本文:既存小説家。
愛媛県喜多郡大瀬村の生れ。七人兄弟の三男。昭和一六年、大瀬国民学校に入学。一九年、父を喪う。二二年、戦後最初の新制中学一年生として大瀬中学校に入学。その五月新憲法施行。新憲法は「この憲法を自分のモラルとして選びとった人間は、それを自分の憲法として選びつづける」というしかたで、以後内部の原点となった。二五年県立内子高校に入学、翌年松山東高校に転校。二九年、東大文科二類に入学。村から地方都市へ、地方都市から東京へという、日本の近代化が育んだ村の非相続青年の出郷の典型的な過程をたどった。『死人に口なし』『獣たちの声』などの戯曲を書く。三一年、東大仏文科に進む。
渡辺一夫教授の薫陶をうける。サルトル耽読。三二年、小説『奇妙な仕事』を「東京大学新聞」に投稿、
荒正人選により五月祭賞を受賞。加えて
平野謙に「現代的にして芸術的作品」として文芸時評に認められ、『死者の奢り』(「文学界」昭32・8)で作家として出発。以後、精力的に短編を発表。三三年三月、短編集『死者の奢り』(文芸春秋新社)上梓。同年、『飼育』(「文学界」昭33・1)により第三九回芥川賞を受賞。
石原慎太郎、
開高健、
江藤淳らの間にあって、いちやく文学の新しい世代をもっとも表徴する場に立った。さらに同年六月書下ろされた処女長編『芽むしり仔撃ち』(講談社)がほぼあらゆる賞讃をほしいままにするにおよんで、その「
新しい文学」(江藤淳)の旗手としての位置は決定的なものとなった。短編集『見るまえに跳べ』(昭33・10 新潮社)を上梓。『奇妙な仕事』から『飼育』『芽むしり仔撃ち』にいたる過程は、すなわち昭和三十年代の若い文学世代がたがいに伴走しつつ一団となって疾走した短い蜜月期にあたるが、作品的にいえば、「閉ざされた壁のなかに生きる」戦後世代の手になるみずからのアドレセンスの発見にいたる過程だった、といえる。三四年、東大卒業(卒論『サルトルの小説におけるイメージについて』)。同年七月、書下ろし長編『われらの時代』(中央公論社)を発表。この「反・牧歌的な現実生活の作家になること」をみずからに課して、幸福なアドレセンスの季節から流謫した都市生活者たる「村」の青年の閉塞状態を内がわから書いた野心にみちた試みは、さまざまに否定的、攻撃的批評をひろく惹起し、騒がしい話題をよんだ。若い世代の風俗をえがいた長編『夜よゆるやかに歩め』(昭34・9 中央公論社)を上梓。エッセイ『われらの性の世界』(
「群像」昭34・12)を書く。これは『われらの時代』からあとの長編『日常生活の冒険』にいたる過渡的試みに方法的根拠をあたえた注目すべきエッセイである。このころドストエフスキー耽読。この年、シンポジウム「発言」(「三田文学」昭34・10・11)に参加。新しい世代の作家らを糾合したこの集いは、翌年日米安保条約改定問題を機に「若い日本の会」に発展。だが、安保改定反対運動の急速な展開と挫折はこの世代の結合に必然的な分解をもたらし、以後石原慎太郎、江藤淳らときびしく対立する。安保改定反対運動の体験は、その渦中における訪中日本文学代表団に加わっての中国への旅と重なって、あらためて新憲法を原点とする時代的自覚をしいた。若い世代のスポークスマンとしての発言をしばしば求められる。三五年、故
伊丹万作長女ゆかりと結婚。短編集『孤独な青年の休暇』(昭35・5 新潮社)、長編『青年の汚名』(昭35・6 文芸春秋新社)を上梓。三六年、前年の浅沼社会党委員長刺殺事件に素材を求めた二部作『セヴンティーン』『政治少年死す』(「文学界」昭36・1、2)を発表、右翼団体からの執拗な脅迫をうく(以来『政治少年死す』はどの作品集にも収録不能)。アジア・アフリカ作家会議(東京)に参加。ブルガリア作家協会の招きを機に、東欧、西欧、ソビエトへ旅する。エッセイ集『世界の若者たち』(昭37・8 新潮社)『ヨーロッパの声・僕自身の声』(昭37・11 毎日新聞社)を上梓。このころ、みずからの出郷の戦後史の追体験を意図した長編『遅れてきた青年』(昭37・1 新潮社)、および都市生活者を癌のように冒すグロテスクな心象風景の拡大図を意図した長編『叫び声』(昭38・1 講談社)、短編集『性的人間』(昭38・6 新潮社)があいついで書きすすめられる。