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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 132

『朝鮮幽囚記』(ヘンドリック・ハメル著 生田滋訳)

2018/02/15
アイコン画像    平昌オリンピック開催記念!?
365年前の済州島難破事件とは

 世間は平昌オリンピックで盛り上がっていますが、これから紹介するのは、365年前に朝鮮半島で起きたある事件のことです。

 オランダ東インド会社所属の船員たちは、台湾から日本への航海の途中でした。ところが暴風雨にあい、1653年8月16日未明、船は難破してしまいます。李氏朝鮮の済州島にたどり着き、生き長らえたのは、64人中36人でした。時代状況でいえば、清が中国の新たな王朝となり(1644年)、日本では由比正雪の事件(1651年)が起こった頃です。世界史的にいえば、15世紀に始まった大航海時代によって貿易が活発化していました。

 そんな中、オランダ人が17世紀の朝鮮に流れ着くのです。で、その時の体験を記したのが、『朝鮮幽囚記』です。

 本書が評価されるのは、これが、ヨーロッパ人によって書かれ、かつ初めてヨーロッパにもたらされた“朝鮮の報告書”だったからです。日本がポルトガル人に“発見”されたように、朝鮮半島もまた、本書によって“発見”されたのです。

 ひとことで言うと、彼らオランダ船員は、翻弄されっぱなしです。そもそも李氏朝鮮は、中国の顔色を見ていますので、判断が遅い。彼らを監督する立場の総督は2、3年で交替するのですが、彼らは総督にこんなお願いをするほど追い込まれます。


 〈物乞いをして、それで冬を越すことを許していただきたい〉


 こんな訴えも。


 〈このような状態ならばいっそ死んだ方がましです〉


 これが17世紀なのでしょう。どちらも、相手国に対する知識を持たず、理解しようともしない。オランダ人たちが、どんなに「故国に帰りたい」と訴えても、〈外国人を国土から送り出すことはこの国の習慣にはない〉の一点張りなのでした。やがて、仲間はひとり減り、ふたり減り。1665年ごろには16人にまで減少します。

 1666年9月、奴隷状態から抜け出すべく、ヘンドリック・ハメル(本書著者)ら8名は、脱出を決行。秘かに入手した船で、五島(長崎)まで何とかたどり着いたのでした。難破から13年が経っていました。

 365年前の“ファースト・コンタクト”は、お互いに良い印象を残さず終わりました。平昌オリンピックではさまざまな“コンタクト”があるはずですが、それが良きものであることを祈ります。



本を読む

『朝鮮幽囚記』(ヘンドリック・ハメル著 生田滋訳)
今週のカルテ
ジャンル随筆/歴史
時代 ・ 舞台1600年代の韓国
読後に一言生き残った16名のうち、8名は自力脱出(本書)しましたが、1名は朝鮮人と結婚していたせいか、朝鮮に残ることを希望します。残りの7名ものちに解放されました。結局15名が、母国オランダに戻ったのでした。
効用本書には、ニコラース・ウィットセンによる朝鮮地誌『朝鮮国記』(「北および東タルタリア誌」の一部分)も収録されています。
印象深い一節

名言
彼等(朝鮮人)はシナ人(中国人)ほど嫉妬深くもなく、勇敢さと戦争の方法に関しては、日本人にほぼ匹敵する。(『朝鮮国記』)
類書朝鮮半島の生活『朝鮮歳時記』(東洋文庫193)
宣教師が見た朝鮮『朝鮮事情』(東洋文庫367)
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