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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 648

『アーネスト・サトウ伝』(B.M.アレン著 庄田元男訳)

2017/08/24
アイコン画像    一冊の本が人生を変えた
幕末・維新を生きた英国外交官の生涯

 つらつらとネットを検索していたら、面白いブログを見つけました。「今日は何の日?徒然日記」(http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/)という、その日付に起こった歴史的出来事を紹介するブログです。で、いろいろ読んでいたら、「8月26日」(つまり明後日ですね)に目が止まりました。

 紹介されている出来事を列挙します。「崇徳天皇・崩御」「井伊直虎・没」「楠本イネ・没」「アーネスト・サトウが没す」……。怨霊伝説が残る崇徳天皇に、大河の主役の直虎。楠本イネは、シーボルトの娘で産科医となった女性です。8月26日は、濃い人物たちの命日だったんですねぇ。

 で、せっかくなのでアーネスト・サトウに登場いただきましょう。東洋文庫には、氏の伝記『アーネスト・サトウ伝』が収録されているのです。

 サトウ(1843~1929)は、英国の外交官(通訳)です。

 〈文久2年(1862)横浜領事館員として来日。オールコック,パークス公使につかえる。「ジャパン-タイムズ」に匿名で発表した「英国策論」は倒幕派に影響をあたえた。のち駐日公使,駐清公使などを歴任〉(ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」、「サトー」の項)

 薩英戦争、下関戦争、王政復古の大号令……と幕末の大事件に、サトウは遭遇します(本人も、何度も日本人の暴漢に襲われています)。伊藤博文らとも交誼を結び、少なからず日英関係に影響を与えたのでした。通訳だったサトウは、駐日英国公使や枢密顧問官を歴任するのですが、英国公使だったころの容貌は、〈背が高くほっそりして〉、〈顔立ちは知的で学者のように猫背であった〉そうです。

 ところでなぜサトウは、日本にやってきたのでしょうか。実はそこには、一冊の本の存在がありました。10代の青年・サトウは、『エルギン卿の中国・日本使節記』という本を手にとります。サトウは、〈日本についての文章と挿絵を熱心に見ているうちに〉、心が高まります。


 〈冒険心が、心のうちに目ざめ、どんなことをしてもその神秘的な極東の島国を訪れようと決心したのである〉


 こうして19歳の青年は日本にやってきます。


 〈一八六二年から一八六九年までは私の人生の中でも最も興趣あふれる時期であった〉


 一冊の本が人生――いや日本を変えたのでした。



本を読む

『アーネスト・サトウ伝』(B.M.アレン著 庄田元男訳)
今週のカルテ
ジャンル伝記/政経
時代 ・ 舞台1800年代半ば~1900年代前半(日本、中国、タイなど)
読後に一言サトウと「佐藤」はまったく関係ありませんが、音が同じだったことで、名前が流布しやすく、〈一面識もない人々の間でも私のことがうわさされるようになった〉のだそうです。まさに奇縁。
効用アーネスト・サトウという外交官の生涯を通して、幕末から明治にかけての日本の姿が見えてきます。
印象深い一節

名言
そこ(日本)には血気盛んな若者を満足させるに足る激動の変革期と冒険とが待っていた。一国が新しく生まれ変わる現場に立会い、その変動する場面で重要な役目を果たせたのはサトウにとって幸運なことだった。(第一章「日本における青春の日々」)
類書サトウの滞在日記『日本旅行日記(全2巻)』(東洋文庫544、550)
サトウの上司・英国公使の伝記『パークス伝』(東洋文庫429)
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