その後に書きつがれた長編『日常生活の冒険』(昭39・4 文芸春秋新社)において、さらに性的人間として生きる戦後世代のミトス化が試みられる。しかし、『われらの時代』から『日常生活の冒険』にいたる作品はそれぞれに過渡的な試みの達成を示して、状況内存在の逼塞した夢想の追究を巧みに果たしつつもなお、観念的な試みの困難を充分に越ええたとはいいにくい。三八年、長男光出生。頭蓋骨異常のため瀕死の状態をつづける。夏、広島に赴く。原爆被爆の調査に係わる。この二つの体験はその創作活動に鋭い結節点をあたえた。その結節点をなす短編『空の怪物アグイー』(
「新潮」昭39・1)は、屈指の佳編である。このころから「想像力」という言葉がしばしば用いられるようになる。さらに直接それらの体験に深く根ざして書かれた書下ろし長編『個人的な体験』(昭39・8 新潮社)および長編エッセイ『ヒロシマ・ノート』(昭40・6 岩波書店)にいたって、それまでの「自殺する勇気をふるいおこせない」青年の仮構の論理は斥けられ、かわって「それでもなお自殺しない」人間という希望の原理への加重をとおしての、生の論理、パッションとしての生の論理へのつよい訴求が、より確かなかたちをとって示された。なかんずく小説の結末にあらわされた「人間の救済」という命題はかまびすしい論議をよんだ。『個人的な体験』により、第一一回新潮文学賞を受賞。四〇年三月、それまでの全エッセイを集成した『厳粛な綱渡り 全エッセイ集第一』(文芸春秋新社)を上梓。翌年、それまでの全小説を集成した『大江健三郎全作品』を上梓。フォークナーを耽読。前後して沖縄へ(昭40、42、43)、北アメリカへ(昭40、43)旅する。この二つの旅は、沖縄経験およびアメリカ経験という外がわの支点をふくみこんで、さらにみずからの戦後体験を遡ってみつめなおす行為を避けがたく内部にもたらすことになる。こうしてまず、村から東京へという出郷者の過程をみずからの外傷として、その過程を逆に遡行する想像力にみちびかれてみずからの「村」を発見しようとする方法意識が育まれ、代表作といってよい長編『万延元年のフットボール』(昭42・9 講談社)が書かれた。この作品で第三回谷崎潤一郎賞を受賞。ついで、この自己確認のための根下ろしの試みを言葉の体験をくぐらせて成ったのが、長編エッセイ『壊れものとしての人間』(昭45・2 講談社)であり、さらにそこからみずからの根を折返すかたちで成ったのが、都市内部の流謫者の原像を書きこんだ中短編集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(昭44・4 新潮社)である。この間、『持続する志 全エッセイ集第二』(昭43・10 文芸春秋)を上梓。広島経験と沖縄経験を戦後のイメージのなかに引きあわせつつ、このころからしばしば「核時代」というグローバルな時代意識を示す言葉が用いられるようになる。四五年七月、講演集『核時代の想像力』(新潮社)。九月、長編エッセイ『沖縄ノート』(岩波書店)を上梓。このころ来日した北米の作家アップダイクとの対談「文学によって何を求めるか」(「新潮」昭45・9)は、みずからの文学的体験を語った注目すべき対談である。同年、アジア・アフリカ作家会議(ニューデリー)に参加。四六年、季刊誌「沖縄経験」(太田昌秀との共同編集)を創刊。同年、対話『原爆後の人間』(重藤文夫との対談、新潮社)を上梓。四七年一〇月、
三島由紀夫の割腹自殺、
