言われますが、それを解消するには、若い人は早い段階から働くことを勧めたいですね」

 広田社長はガス給湯機の訪問販売の会社に入り、必死に営業することでトップセールスマンになった。その頃、趣味の車好きが高じて、自動車販売に興味を持つ。

 96年に23歳で1号店をオープンさせ、専門性を売りに業績を伸ばす。例えば創業当初は『ボルボ』の専門店から始めたという。メジャーな車種ではないが、それゆえに専門店はなく、一方でマニアが存在するからだ。資金力がない中で、他店と差別化を図るにはこれが最適だったようだ。

 「最大のピンチは11年ほど前に訪れました。多店舗展開が進む中で、弊社のビジネスモデルを真似する会社も出てくる。その結果、業績が頭打ちになってしまったんです。
 そこでビジネスモデルを大転換しました。通常、中古車販売会社はオークションから100万円で仕入れた車を150万円で売ることで利益を出していました。弊社は100万円で仕入れた車を、そのまま100万円で売ることにしたのです。どこで利益を出すか。それは販売時に付随して購入していただくアクセサリーやパーツなどです。仕入れはオークションですから、会社の規模が大きくなっても、それによるメリットはありません。しかし、アクセサリーやパーツは大量に売れば売るほど、仕入れ原価が安くなり、規模のメリットが享受できるのです」

 結果はすぐに出た。車の価格が下がったことで来店者数が3倍に増えたという。車本体の価格が安くなった分、購入客がオプションをつけてくれるため、業績は一気に拡大し、今につながっているそうだ。

 成功を収めた今も、広田社長は満足することはない。根底にはこんな「金銭哲学」があるという。

 「おカネを稼ぐことは人一倍好きですが、使うことにはあまり興味がありません。むしろ事業を大きくして収益を拡大させることが一番の欲求です。稼ぐことの楽しさを知ってしまったら、買い物で得られる喜びなど比べ物になりませんよ」

 福井県坂井市に本社を構えるディスカウント店『PLANT』の三ッ田勝規社長(74歳)も金銭には恬淡としているそうだ。

 同社はスーパーマーケットとホームセンターの良さを併せ持つ「スーパーセンター」を標榜し、北陸を中心に19店舗を展開する東証1部上場企業だ。

 「妻と2人でやっていた頃は、問屋に払うカネがなく、銀行も貸してくれずに困ったこともありますが、おカネへの執着はありません。そもそも私は1000万円以上の現金をいまだに見たことがないのです。本部と各店舗には金庫がありますが、興味がないので、中を覗いたこともない」

 成功した経営者の多くは「仕事が趣味」と口をそろえる。三ッ田社長と同じ、北陸地方に本拠を置くドラッグストア『ゲンキー』の藤永賢一社長(53歳)も、ご多分にもれず仕事の虫だそうである。

 「東京・赤坂にあったドラッグストアに就職したんです。そのままバイトを続けていましたので、夜中はスーパーで昼間はドラッグストアという生活。睡眠時間は2時間で、一週間でも14時間しか寝ていない、そんな生活でした」

 藤永社長は26歳で地元の福井県坂井市に戻り、ドラッグストアを開業。当時は福井にドラッグストアなどなく、市販薬は定価で売られていた。そこに東京の価格を持ち込んだため、なぜこんなに安いのかと評判になり、業績を拡大していく。

 目下も過去最高益を更新するなど、業績は好調だ。ただ、藤永社長は日本社会の先行きには若干の不安を感じているという。

 「日本経済は成熟してきていますから、再びベンチャー魂がよみがえることは難しいと思います。国家もある時は若々しいですが、だんだんと年をとって大人になるように、成熟すると人にやさしくなったり、文化的になったりするわけで、経済的には伸びが鈍化します。この流れは当面変わらないでしょう。再び高度成長期に戻れるかというと、そんな処方箋はないと思います。何とかやりくりするしかないという時代に入っているのではないでしょうか」

 彼らの話を聞く限り、一代で財を築いていった人たちは、人の行く裏に道ありと、大企業が手を出せない、小回りが利かないところを先取りして成功してきた人たちが多いようだ。

 それに仕事は楽しい、カネを稼ぐことは楽しいと、使うことなどに目もくれず一心不乱に仕事一筋に打ち込んできたのであろう。

 私とは正反対の人生だったと思う。仕事より遊び、稼ぐより一晩でパッと使う「粋」な使い方こそ人生やと、毎晩、財布を逆さに振って1円、5円玉まで使い切っていた。

 まあ、私のどこを探しても経営者などという資質がないことは、私を知る人間なら一目でわかることではあろうが。

 私はカネを稼ぐ才覚のある人間を無条件に尊敬する。世の中には、籠に乗る人担ぐ人、そのまたワラジをつくる人がいるのだ。私のように生涯カネと縁のない人間には、こうした成功譚を読んでも、こう思うだけである。

