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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 14

『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』(海老沢有道訳)

2013/01/10
アイコン画像    なぜ日本にキリスト教が根付かなかったのか。
キリスト教賛美書&批判書から、根本を探る。

 あくまで外国人から見れば……という注釈付だが、わが日本は不思議な国である。天皇陛下の誕生日よりもイエスの誕生日を祝い、新年には神社にお参り。死ねば坊主のお世話になる。宗教は、〈信念の体系〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)だそうだが、信念とは「世界観」と同義であろう。つまり宗教は「思考方法」と言い換えることができる。ここで言うまでもなく、日本は古来より、仏教、儒教、キリスト教……とさまざまな宗教を受け入れてきた。宗教のチャンポンである。かくして、このイベント混交型の宗教スタイルができあがったのだ。

 私の目下の関心は、その中でキリスト教だけが、〈信念の体系〉としての広がりを持たなかったのはなぜか、ということだ。イベントは受け入れたが、隣国・韓国のように根付いていない(韓国ではキリスト教徒が最大勢力)。ヨーロッパ的な思考方法が席巻している現代において、非キリスト教国家の日本の存在は、不思議である。

 というわけで紐解いたのは、『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』である。「はしがき」によれば、〈キリシタンという代表的西洋思想が、日本に移入されたことにより如何なる思想的接触がなされたか〉をみるために、タイトルにある4編を選んだのだという。

 日本の僧侶がキリスト教を解説した「邪教大意」や、信長とバテレンとの関係を描いた「南蛮寺興廃記」など、それぞれ興味深かったが、本書の主人公は図らずも、一人の日本人修道士ハビアン(恵俊)である。「南蛮寺興廃記」には禅僧から改宗した初期のキリシタンとして登場し、自著「妙貞(みょうてい)問答」(1605年)では仏教・儒教・神道を論破。ところがその15年後に、キリスト教をメッタ斬りにする「破提宇子(はだいうす)」を著すのである。禅僧→修道士→棄教→キリスト教迫害、という二転三転の人生なのだ。ハビアンは「妙貞問答」で、釈迦は普通の人だ、と批判する。同じ理屈で、「破提宇子」ではキリストは神でなく人だ、と批難する。論理破綻だ。しかし彼こそ、日本人布教者のエース格だった。

 ハビアンの書を読んでいると、屁理屈のオンパレードで、言葉と遊んでいるに過ぎない。少なくとも彼には、〈信念の体系〉がない。これは「言葉」が先行しすぎた結果なのだろうか。日本では「言霊」と尊んできた反面、その行き過ぎからか、体験を伴わない言葉が跋扈(ばっこ)してしまった?

 体験ではなく言葉として、体系ではなくスタイルとして、日本人はキリスト教を受容してきたのかもしれない。

本を読む

『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』(海老沢有道訳)
今週のカルテ
ジャンル宗教
時代 ・ 舞台16世紀後半から17世紀前半の日本
読後に一言言葉を商売にしている私には、ハビアンのふるまいが、痛く刺さりました。
効用キリスト教とのファーストコンタクト。この出合いは、刺激的です。
印象深い一節

名言
(釈迦の生涯を説明していわく)父もあり母もあり、妻もあり子もあり、皆さんや私達に変わらぬ人間である。人間の生死や禍福さえ逃れることのできない身で、どうして人の後生を扶けることができようか(妙貞問答)
類書フロイスが見た、キリスト教伝来の頃の日本『日本史(全5巻)』(東洋文庫4ほか)
宣教師と新井白石のバトル『新訂西洋紀聞』(東洋文庫113)
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