高橋和巳の死に触発された諧謔と晦渋にみちた二部作『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(講談社)を発表、さらに『鯨の死滅する日 全エッセイ集第三』(昭47・2 文芸春秋)を上梓。四八年三月、長編エッセイ『同時代としての戦後』(講談社)を上梓。これは、「これが自分たちの時代なのだと、ひきうけざるをえない同時代の実体を、より正確に把握する」ために「より確実に『戦後』を認識すること」をめざして、みずからの現在地点をもっとも明確に宣明した独自の「戦後」論である。一種の文学的マニフェストともいえる。同年九月、書下ろし長編『洪水はわが魂に及び』上、下(新潮社)を上梓。時代の内なる「黙示録的認識、終末観的ヴィジョンをより克明に、より濃密に見きわめる」努力につらぬかれた、この作家の屈折と成熟をくっきりとあらわした野心作である。この作品で第二六回野間文芸賞を受賞。同年、アジア・アフリカ作家会議(アルマアタ)に、翌年日本アラブ文化連帯会議(東京)に参加。つねに文学の現在の第一走者たる自恃を負いつづけて走り、走りつづけてきた作家である。
『大江健三郎全作品』全六巻(昭41~42 新潮社)がある。
(長田弘 1984記)
本文:新規1974(昭和49)年に出版された『文学ノート 付=15篇』(1974・11 新潮社)には、作家が小説を書く行為を自己分析した「臨床報告」と、最終稿で省かれた小説の断片が収められた。これは小説を生み出す行為を可視化することで「作家が生きていることの全体の想像的なありよう」を明らかにしようとする試みであり、戦後が問われる時代状況のなかで民主主義的な価値を鍛え直し、他者の声を呼び込んだポリフォニックな語りを追求していく、後期大江への結節点に位置づけられる試みであった。
同年には逮捕拘禁されたソルジェニーツィンの釈放を要求する声明文に署名、翌年には金芝河の釈放を求めるハンストに参加。野間宏・高橋和巳らとの共同編集『岩波講座 文学』全12巻(1975・12~1976・12 岩波書店)等に収録されたエッセイでは、テクノロジー化した現代社会を批判、人間と想像力の擁護を文明論的な規模で展開した。
この時期、山口昌男の影響を受け、文化人類学やラテン・アメリカ文学に傾倒、1976(昭和51)年にコレヒオ・デ・メヒコ客員教授としてメキシコに長期滞在。山口の「中心と周縁」論やミハイル・バフチンのカーニバル論等の影響は、核や天皇制を主題とし、「なにもかもを笑いのめし、価値転倒させる道化」、「哄笑」の力による転換を目論んだ『ピンチランナー調書』(1976・10 新潮社)に結実した。
同作は、宇宙論的な意志によって「転換」した「森・父」から受け取った手紙や録音を語り手「光・父」が再構成するという複雑な語りをとるが、こうした語りの装置や神話的世界への関心は『小説の方法』(1978・5 岩波書店)でロシア・フォルマリズムの「異化」の概念を軸に追求され、小説とは「人間をその全体にわたって活性化させるための、言葉による仕掛け」であるとされた。『方法を読む 大江健三郎文芸時評』(1980・4 講談社)や、メキシコの大学に滞在する講師が大日本帝国の歴史に抗する「村=国家=小宇宙」の歴史を書き綴ろうとする大作『同時代ゲーム』(1979・11 新潮社)は、『小説の方法』で追求された理論の実践であった。なお、山口と大江はともに『叢書文化の現在』全13巻(1980・11~1982・7 岩波書店)の共同編集者となり、雑誌『へるめす』(1984~1997 岩波書店)の編集同人を務めた。
1980年代に入ると、『現代伝奇集』(1980・6 岩波書店)、『「雨の木」を聴く女たち』(1982・7 新潮社)、『新しい人よ眼ざめよ』(1983・6 講談社)、『いかに木を殺すか』(1984・12 文藝春秋)、『河馬に噛まれる』(1985・12 文藝春秋)といった、相互に有機的な繋がりをもった連作短編集が上梓される。その特徴には、大江を思わせる「僕」や障害を持つ子「イーヨー」等が登場する点、大江自身が読書してきたウィリアム・ブレイク等の作品が引用される点などが挙げられるが、私生活を反映した「私小説」ではなく、虚構として構築された自立世界において「私」が読みつつ生きることを思考し、問い直す試みと言える。