 もう一度生まれ変わっても、カネを稼ぐなんて野暮なことはしたくないね。

 それはともかく、一代でカネを稼いだ多くの創業者たちは、次を誰にやらせるかに悩んでいるそうだ。息子に継がせるべきか、部下に任せるべきか、それが問題なのだ。

 だが、関西や関東を中心に103店舗のパチンコホールを展開する『アンダーツリー』の木下春男社長(73歳)は、事業の世襲には否定的な考えだという。

 「私はパチンコ設備会社の雇われ社長をしていましたが、43歳の時に一念発起して、ホールの経営者になりました。パチンコ店の経営者が、私の夢だったんです。今年9月で売上高は2500億円になります」

 同社は業界第4位の一大パチンコグループだが、それを誰が引き継ぐのか?

 「私は後継者を創業一族から出したいとは考えていません。夢と志を持って、チャレンジ精神を抱き続ける社員に後を譲りたい。トップリーダーになるには、決して頭脳明晰でなくてもいいんです。一度自分が掲げた目標に対して、失敗しようが、挫折しようが、ひたむきに続けられることが大事。失敗して悩んでも、翌日には明るい顔をして、目を輝かせて働く人になってほしいと、社員には常々言っています。
 人生なんて、どうせ思ったように全部がうまくいくことなんてないんですから。トップリーダーがそういう姿勢でいなければ、社員もついてこないと思いますね」

 創業者の子息はチャレンジ精神に欠ける──木下社長は多くの同業他社を見てきて、そう感じてきたという。

 「実際に、多くのパチンコ店は二代目、三代目にして、潰れていっています。自分の息子に継がせて潰れたら、その息子がおかしな人生を歩むことになります。経営者として、親として、それをさせたらダメだと私は思います。他人が継いで潰れたのなら、見る目がなかったと諦めもつくけど、息子が継いで潰れたら、親の教育が悪かったということになりますしね」

 ダイエー、イトーヨーカ堂の例を挙げるまでもなく、後継を誰にするかは、その企業そのものを継続させることができるかどうかを大きく左右する。

 一代限りの英雄は生まれるかもしれないが、その子どもが英雄になれる家はほとんどないと言ってもいいだろう。それは企業だけではなく、芸能界、文化人、政治家然りである。

 私のように、親が平凡を絵に描いた人生を生きてくれたほうが、子どもたちには幸せだろう。そう信じて生きてきたのだが、子どもたちはどう思っているのか、聞くのが怖い。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 SMAPがやっと解散を決めた。そんな(私にとっては)どうでもいいニュースがリオ五輪を押しのけて速報として流れた。大新聞でも「号外」を出そうかと検討した社があるとかないとか。平和ボケここに極まれりと思うが、不惑前後のいい年をした中年男たちが、自分の生き方さえ自分で決められないというお粗末な実態は、今の芸能界がいかに腐りきっていて、金儲けだけを考え、所属タレントの人間教育など何一つやってこなかったかということの明白な証拠である。SMAP騒動は日本の芸能界の腐食構造を明らかにしたという一点だけにおいて、芸能史に記憶されることになるであろう。

第1位 「鶴保庸介が捨てた『18歳年下妻』と『2歳の息子』」(『週刊ポスト』9/2号)
第2位 「『SMAP』解散の魑魅魍魎」(『週刊新潮』8/25号)/「SMAP解散『僕たちは15年前に壊れていた』」(『週刊文春』8/25号)/「ドキュメント『SMAP解散』」(『週刊現代』9/3号)
第3位 「2016好きなジジイ、嫌いなジジイ」(『週刊ポスト』9/2号)

 第3位。『ポスト』の「2016好きなジジイ、嫌いなジジイ」。まずはいくつになっても好かれるジジイのベスト10。
 ビートたけし、タモリ、長嶋茂雄、王貞治、高田純次、加山雄三、西田敏行、志村けん、池上彰、舘ひろし。
 嫌われるジジイは、舛添要一、森喜朗、みのもんた、鳥越俊太郎、石原慎太郎、張本勲、鳩山由紀夫、小沢一郎、テリー伊藤、中尾彬。
 私が嫌いなジジイを5人挙げてみよう。本当は安倍晋三を1位に挙げたいのだが、彼は65歳以下なので残念ながら入れることはできない。もちろん自分を入れるのもやめておいたが、そうとう上位に来ることは間違いない。
 1位は石原慎太郎、2 位はビートたけし、3位が森喜朗、4位は小沢一郎、5位は小泉純一郎というところかな。
 私にはビートたけしのよさがまったくわからない。彼の顔がテレビに出るとすぐにチャンネルを変えるほどだが、どこがいいのか誰か教えてくれないか。

