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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 338|342

『甲子夜話 5、6』(松浦静山著、中村幸彦・中野三敏校訂)

2016/06/16
アイコン画像    江戸時代は天狗が跋扈していた!?
エッセイ『甲子夜話』を楽しむ(3)

 『甲子夜話』の正篇を紹介するシリーズの最終回です。東洋文庫では、正篇100篇を6巻に分けて収録していますが、実は全巻にわたって登場する人物がいます。私が調べた限り、この3人です(丁寧にチェックすればもっといるかもしれませんが……)。


 (1)徳川家康。当然ですね、徳川の御代ですから。

 (2)太閤秀吉。前政権のトップですからね。

 そして最後は……(3)天狗。


 天狗は「人物」じゃないというツッコミは脇によけて、天狗ですよ、天狗。天狗ネタが豊富に載っていることこそ、実は松浦静山の『甲子夜話』の性格を表しています。

 一部引用してみます。


 〈農夫源左衛門、酉の五十三歳なるが在り。この男嘗(かつて)天狗に連往(つれさら)れたりと云(いう)〉


 ここから延々、源左衛門の口を通して、さまざまな天狗話が語られます。さらに源左衛門は、天狗と共にいた〈魔堺〉のエピソードとして、菓子を一口口にしただけで以後何も食べず、大便も小便もしなかった、と話します。それを聞いた静山。


 〈以上の説、彼僕の云ふ所と雖(いえ)ども、虚偽疑なきに非ず。然ども話の所曽て妄ならず。何(い)かにも天地間、この如き妖魔の一界あると覚ゆ〉


 虚偽を疑わないわけじゃないけれど、かといって話を聞くと妄想でもない。どこかに天狗の住む妖魔の世界があるのだろう、と静山は結びます。

 『日本国語大辞典』(ジャパンナレッジ)によれば、「日本書紀」に「天狗」という語が登場し、そこでの〈「異変をもたらすもの」「天空を飛ぶもの」「天と山をつなぐ、大音を発する怪物」という概念が、まず山の神霊と結びつけられ〉、〈天上や深山に住むという妖怪〉となったのだろうと分析します。実際、「宇津保物語」や「源氏物語」にも「天狗」は登場します。

 やがて山伏と天狗が結びついていくのですが、『甲子夜話』に「天狗」が頻出するという事実は、江戸の人々――静山のような当代一流の知識人までもが、天狗を信じていたことを指し示します。『国史大辞典』(同)によれば、明治になって政府が修験道を禁止し、山伏を追い出したことで、〈天狗の信仰も大部分が消失した〉のだそうです。とすれば、国家に縛られない江戸庶民の〝自由な精神〟が天狗を存在させていたといえるかもしれません。



本を読む

『甲子夜話 5、6』(松浦静山著、中村幸彦・中野三敏校訂)
今週のカルテ
ジャンル随筆/風俗
書かれた時代1800年代前半の江戸
読後に一言6巻には赤穂浪士の町奉行所に残る書上からのエピソードも掲載されています。
効用江戸の世相風俗を知るのに、絶好の資料です。
印象深い一節

名言
前足弐本。跡(後)足四本。尾一本。肛門二つ……(静山が聞き及び、図まで掲載した小犬の説明)(巻九十八)
類書天狗の説明で静山が持ち出す神仙道教の書『抱朴子 内篇』(東洋文庫512)
正篇の続き『甲子夜話続篇(全8巻)』(東洋文庫360ほか)
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