こうした試みの延長に、『同時代ゲーム』を語り直した『M/Tと森のフシギの物語』(1986・12 岩波書店)や、過去の自作を作品に呼び込み、「谷間の村」の物語を再構築した『懐かしい年への手紙』(1987 講談社)が書き下ろされ、「信仰を持たない者の祈り」といった、1990年代に向かって展開する宗教的主題が浮上していく。それは戦後日本の公共性の再構築のための試みと言えようが、興味深いのは、悲嘆に満ちた「聖女」倉木まり恵の後半生を語る『人生の親戚』(1989・4 新潮社)、小説家家族の娘を語り手とする『静かな生活』(1990・10 講談社)等を通して多様性ある語りが志向され、とくに女性的なナラティブへと開かれていったことである。近未来SF『治療塔』(1990・5 岩波書店)、『治療塔惑星』(1991・11 岩波書店)の語り手は「古い地球」に残った女性、『懐かしい年への手紙』の後日譚とされる三部作『燃えあがる緑の木』全3巻(1993・11、1994・8、1995・3 新潮社)では「転換」によって両性具有となった元男性の目を通して「谷間の村」の新しい「教会」の転変が語られた。
1994(平成6)年にノーベル文学賞受賞。受賞講演は『あいまいな日本の私』(1995・1 岩波書店)に収録された。三部作を「最後の小説」とするも、1996(平成8)年に武満徹の告別式で新作執筆を表明。三人称多元の語りを用いて信仰宗教教団の再建を描いた『宙返り』上下(1999・6 講談社)以後、「後期の仕事」と自称する作品群を発表した。義兄伊丹十三の死後、作者の分身とも言える長江古義人を主人公に『取り替え子』(2000・12 講談社)、『憂い顔の童子』(2002・9 講談社)、『さようなら、私の本よ!』(2005・9 講談社)を刊行、「おかしな二人組」三部作としてまとめられた。
2004(平成16)年に改憲論議に抗するために「九条の会」呼びかけ人となり、『沖縄ノート』(1970・9 岩波書店)の集団自決に関する記述をめぐって告訴された大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判を闘った(2011年勝訴確定)。「父」と「天皇制」を主題とした『水死』(2009・12 講談社)の後、東日本大震災後の日々のなかでやはり長江古義人を主人公に『晩年様式集』(2013・10 講談社)を書く。同作において古義人を、彼をとりまく女たち(妹、妻、娘)が批判し、乗り越えようとする光景が大江のたどり着いた現在地と言えよう。
(服部訓和 2021記)
代表作:既存代表作
万延元年のフットボール
まんえんがんねんのふっとぼーる
長編小説。「群像」昭和四二・一~七連載。のち、補筆訂正を経て、昭和四二・九、講談社刊。東京に住む根所蜜三郎、アメリカ帰りの鷹四の兄弟が、四国の森深い谷間の自分たちの村へ帰る。それは兄と弟にとってそれぞれにちがったしかたでの失われたみずからのアイデンティティーを求める帰村だったが、百年まえの万延元年の農民蜂起の記憶が「御霊」のように取憑いている村において兄弟を待ちうけていたのは、みずからの現在の「根所」=「草の家」をみいだすことの絶望的な困難だった。これは、「『飼育』『芽むしり仔撃ち』にはじまる「兄と弟」物語という形式のひとつの集大成」(平野謙)であり、「土俗的雰囲気と歴史的展望の下におくことによって、新しい伝奇小説、現代神話を創造することに成功した」(
大岡昇平)小説である。暴動、自殺、姦通、近親相姦、異常児誕生等が織りなす過去と現在のグロテスクなタピストリーのなかに、維新の精神と戦後の精神との照応を刺しこみつつ、みずから語るべき「本当ノ事」を見究めようとする遡行的想像力を貫いた、思想的にも文体的にも、この作家の創作活動のピークをなす長編小説である。
(長田弘 1984記)
全集
- 『大江健三郎全作品』第1期全6巻(1966~67 新潮社)、第2期全6巻(1977~78 新潮社)
- 『大江健三郎同時代論集』全10巻(1980~81 岩波書店)
- 『大江健三郎小説』全10巻(1996~97 新潮社)
- 『大江健三郎自選短篇』(2014 岩波書店)
- 『大江健三郎全小説』全15巻(2018~2019 講談社)
参考文献
- 森昭夫編『大江健三郎書誌稿』全3巻(2019 私家版)
©The Museum of Modern Japanese Literature