最終回 桜は花もことばも美しい |
そろそろ、花の便りが聞かれるころになった。花といえばもちろん桜のこと。桜は日本の国花でもある。陰暦3月は桜の咲く季節なので「桜月」とも呼ばれる。
そんな季節にちなんで、今回は桜に関することばをサーフィンしてみようと思う。
『日国』で、「○○桜(さくら・ざくら)」を検索するとまず目に付くのは桜の園芸品種の名称。桜は様々な園芸品種があるようだ。もちろん「ソメイヨシノ」のように、名称に「桜」を含まない品種も存在するのだが、園芸品種の数は実に200~300種もあると言われている。残念ながら『日国』はそれらすべてを網羅しているわけではないのだが。
次いで目に付くのは、桜の美しさを表すことばである。たとえば「朝桜」。これは「朝露を帯びて咲いている清らかな桜」のこと。もちろん反対語は夜の桜の花、すなわち「夜桜」である。夕方にながめる桜、夕闇の中に咲いている桜をいう「夕桜」という語もある。また、「夕日桜」などという語もあり、これは夕日に映える桜、夕日に照らされた桜の花の意である。
桜が咲いて、月の明るい夜のことを「桜月夜(さくらづきよ・さくらづくよ)」と言う。
与謝野晶子に「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」(『みだれ髪』〔1901〕)という短歌がある。京都市東山区、円山公園内にあるしだれ桜は特に有名で、夜間その周囲にかがり火をたいて花見をする。
「遠山桜」という語もある。これは遠くに見える山に咲く桜のこと。桜吹雪のもろ肌脱いで悪人をこらしめたという、ご存じ「遠山の金さん」こと、江戸北町奉行遠山金四郎景元のことではない。ちなみに「桜吹雪」は吹雪のように乱れ散る桜の花のことである。
桜は花の散る姿も美しい。そのため、「零桜(こぼれざくら)」などという語もある。これは、満開になって散る桜の花やそのような模様のことをいう。桜の花びらが滝のように散るところから生まれた語が「滝桜」。 昨年3月の東日本大震災にあっても、みごとに花を咲かせた福島県三春町の桜も「滝桜」と呼ばれているが、これはしだれ桜で、花を咲かせた姿が滝のようであるところから名付けられたものらしい。
桜を女性の美しさにたとえることも多い。「姿 (すがた)の 桜」は、桜の花のように美しい姿や、美人を桜の花にたとえて言った語である。また、特に年増の女性をいうことも多い。しかも、ただの年増ではなくなまめかしい年増なのである。
たとえば、「姥桜(うばざくら)」がそれ。「うばざくら」と言うのは、葉が出るのに先だって花がひらく桜の通称で、花がひらくとき、葉(歯)がないことによる名称だという(『大和本草』〔1709〕)。「十三の年より咲て姥桜」などという正岡子規の句もある(『寒山落木』明治26年〔1893〕)。「姥桜」と同じ意味で「昔桜(むかしざくら)」などという語もある。これは何となく想像が付くであろう。そう、昔美しかった桜の花の意からである。
また、花が散って緑の若葉の出はじめたころの桜を「葉桜(はざくら)」と言うが、美しさのさかりを過ぎた年増の女性をいうことがある。雑俳には「ゆだんならぬ葉桜葉桜に見せぬ」などという句も(『あふむ石』〔1839〕)。もはや説明は不要であろう……。
第29回で「桜言葉」という語を紹介したが、そのサクラではなく本来の樹木の「桜」が語頭にくると、桜の季節の天気を表すことばにもなる。
桜颪(さくらおろし):桜の花が風に吹かれて雪の舞うように散ること。薬味に使う「紅葉(もみじ)おろし」とは何の関係もない。
桜風(さくらかぜ):桜の花に吹く風。また、桜の咲くころに吹く風。
桜曇(さくらぐもり):桜の花が咲くころの曇りやすい空模様。
桜雨(さくらあめ):桜の花の咲くころに降る雨。
いずれも手紙などで使ってみたくなるような語である。
以上のようなことばを概観しただけでも、日本人が昔から桜を深く愛してきたことがわかると思う。
2年半にわたって連載を続けてきたこの「日国サーフィン」も今回が最終回。長い間ご愛読ありがとうございました。最後に皆さまにお願いがひとつあります。このコラムの上の方には「いいね!」ボタンが付いています。ここまでお読みくださった方は、“サクラ”になって、ぜひ「いいね!」ボタンを記念に押していってください。
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