 第2位。さて、日本中が五輪ボケしているとき、眠りを覚ます大ニュースが流れた。「SMAP解散」である。翌朝の朝日新聞までが一面で扱っていたのにはビックリした。
 と、ここまで書いてきたが、実はこのニュースの何が「重大」なのか、私にはさっぱりわからない。
 40前後の中年男たちが解散しようが、独立しようが、勝手にしやがれである。昔なら「懐メロ」に出ていてもおかしくない年齢なのに、未だに独り立ちできていないというほうが問題だろう。
 このニュースを最初にすっぱ抜いたのは日刊サイゾーだった。快挙である。8月13日夕方に「SMAP、ついに事実上の“解散”」と報じたのだが、他の大手メディアはなりを潜めたままだった。
 報道に火が付いたのは日付が変わった14日未明。ジャニーズ事務所がメディア向けにSMAPは解散しますというFAXを出してからだった。
 すると先ほどの朝日新聞を含め、スポーツ紙はもちろん、大本営発表の如く一面で大々的に報じたのである。
 合併号明けの『文春』、『新潮』も「SMAP解散『僕たちは15年前に壊れていた』」(『文春』)、「『SMAP』解散の魑魅魍魎」(『新潮』)と大騒ぎだ。
 両誌によれば、1月に起きた独立騒動は1月18日のナマ謝罪会見で終わったかに見えたが、木村拓哉と他の4人のメンバーとの確執は収まらなかったという。
 彼らを見出したジャニー喜多川社長(84)は、必死にメンバーを呼んで、説得のための面談を行なったが、ジャニーズ事務所を追われたマネージャーの飯島三智氏を母親のように慕っていた香取慎吾などは、自殺を仄めかすほど落ち込み、他の3人も、飯島氏と一緒に独立すると最初は言っていたのに裏切ったキムタクへの恨みを減じる力はなかったようである。
 『新潮』によると、8月9日の夜遅くにSMAPのチーフマネージャーから事務所幹部に「香取が、ジャニーさんに会いたいので時間を作ってほしいと言っている」と電話が入った。
 翌日の午後4時、キムタクを除く4人がジャニー氏と面談し、香取と草彅が「もう5人でやるつもりはない。解散するべきだ」と切り出したという。
 キムタクはそのとき、家族とハワイにいた。解散を広報すべく事務所が動き出したと同時に、メリー喜多川副社長と藤島ジュリー景子副社長は「プライベートジェットでハワイに旅立った」(フジテレビ関係者)というから、キムタクの立場がわかろうというものである。
 SMAPのメンバーの不仲説は長い間あったように思うが、『文春』によれば、15年前に既に壊れていたのだそうだ。
 そのきっかけはキムタクと工藤静香の「電撃結婚」だったという。

 「当時、木村の結婚に誰よりも反対していたのが飯島さんだったのです。『ファンを裏切ってはいけない』『結婚は絶対に許さない』と、もの凄い剣幕で木村に詰め寄っていたそうです。それを知った静香は、メリー氏の許可を得ようと、頻繁に連絡を取り、何度も挨拶に訪れた。メリー氏もはじめは結婚に反対していたが、静香の熱意にほだされ、いつしか家族同然に付き合うようになったのです」(女性誌記者)

 いくら人気絶頂だからといって、いい大人が結婚したいというのを無理矢理引き離そうとした飯島氏のほうが、無理筋だと思うのだが、芸能界ではそれが通らないようだ。
 『現代』が香取慎吾の知人の話としてこんなコメントを掲載している。

 「香取には20年近く交際している年上の恋人がいます。本人は結婚したいという気持ちもあるでしょう。しかしアイドルという立場を考えて、事実婚の状態を続けています。にもかかわらず、木村だけが結婚をし、家庭を築き、仕事にもペナルティがなかった。『なぜ木村君だけ許されるのか』と事務所に訴えたこともあった。そのうえ静香夫人の説得で独立も止めたのですから、香取がやり切れないのは当然です」

