しかん【止觀】
古くは「しくわん」とよんだ。
①心を練って一切の外境や乱想に動かされず、心を特定の対象にそそぐのを止(サンスクリット語śamatha)といい、それによって正しい智慧を起こし、対象を観るのを観(サンスクリット語vipaśyanā)という。互いに他を成立させ、仏道を全うさせる不離の関係にある。心を静めて一つの対象に集中し、正しく観察すること。疑惑に心乱されないこと。あれこれと思いわずらわないこと。精神の整調と如実の観察。パーリ語samatha
[出典]
〈『雑阿含経』四巻大正新脩大蔵経二巻二八上:AN. Ⅱ, p.36〉 ≒サンスクリット語dhyānarathā samāhitā
〈『法集要頌経』有為品大正新脩大蔵経四巻七七七下:Udv. Ⅰ,42〉 サンスクリット語śamatha-vipaśyanā-ākhya...yoga サンスクリット語śamatha-vipaśyanā-bhāvanā 〈MSA.〉 。
〈『出曜経』愛品大正新脩大蔵経四巻六三二中〉
〈『道地経』〉
〈『華厳経』六〇巻大正新脩大蔵経九巻七八七中〉
〈『維摩経』大正新脩大蔵経一四巻五三九下〉
〈『俱舎論』一八巻三ウ、二七巻一一ウなど〉
〈『起信論』大正新脩大蔵経三二巻五七五下〉
〈『十住心論』八巻大正新脩大蔵経七七巻三五一中〉
〔解説〕古い時代には漢訳仏典に「止観」とあっても、必ずしも「止」と「観」とを厳密に区別しなかったらしい(「其心寂黙、成二就止観一」 〈『雑阿含経』四四巻大正新脩大蔵経二巻三一八中〉 パーリ相当文には「念いを現前に確立せしめて」 sati
upa
hapetvā
しかし、やがて「止」と「観」とを対比させるにいたった(「調二伏シテ心ヲ一止観ス」gama
vipassana
bhāveti
「止」にもとづいて「観」が修せられる( 〈AN. Ⅱ, p.157〉 )。
パーリ語samathaもパーリ語vipassanāも純粋の仏教用語であり、インド一般には用いられることがない。
②天台宗の根本教義。止は、心の動揺をとどめて本源の真理に住すること。観は、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察すること。止は定(じょう)に当たり、観は慧に当たる。止とは、諸現象の生起・変転にとらわれ、引きずられて心が散乱・動揺するのをとどめ、おさえることで、いわば主体の確立である。観とは、そこから諸現象を全体的、客観的に観察し、的確に判断をくだし、自在に対処していくことを意味する。合わせて寂照・明静などとも釈する。散乱する妄念を制止し、心を静寂にし、明智をもって諸物の実相を観照識別すること。心を専注して正しい智慧を起こし、物事を正しく観察し、理解すること。その形式に三種がある。
(1)禅定を修して、次第に実相の真理をさとる漸次止観。
(2)修行者の性格・能力に応じて実践の順序が定まらない不定止観。
(3)初めから実相を対象として円満欠けることなく、たちどころにさとるという円頓止観。円頓止観を最勝とする。
[出典]
〈『摩訶止観』〉
〈『修習止観坐禅法要』〉
〈『止観輔行』一ノ二〉
〈『守護国界章』上ノ下〉
〈『沙石集』二(一)〉
〈『芭蕉俳文』〉
〈『奥の細道』〉
③『摩訶止観』の略称。
解釈例摩訶止観、隋の智顗の説。 〈『五常内義集』五〉

