エリザベス1世
イングランドおよびアイルランド女王 [1558/1603] .
ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘としてロンドンに生まれ,議会の承認を得た父の遺言により,異母弟エドワード6世および異母姉メアリ1世につぐイングランド(およびアイルランド)王位継承者となる.アスカムの薫陶を受けてギリシア,ラテンの古典を学び,また仏・伊両語に通じた.メアリのカトリック復帰政策に対しワイアット(Tomas Wyatt 1521頃~54)が反乱を起こすと,陰謀に加担した嫌疑を受けて投獄された [1554] が,間もなく釈放され,隠棲して勉学に没頭した.姉の死後25歳で即位,フランスとの戦争をおさめ [59] ,財政の基礎を確立した.宗教については父ヘンリーの政策に復帰し〈国王至上法Act of Supremacy〉および〈礼拝統一法Act of Uniformity〉を再び制定し [同] ,メアリのカトリック復帰の諸法を廃して国教制度を再建,カトリックおよびピューリタンの両極端派を抑圧して中道をとった.廷臣レスター,エセックス(2nd Earl)らを寵愛したが,長い治世を通じて賢相W.セシル,ウォルシンガムらを重用して,慎重な派閥操縦で国内治安を保った.また,諸国家間の葛藤に巻き込まれることを警戒して,スペイン王フェリーペ2世をはじめ君主らの求婚を却け,一生を独身で通し,海外のプロテスタント同胞の直接支援にも消極的であった.大陸の対抗宗教改革の進展とともに,国内では,北部のカトリック諸侯の反乱 [69-70] や,亡命中のメアリ・ステュアート擁立の陰謀 [72,86] などが相次ぎ,不穏の種は尽きなかった.他方で,神に祝福されたプロテスタント処女王としての自己イメージ創出は,スペイン無敵艦隊の撃退 [88] により劇的な成功をおさめ,〈よきベス〉の黄金時代の神話のもととなった.晩年は,独占権その他の問題で議会と対立し,寵臣エセックスのアイルランドでの失態などに悩まされるが,最期まで主導権を握り続け,死の床でスコットランド王ジェイムズ6世(ジェイムズ1世②)を後継者に指名,テューダー朝最後の君主となった.