 解散後もキムタク同様4人も事務所に所属するらしいが、一人で司会をこなせる中居正広はいいが、他の3人には茨の道のようだ。
 だが『新潮』は、飯島氏が7月末、この業界のドンといわれる田辺エージェンシーの田邊昭知社長と会って話し込んでいたところを目撃したと報じている。
 事務所を離れて1年後の“喪”が明けるとき、飯島氏が何かを仕掛けるという見方も強くあるようだ。
 またSMAP解散でジャニーズ事務所側も大変な損失を被るそうだ。デビュー25周年でビッグイベントが目白押しだったにもかかわらず、ほとんど仕事らしい仕事はしなかった。
 これまでのツアーでは100万人ぐらいを動員していたから、チケットが1席9500円として95億円の売り上げが消えてしまった。
 グッズの売り上げは25億円以上。ツアー関連だけで約120億円の売り上げを失い、年間40億円といわれるファンクラブ収入もなくなる。テレビCMやテレビの出演料などを含めると年間総計200億円前後が消えるということになると、『新潮』がご丁寧に計算している。
 ジャニーズ事務所グループ全体の売り上げは1000億円を超えるといわれるそうだから、その実に約4分の1を失うことになるのだ。私にとっては痛くも痒くもないが、ジャニーズ事務所にとっては大きすぎる損失であろう。
 SMAP解散でさしもの栄華を極めたジャニーズ事務所もナベプロのように凋落していくと、私は思う。ちょっぴりいい気味ではある。

 第1位。安倍首相は、無難な内閣改造を終えてホッとしているのだろうが、またまた閣僚のスキャンダルを『ポスト』が報じている。
 鶴保庸介(つるほ・ようすけ)氏、49歳。政治家生活19年目で今回、沖縄・北方担当大臣として初入閣したイケメン議員である。
 彼の名を知らしめたのは野田聖子・元郵政相の夫としてだった。野田氏が夫婦別性を提唱していたため入籍はしなかったが、野田氏の不妊治療に協力し、06年には「ナイス・カップル」にも選ばれている。だが、それが別れる理由にもなってまったようだ。
当時鶴保氏はこう語っている。

 「別室へ行ってアダルトビデオを見て射精。それを試験管に入れて終わり。言葉は悪いですが、不妊治療をしている男性は自分のことを“精子製造機”のように思ってしまう瞬間があると思います」

 そんな彼が元妻・萩原美穂さん(仮名・31)と出会ったのは2011年頃。当時26歳だった美穂さんは、東京でメディア関係の仕事をしていたそうだ。
 12年の夏には和歌山の美穂さんの実家に鶴保氏が挨拶に行っている。しかし、2人の間には13年の夏頃から微妙な空気が流れるようになったそうだ。
 ちょうど美穂さんの妊娠が判明したタイミングだったという。彼女が入籍を求めても、鶴保氏に応じる様子はなかった。
 10月に話し合いの場を持ち、その席で「鶴保さんは美穂に“婚姻届を出すなら、離婚届も書いてほしい”と言い出したんです。(中略)結局、美穂はもうすぐ生まれる子供のことを考えて、泣く泣く離婚届にも署名捺印したと言っていました」(美穂さんの親族)
 翌14年の2月上旬にようやく2人は入籍する。子供が生まれる3週間ほど前のことであったという。
 そして出産から2か月後、美穂さんや親族を仰天させる出来事が起こる。大阪市から突然、「離婚届を受理した」という通知が届くのだ。

 「さすがに彼女の両親も“こんな人とは別れた方がいい”と離婚を勧め、美穂自身も気持ちを固め、弁護士を立てて離婚協議を始めたんです。話し合いは難航したものの、14年10月に慰謝料不要、月額8万円の養育費を払うという条件で協議離婚が成立しました」(同)

 ところが鶴保氏は、昨年の秋に何の連絡もなく養育費の支払いをストップしてしまったそうだ。
 出産後、彼が子供に会ったのも3、4回程度しかないという。「彼には父親としての自覚や責任感はまったく感じられません」(同)
 鶴保氏に『ポスト』が話を聞こうと電話すると、結婚、離婚、子どもの出生については事実だと認めたそうだ。
 その後文書で「離婚の事実には相違ありませんが、細部にわたっての経緯や現状については、プライベートな部分につき、当方は何もお答えする用意はありません」と答えた。
 たしかに夫婦間の問題は他人ではわからない部分が多くあることは間違いないが、「おれは子づくりの道具じゃない」と野田氏と別れ、待望の子どもが授かったのにすぐ離婚してしまうとは、不可解というしかない。
 この御仁、今回幹事長に就任した二階俊博氏の側近中の側近と言われるそうだが、人として大きな問題を抱えているのではないかと思わざるを得ない。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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